見出し画像

AKのスピリチュアル講座4:内側と外側の成長プログラム

前回に引き続き、真のスピリチュアリティにかんする基本認識をまとめておきたいと思います。
まずはおさらいです。
前回、人間の叡智の伝統が共通に提供してきた「存在の大いなる入れ子」を示しました。
それをもう一度ここに提示しておきます。

画像1

物質から霊性に至るこの連鎖あるいは構造と、人がどのようにこの連鎖あるいは構造をたどるかを、マトリョーシカや高層ビルにたとえて説明したのが前回でした。
そこで今回は、この「存在の大いなる入れ子」と、人の実際の意識成長プロセスとがどのようにシンクロするかを、プロセスが未熟である場合の危険性も含めて、まとめてみます。

■誰にも備わっている成長プログラム

高層ビルの最上階、マトリョーシカのいちばん外側の状態を、あなたの意識状態に置き換えてみるなら、低い意識状態をいかに高くするか、狭い意識状態をいかに広げるか、という問題になってきます。言い換えれば、内側のマトリョーシカからいかに脱皮するか、高層ビルの階段をいかに昇るか、ということです。
不思議なもので、あなたが成長してどのようなタイプの大人になるかは決まっていなくても、どのような段階を踏んで大人になる(意識成長・意識変革する)かは決まっているようです。

記憶すらないと思いますが、まだ自我が芽生える前の乳幼児だった頃のあなたは、自分と世界が未分化の状態でした。あなたと母親との境はありません。あなたは母親であり、母親はあなた自身だったのです。そこで、母親の姿が見えなくなると、あなたは自分の(世界の)一部を失ったような状態になり、不安で泣き叫びます。母親があわてて笑顔で近寄ってくれば、分裂した世界は再びひとつになります。
これが、いわばマトリョーシカのいちばん内側の意識状態だとしましょう。よほどの事情がない限り、そこからあなたは、自我が芽生え、自分と他者、自分と世界を混同せずに分けることができるようになります。あなたはマトリョーシカのひとつ外側の状態へと脱皮したのです。誰に教わったわけでもありません。通常は、誰の中にもこうした意識成長のプログラムが用意されています。
自我が芽生えたあなたは、そこから徐々に社会性を身に着け、他者の立場に立ってものが考えられるようになり・・・という具合に、より大きい外側のマトリョーシカへと、高層ビルの上の階へと成長・発達してきたはずです。これは誰もが例外なくたどる道です。
そして、マトリョーシカのいちばん外側、高層ビルの最上階に達したあなたは、自我を保ったまま、この世界全体と一体化するはずです。世界で起こっていることすべて、真実も虚偽も、善も悪も、美も醜も、すべてを受け入れ、やさしく抱きしめ、常にただ見ていて、そして記憶にとどめていることでしょう。そう、あなた自身が「アカシックレコード」になるのです。

この項をまとめておきます。
「誰もが、マトリョーシカの内側から外側へ、高層ビルの一階から最上階へ、同じ段階を踏んで意識を成長させる」

■同じでもあるし違ってもいる

蛇が脱皮しながら成長する場合は、脱皮した古い皮は捨て去られますが、人間の意識の成長・発達の場合は、脱皮した古い皮(マトリョーシカの内側)は、自分の内部に含み込まれます。あなたは、その気になれば、自分が脱ぎ捨てた古い意識状態をいつでも取り出して、あたかも蛇が脱皮した自分の古い皮を外側から眺めるように観察することができます。「自分もかつては世界があんなふうに見えていたのだ」という具合に。なぜなら、あなたはそれらの段階を「含んで超え」てきたからです。そこが重要な点です。

あなたは、自分より低い(狭い)意識状態でいる人を見て、「かつて自分もああだった」と思うでしょう。つまりあなたはその人に自分との類似性と相違性の両方を見るのです。その人は、かつてあなたも踏んできたプロセスの途上にいます。そういう意味で、あなたとその人は同じ道を歩んでいます。と同時に、意識レベルにおいては、あなたとその人は明らかに違う段階にいるのです。
あなたは、その気になれば、自分がどのようなプロセスを経て成長したか、その逐一の段階を思い出すことができるでしょう。思い出せるからこそ、隣の人がどの段階にいるかもわかるはずです。ただし、わかるのは、自分より下の段階にいる人だけです。自分より上の段階まで進んでいる人が、今どの段階にいるのかは、想像はできるかもしれませんが、理解するまではいかないでしょう。なぜならその人は、あなたがまだ見ていない景色を見ているからです。それは、能力の差ではなく、段階の差です。

