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AKのスピリチュアル講座1:「ポンカワンカ」の意味

今回からシリーズで、「スピリチュアル」あるいは「スピリチュアリティ」に関して、講座形式で集中的に解説していきたいと思います。
みなさんは、「スピリチュアル(霊的な)」あるいは「スピリチュアリティ(霊性)」という言葉を聞いて、どのようなイメージを抱くでしょう。非科学的で、非現実的で、目に見えない、得体の知れない、怪しげな、どこか浮世離れした絵空事、というイメージでしょうか。
しかし、これらのイメージは、スピリチュアルあるいはスピリチュアリティに関し、あまりに間違った、偏った、あるいは低い(狭い)認識と言わざるを得ません。
このあたりで、真のスピリチュアリティとは何かについて、皆様に真剣に考えていただきたいと思います。
このテーマに取り組むにあたり、私自身の体験談も含めてお話しするつもりですが、なるべく公正で偏見のないニュートラルな姿勢を心がけようと思っています。

さて、その第一弾の今回は、シリーズ全体を俯瞰するような内容になるでしょう。

今年の10月からネットラジオ「ポンカワンカ・ラジオ」をスタートさせましたが、タイトルに使った「ポンカワンカ」とは何でしょう?
ラジオの中では「21世紀の全人類的課題」とご紹介しましたが、ここでもう少し詳しい解説をしておこうと思います。
ただし、今回はあくまで概論なので、ゆくゆくさらに詳しく取り上げようと思っています。
なお、小説「コズミック・スピリット」の読者の皆様にとっては、すでにご存じの言葉だと思いますが、ここでは、多少新しい情報も交えながらご説明したいと思います。

■「ポンカワンカ」はどこからやってきた?

まず「ポンカワンカ」の言葉の由来をご説明します。
2012年の11月に、私はあるセラピーを受けたのをきっかけにチャンネルが開き、メッセージの受信状態になりました。「チャンネルって何?」「メッセージの受信って何?」という説明は、ここでは省きます。
これを皮切りに私は、2012年から2014年ぐらいにかけ、ほぼ毎日「意識の多次元宇宙ツアー」とも呼ぶべき体験をしました。今は毎日ではありませんが、この種の体験は少なからず続いています。
その一環として、ある日、宇宙ツアーの真っ最中に、アカシックレコードから「ポンカワンカ」という言葉を偶然ダウンロードしました。「アカシックレコードって何?」という部分も、おいおいご説明します。
それに続けて、「宇宙図書館」としか呼びようのない(意識の)場所に行き、「ポンカワンカ」の意味を調べたところ、どうやら古代インカの言葉で、「全なるものとの合一」という意味らしい、ということがわかりました。
地球の次元に戻った後、インカ文明について調べるうちに、この言葉の意味と、なぜ自分のもとにこの言葉がやってきたのか、その理由がわかってきました。
それをもとに私は、小説「コズミック・スピリット」を書き上げたわけですが、ここでは現代の状況に置き換えて、その意味するところを概説します。

「ポンカワンカ」の言葉の意味には、以下の5つのポイントがあると、私は考えています。
●意識のエネルギーシフト
●葛藤の乗り越え
●魔法からの解放、催眠術からの目覚め
●「魂」が繰り広げる壮大な生命の実験
●すべてのものの親になること

この5つのポイントは、小説「コズミック・スピリット」のメインテーマでもあり、それぞれが関連し合って、ひとつのプロセスを形作っています。
では、これらのポイントをひとつひとつ見ていきましょう。

