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おっぱいの避妊効果の今昔

授乳には避妊効果があることが知られています。つまり、出産を経て、母親が赤ちゃんにおっぱいをあげているあいだは、月経周期が停止したままになって排卵が起こらなくなり、次の子を妊娠しにくくなるのです。これは、妊娠出産授乳によって疲弊した母体が回復する時間を確保するために、哺乳類にそなわった適応であると言われています。

ヒトでも授乳による避妊効果が見られます。赤ちゃんが母親のおっぱいの乳頭を吸うことで刺激が生じ、刺激の頻度が高いほど母親の内分泌ホルモン濃度が変化して、月経周期の停止に強く影響するようになるのです*1。限定された条件下ではあるものの、世界保健機関 (WHO) は、家族計画における重要な方法のひとつとして授乳による避妊効果を紹介しています*2。

しかし、ここまでの説明を読んで「おや?」と思った方も多いかもしれません。現代の日本では、授乳中であっても月経周期が再開してしまう母親も多いですし、すぐに次の子供が産まれる年子も珍しくありません。どうしてなのでしょうか?

その答えは今回紹介する研究が示してくれます。この研究では、授乳による避妊効果に栄養状態が大きな影響を与えることが示されました*3。


栄養状態の効果

Todd博士とLerch博士は、1975年から2019年のあいだに実施された人口動態や健康状態に関する調査の記録を集め、授乳期間、産後の無月経期間、生活水準のあいだの関係を調べました*3。元になったのは、経済発展状況が中程度以下である84ヶ国で実施された301件の人口調査から得られた、約270万件の出産データです。

分析の結果、生活水準が向上すると、授乳期間と産後の無月経期間の関係が大きく弱まることがわかりました。つまり、授乳による避妊効果が低減しているということです。公衆衛生の取り組みによって、世界各地で最近は授乳期間が長くなってきていますが、それにもかかわらず、産後の無月経期間は反対に短縮する傾向がありました。

また、地域による違いもありました。たとえばアジアでは、最初の6ヶ月完全授乳を続けていた女性は、1990年代はじめには中央値で157日の無月経期間を経験していましたが、生活水準が向上した最近では129日と有意に低下していました。サハラ以南のアフリカでは、生活水準の向上の影響がそこまで強くありませんでした。

栄養条件が向上すると授乳による避妊効果が弱まるという知見はこれまでにも得られていましたが、少数のヒト集団のみを対象にしたものでした*4。今回発表された研究によって、世界的に大きな規模で、こうした効果が見られていることがわかりました。


公衆衛生に進化の視点を活かす

この結果は専門家に驚きと納得をもって迎えられました。公衆衛生では、発展途上国の家族計画において、授乳による避妊効果を重要なものと位置づけていました。人びとの生活水準が比較的低かった数世代前では、授乳がわりとよく避妊効果を発揮しましたが、多くの地域で生活水準や栄養状態が向上した現在には、授乳による避妊効果にこれまでほどの信頼を置けなくなったということになります。

ヒトを含む生物は自身の栄養状態を慎重に評価するメカニズムを発達させ、そうした手がかりに基づいて、意識にのぼるにしろのぼらないにしろ、繁殖における重要な決定が下されるような代謝システムが進化してきました。そうしたメカニズムのひとつが、授乳による避妊効果と言えます。公衆衛生の分野にこのような進化の視点を取り入れることで、より有効な政策が実施できるようになるのです*5。

(執筆者: ぬかづき)


*1 Wood JW. 1994. Dynamics of human reproduction: biology, biometry, demography. New York: Aldine de Gruyter.
*2 WHO. 2009. Infant and young child feeding: Model Chapter for textbooks for medical students and allied health professionals. Geneva: World Health Organization.
*3 Todd N, Lerch M. 2021. Socioeconomic development predicts a weaker contraceptive effect of breastfeeding. Proc Natl Acad Sci 118:e2025348118.
*4 Valeggia C, Ellison PT. 2009. Interactions between metabolic and reproductive functions in the resumption of postpartum fecundity. Am J Hum Biol 21:559–566.
*5 Jasienska G. 2021. Public health needs evolutionary thinking. Proc Natl Acad Sci 118:e2110985118.


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