たとえば、あなたがスポーツ選手だったとします。優秀なコーチについて、ある競技の練習をしています。コーチから課題を出され、それを日々こなしていく毎日です。あなたには憧れの先輩がいて、その先輩があなたの成長モデルであり、少しでもその人に追いつきたいと思っていますが、まだとても追いつけません。その先輩は、同じ場所で練習しているのに、あなたとまったく違う景色を見ているようにさえ感じられます。コーチに、どうすればいち早くあの先輩のようになれるのか相談しますが、「とにかく今は自分の課題に集中しろ」と言われます。当然コーチは、その先輩選手には、より高度な課題を与えています。
あるとき、あなたに後輩ができます。その後輩選手をコーチがどのように指導するのか見ていると、あなたに与えてきた課題を、同じ順番で同じように課していることに気づきます。その後輩は、あなたより体格がよく、運動神経もあなたと変わらないように見えます。しかし、その後輩は、あなたがすでにクリアした課題をこなすのがやっとのようです。そのときあなたは、その後輩がどの段階にいるのかが、はっきりわかります。自分も通ってきた道だからです。あるときあなたはその後輩に言われます。「どうしたら、いち早く先輩のようになれるのですか?」と。そこであなたは答えます。「自分の課題に集中しろ」
意識成長も同じプロセスをたどるのです。

この項をまとめておきます。
「あなたは、自分が踏んできた意識成長のプロセスをすべて内側に含んでいるため、そのプロセスを振り返ることができる。しかし、これから歩む道の景色はまだ見ていない」

■社会が用意している成長プログラムの限界

あなたの中には自然に成長するプログラムが用意されてはいるものの、あなたがどこまでマトリョーシカの脱皮作業、高層ビルの上昇作業を「自然に(意識せずとも)」行えるかは、あなたの属する文化圏・生活圏がどこまでの成長プログラムを一般的なかたちで用意してくれているかによっても、大きく影響されるでしょう。
極端な例でいえば、血族ないし同じ部族のメンバー、および近隣の自然環境が普段の生活圏の全てであり、隣の部族のメンバーとは顔を合わせもしない、むしろいつ攻めてこられるかわからない敵である、つまりその部族の生活圏は「異界」である、という認識の未開社会での成長プログラムと、高度な民主主義が実現され、誰もが国際社会の一員であるという認識を持つ先進国の成長プログラムとでは、明らかな差があります。この未開社会の住人を、何の説明もなく先進国に連れてきて生活させたとしたら、どのような深刻なトラブルが発生するか想像してみてください。
そこまでではないにしろ、平和で個人の幸福追求が自由に許されているような文化圏に比べると、紛争と飢餓が絶えず、常に命の危険と隣り合わせのような文化圏では、個人の意識成長には当然差が出るでしょう。
一国の中でも、それが明文化されているか否か、あるいは教育の現場で取り入れられているか否かにかかわらず、家庭・学校・職場など、特定の生活圏で提供される成長プログラムが、人を成熟した「大人」へと成長させるのに充分でないと、社会が一般的に要求してくる大人としての成熟度との間に深刻なギャップが生じる場合があります。
いじめ、虐待、ハラスメント、あるいは引きこもっている人を死に追いやるなどの社会現象は、このギャップが大きな原因のひとつだと、私は見ています。つまり、簡単に言うと、ある一定の成熟度に達した集団の中に、それより下位の成熟度しか示さない人間がいることの危険性ということです。このギャップは、トラブルの被害者よりも加害者の方が深刻です。特に、人の上に立つ指導的な立場の人間が未熟だと、トラブルはより深刻さを増します。

あなたは、ひとたび成長の階段を昇り始めたなら、一段下の意識レベルに戻ろうとは思わないはずです。ただし、あなたがすでに高い(広い)意識状態を獲得していたとしても、あなたが属する文化圏で紛争が勃発したりしたら、あなたはとたんに意識の退行現象を起こすかもしれません。たとえば、何事もなかったとき、あなたは持てるものを独り占めにするのでなく、何でも人と分かち合うような人物だったとします。しかしいったん厳しい状況になったら、食料や安全を奪い合うような暴徒と化すかもしれません。これも重要なポイントです。
そんなとき、あなたが高い意識状態を保ちたいなら、まずは紛争に巻き込まれないようにするはずです。たとえそれがその文化圏において「裏切り行為」と見做されたとしても・・・。あるいは、自分だけ助かろうとするのでなく、人のために自分の命を投げ出すかもしれません。いずれにしても、不幸なことです。

一般的には、あなたが属する社会が到達している平均的な成長ポイントというものがあり、それより下位に位置する人は意識が引き上げられ、それより上位に位置する人は意識が引き下げられる傾向があるようです。
こうした社会的傾向に影響されずに、意識を高い位置で保つことも、なかなか容易なことではありません。封建的で独裁的な国家が、高い民主主義の理想を掲げて変革に取り組もうとする人間をいかに弾圧し排除しようとするか、その現実を見てもよくわかるだろうと思います。
その社会が提供する一般的な枠組みを超えて、さらに成長の階段を昇ろうとするには、よほど意識的な取り組み(たとえば、優秀な師について修行を積む、など)が必要になるだろうと、私は考えています。

この項をまとめておきます。
「誰の中にも自然に意識を成長させるプログラムが用意されてはいるものの、所属する社会が一般的にどこまでの成長プログラムを用意しているかによっても、成長度に大きな差が出る」

以上、自分を取り囲む生活圏全体の成長度が自分の成長度にどれだけの影響を与えるかを見てきましたが、全世界を巻き込んで、個人の意識成長に悪影響を与え、人を意のままに操ろうとするようなものの考え方もあります。次回はそれについて取り上げます。

無料公開中の記事も、有料化するに足るだけの質と独自性を有していると自負しています。あなたのサポートをお待ちしています。