■意識のエネルギーシフト

私は、「意識のエネルギーシフト」こそ、21世紀の全人類的課題だと思っています。この言葉は、お望みなら「意識変革」「意識成長」「意識進化」といった言葉に置き換えても構いませんが、その意味するところをもう少し明確にしておきましょう。
「意識のエネルギーシフト」という言い方には、次の二つの意味が含まれています。
「意識とは、一種のエネルギーである」
「そのエネルギーをシフトアップさせる」
エネルギーをシフトアップさせる方向には、主に次の二つがあります。
〇狭くて低い範囲からより広くて高い範囲へ
「より広くて高い範囲へ」とは、「個」を超えて「全」へ向かう、という意味です。わかりやすい例を引くと、よく自分勝手にならないための戒めとして「相手の立場に立って、ものを考えなさい」などと言いますが、本当の意味で他人の立場に立つためには、自分の立場でも相手の立場でもある、いわば人類共通の立場に立つ必要があります。「誰々の立場に立つ」というその「誰々」の部分の人数を増やしていけば、原理的には人類共通の立場に近づけるはずです。私たちが、人と話をしたり、本を読んだり、ニュースやドキュメンタリーを観たりするのは、多くの人の事情を知ることで自分の意識を拡大するためではないでしょうか。
そうした意識拡大には、知らず知らずのうちに誰か(主に親や教師ですが)から刷り込まれてしまった偏見や固定観念から自分自身を解放する、という意味合いも含まれています。しかしこれはそう簡単なことではありません。「個」から「全体」へ向かう道が、そう簡単なわけがありません。これが本当に実現できたとき、人は本当の意味での意識のエネルギーシフトを経験するでしょう。
こうした意識拡大のための具体的な方法については、おいおい詳しくご説明します。
〇粗雑な状態からより微細な状態へ
意識が一種のエネルギーだとするなら、そこには独自の「振動」といったものがあるはずです。「気」あるいは「波動」と言ってもいいかもしれません。よく「気が乱れる」「波動が乱れる」などという言い方をしますが、これはエネルギーが粗雑な振動状態にあるという意味でしょう。この状態が続くと、トラブルや病気の原因になったりします。そこで、意識のエネルギーシフトのためには、より微細な振動状態にする必要があります。どのようにするかは、おいおい詳しく説明しますが、絶対必要条件は瞑想の修行です。
なぜかと言うと、意識エネルギーを微細な状態にするには、寝ている状態でも覚めている状態でも夢をみている状態でもない、第四の意識状態を経験する必要があるからです。第四の意識状態とは、簡単に言うと、肉体は休眠状態にありながらも意識は明確に覚醒している状態です。この状態になれるのは瞑想だけです。
さらに付け加えておくと、粗雑な振動から微細な振動へのシフトは、ローギアからセカンドギアへのシフトアップにすぎません。もちろんその先もあるのですが、まずは最初のシフトアップに焦点を当てましょう。

■葛藤の乗り越え

意識のエネルギーシフトを成し遂げるには、まず真っ先に、意識エネルギーを乱れさせる原因を取り除く必要があります。
意識エネルギーを乱れさせる最大の原因のひとつが「葛藤」です。
「葛藤」とは、簡単に言うと、Aという選択肢とBという選択肢の間で判断が揺れ動いていて、決めかねている状態です。平たく言うと「あちらを立てれば、こちらが立たず」という状態です。
私たちは、この新型コロナウイルスの出現によって、全人類規模での葛藤を経験している真っ最中ではないでしょうか。つまり「感染予防か、それとも経済活動か」という葛藤です。
「意識のエネルギー論」的に言えば、葛藤とは、狭い(低い)意識の範囲で、大きな振幅で激しく振動することです。いわば、狭い檻の中で右往左往している動物園の動物のような状態です。したがって、葛藤を乗り越えるためには、意識を拡大する、あるいは、より高度な意識状態を獲得する、つまり動物園の檻から見通しのいい高台に移る必要があります。
葛藤が続く間、人は自分の人生にブレーキとアクセルを同時に踏み続けることになります。そうすると、ますます振動は乱れます。それどころか、放置すると、葛藤は増殖さえするのです。例えば「感染予防か、それとも経済活動か」という葛藤を放っておくと、「家庭か、仕事か」、「核家族か、多世代同居か」、「都会暮らしか、田舎暮らしか」、あるいは「結婚生活の継続か、それとも離婚か」など、どんどん増えていきます。
また、実はもっともやっかいな葛藤として、「見えない葛藤」というものがあります。どんな二つの選択肢の間で揺れ動いているのかはっきりしている場合はまだましですが、選択肢が隠れている場合もあるのです。この「見えない葛藤」の場合、人は自分が葛藤していることにさえ気づきません。しかし葛藤の影響だけはしっかり受けます。ブレーキとアクセルを延々踏み続けている状態ですから、いずれ何らかの機能不全を起こすのです。
見えない葛藤の見つけ方と、その乗り越え方についても、おいおい詳しく解説します。
さて、21世紀全体の課題に戻るなら、人類史の始まりから、未解決のまま抱え続けている人類共通の「累積葛藤」ともいうべきものがたくさんあるのです。しかも「見えない葛藤」です。この「累積葛藤」によって、様々な問題が生じています。そこで、いわば人類共通の「葛藤の履歴書」のようなものを作ることで、人類が最初に抱いた葛藤の原点にまで遡る必要があるかもしれません。そうして、人類最古の葛藤に行きつき、それを乗り越えられるなら、地球上のあらゆる問題がいっぺんに解決できるかもしれないのです。

■魔法からの解放、催眠術からの目覚め

葛藤し続けることは、精神的にも肉体的にも苦しいことです。そこで、その苦しさから逃れるため、ある種の「誤魔化し」「心の偽装工作」が必要になってきます。
そのとき人は、自分で自分に魔法と催眠術をかけることになります。私たちは、葛藤からの逃避行動として、たいていの場合、自分自身に魔法と催眠術をかけてしまっているのです。

〇魔法とは、簡単に言うと「子どもなのに大人のフリをする」ことです。「大人の仮面を被った子ども」「外見は大人なのに、中身は子ども」という状態です。言い換えると、人間的成長の様々なプロセスが(部分的に)途中でストップしている状態です。
魔法には副作用があります。成長が止まっている部分に、「アディクション(嗜癖、中毒、依存)」か「アレルギー(拒否反応)」のどちらか(あるいは両方)の症状が起きるのです。成長が止まっている部分とは、基本的には満たされなかった、あるいは否定された何かです。
〇催眠術とは、簡単に言うと「眠っているのに起きているフリをする」ことです。つまり「魂」が覚醒していない状態です。言い換えると、「自分のあるべき人生を生きていない」ということです。こういう人は、他人の頭で考え、他人の欲望を満たし、他人の夢を追いかけることになります。
「魂」とは何か?についても、いずれ詳述します。
催眠術にも副作用があります。本来の自分ではない何かに突き動かされやすい、ということです。「こんなはずじゃない」「そっちに行ってはいけない」とわかっている方向にあえて進んでしまうのです。道に開いている穴に気づかずに、そこへハマり込んだり、知らず知らずのうちに危険な選択をしてしまう、という症状が出ます。
もちろんあなたの味方である魂は、あなたが本来の道を踏み外さないよう、様々な要請や警告を発してきますが、それを無視し続ければ、手痛いしっぺ返しを食らうことになります。

このように、魔法も催眠術も、自分にとって都合がいい(お気軽な生き方の)ように見えて、結局副作用に悩むことになります。
では、どのようにして魔法から自分を解放し、眠りから目覚めればいいのでしょう。基本的には、自分で自分にかけた魔法と催眠術に「気づく」ことから始まりますが、そのやり方についても、いずれ解説します。

■「魂」が繰り広げる壮大な生命の実験

葛藤の乗り越えとは、基本的には、二つの選択肢のうちのどちらか一方を選ぶことではなく、どちらも犠牲にしない第三の選択肢を見出すことです。
アインシュタインはこう言っています。
「問題を作り出したのと同じ意識状態で、問題を解決することはできない」
つまり、意識が拡大され、より高次な意識状態を獲得しない限り、人間は相変わらず問題を作り出した意識の次元(狭く低く、粗雑な振動の状態)にとどまっている(問題が解決できない)ということです。

ここでひとつ、思考実験をしてみましょう。
究極の葛藤とは、磁石のS極とN極のように、同居しながらもなかなか交じり合わない二つの「極」が対立している状態のことでしょう。これを「二項対立」と言ったりします。
あらゆる人間にとって、究極の二項対立とは何かを考えてみましょう。
次の方程式をご覧ください。
「人間=心+体」
「心」と「体」というなかなか相容れない二つのものを足したのが「人間」だというわけですが、もし「心」か「体」か、という二項対立の場面が発生したら、それは「精神か、物質か」「命か、経済か」という具合にエスカレートしないでしょうか?
「そんなこと実際にあるのか?」とお思いなら、「トランスジェンダー」と呼ばれる人たちのことを考えてください。つまり心と体の性が合致していない(心は女性なのに体は男性、あるいはその逆)人たちのことです。こういう人は、心と体の間で激しく葛藤します。しかし、いずれはどちらかの性を選ばざるを得ません。そのとき、彼ら・彼女らは、自分の心、体、経済状態、対社会的なこと、アイデンティティ・・・といった具合に、すべてを考慮して性転換(肉体の性を心の性に合わせる)すべきか否かを選ぶことになるはずです。

そこで、第三の選択肢を考えてみます。
次の方程式をご覧ください。
「人間=心+体+魂」
「心」と「体」を足しても、まだ人間にはならない。そこへ「魂」を加えなければ人間は完成しないとしましょう。
この三者の関係性を示すなら、「肉体=ハードウェア、心=ソフトウェア、魂=OS」となるかもしれません。つまりハードウェアとソフトウェアがあっても、実際には何も機能しません。そこへ両方を制御するOSが乗っかって、初めて人間というシステムが全体として機能するのだと考えてみましょう。
この関係は、次のように言い換えることもできます。
「肉体=船、心=舵、魂=羅針盤」
肉体は、心が赴く方向にしか進めません。しかし心は揺れ動きます。心が揺れ動いている間は、肉体は1ミリも動けません。まさにアクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態です。結局のところ、人生の進路を決めるのは、羅針盤である「魂」の働きなのだ、と考えるなら、あなたの意識は少し拡大しないでしょうか? つまり魂とは、船(肉体)の状態と舵(心)の状態をよく知っているだけでなく、海の状態もよくわかっていて、その上で船が進むべき方向を示してくれる存在だということです。
心の性か、肉体の性か、どちらか一方を選んだトランスジェンダーの人たちが、最終的に語ることは、自分の中で男性性と女性性が混然一体となっている、ということです。これが第三の道であり、魂の働きです。私は個人的には、あらゆる人が両性具有であるべきだと思っています。この話題も改めて詳しく取り上げます。

あなたの意識がこれでもまだ拡大しないなら、こう考えてみてください。
魂が心も体も制御しているとするなら、魂は心と体の影響を受けない場所にあることになります。では、魂の起源とはどこにあるのでしょう?
魂の起源は多次元宇宙(Kosmos)にあり、そこから心も体も制御しているとしたら・・・?
「宇宙」を英語で綴ると「cosmos」ですが、ここではあえて「K」で始まる単語を用いました。その意味についてもいずれ述べますが、ここでは、意識の拡大を目論むために、こんなファンタジーを考えてみてください。

肉体を伴わない「意識体」である多次元宇宙の魂が、あるとき三次元世界である地球にやってきて、肉体を伴った存在である「人間」になった。
しかし、多次元宇宙も三次元世界も分かちがたく同時に存在するため、魂は相変わらず多次元宇宙を居場所とし、そこから心と体を制御している。
では、魂は何のために三次元の地球にやってきたのか。それは、壮大な生命の実験(限定された三次元時空の中で、生命の可能性がどこまで広がるか)をするためである。

さて、これでもあなたの意識は拡大しませんか。
ならば、さらにこんな方程式を示しておきましょう。
「人間=心+体+魂+霊」
つまり、肉体=船、心=舵、魂=羅針盤、霊=海、ということです。海も含めて人間である、ということです。このとき、人間を定義するうえで、「肉体」がもっとも狭い(限定的な)概念で、「霊」がもっとも広い(包括的な)概念となります。まさに、「個」から「全体」へ、という方向性です。
したがって、魂の何たるかを知らずして、真のスピリチュアリティ(霊性)に至ることはできない、ということです。
言い換えれば、スピリチュアリティ(霊的である状態)とは、ただ単に目に見えない不思議な現象とか、科学では説明のつかない何か、ということではなく、人間の意識が到達し得る最終形態を意味するのです。

■すべてのものの親になること

さて、あなたが「意識のエネルギーシフト」を成し遂げたとします。
すると、あなたの意識は、極限まで拡大したことになります。それを「無限」と呼びます。
一方、あなたの意識はもっとも微細な振動状態になるわけですが、微細が極まれば、振動は停止します。振動が停止するとは、そこに時間が流れていない(時間軸が無効になっている)ことを意味します。それはいわば時間を超越した状態です。これを「永遠」と呼びます。
「そんな状態、実際にはあり得ない」と思うでしょうが、たとえば禅の僧侶が長年の修行によって「悟り」を啓いた状態になったとします。その高僧が深い瞑想状態になったときの脳波を調べてみると、肉体の生理活動は最小限に抑えられ、意識は完全に覚醒している(極限まで活性化している)状態であることがわかります。この高僧は、心がいっさい波立たずに、すべてのものがありのままにはっきり見えている状態です。こういう状態の人に、実際に外側から何らかの刺激を与えてみると、その刺激に一瞬だけ反応するものの、すぐに波立ちが収まるといいます。
この状態のとき、人は自我を超越し、「個」であると同時に「全体」でもある、という意識状態になるようです。「無我」の境地、「融通無碍・天衣無縫」、あるいは「空」の状態と言ってもいいかもしれません。
そのとき人は、生きとし生けるものすべて(一切衆生)が究極の「私」への道を歩んでいる、と感じるかもしれません。ここで言う「私」とは、特定の個人を指しません。永遠・無限の「私」です。「私」と「あなた」は、分かち難くひとつであり、「あなた」が歩んでいる道の先に「私」がいると同時に、「私」は「あなた」に寄り添って、一緒に歩んでもいます。
この状態を言い換えると「すべてのものの親になること」となるでしょうか。
すなわち「全なるものとの合一」です。
ここで最初の「ポンカワンカ」の意味に戻るわけです。

※お断りしておきますが、私がこのような「ポンカワンカ」状態にすでになっているわけではありません。

さて、この考え(ファンタジーと捉えていただいて構いませんが・・・)は、科学的に証明しようがないので、「宗教?」と捉えられても仕方ないかもしれませんが、これだけは言っておきましょう。先ほど、魔法と催眠術というお話しをしましたが、ごく単純化して言うと、魔法を解くカギは、主に心理学的伝統(特に発達心理学のプロセス)の中にあります。一方催眠術を解くカギは、主に宗教的伝統(魂の覚醒のプロセス)の中にあります。たとえば、キリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教など、主要な世界宗教のどれもが、身体・心・魂・霊の構造に関する非常に似通った体系を持っているのです。
このように「ポンカワンカ」は、宗教的概念とも言えるし、心理学的概念とも言えます。伝統的な概念とも言えるし、まったく新しい概念とも言えます。もっと言えば、哲学的、物理学的、社会学的、経済学的、教育学的でもあるでしょう。
しかし、どれも部分にすぎません。つまり、どれだけ言葉を尽くしても、「群盲象をなでる」の類です。
おそらく「ポンカワンカ」の真の意味は、あらゆる部分を超えた全体の中にこそあるのでしょう。

それでは、次回からは、これら5つのポイントのさらに詳しい(各論)部分を解説していきます。

なお、この講座の内容は、「ポンカワンカ・ラジオ」と連動しています。
https://youtu.be/i-XGYLYV7o0


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