あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #21


#21  わたしではないわたしのこと


都心から川を渡ったところにある街に、十二年ほど暮らしている。なので、ほとんど毎日電車で川をまたぐことになる。
線路は架橋を通っていて、日が暮れてから電車に乗ると、向こうに街明かりが見える。それを、十二年のあいだいつもすこしずつ、平熱を超えない程度に好きでいつづけてきた。川の上を通る時だけは、iPhoneや、ガラケーや、iPod、文庫本、そのときどきに見ていたものから、いっとき、目をあげる。そのくらい。
その日は終電が近かったのか電車が空いていて、席に座って見るともなく川を見ていたら、隣に座ってきたのは高校生のときのわたしだった。よれた制服に、左右で視力が大きく違うせいで目の大きさがちがって見えるめがね、穴のあいたローファー、てきとうな風体のやつだ。

「そっちはどう?」と声をかけると、「さんざんですよ」という。
「なんで敬語なの?」と聞いたら、「心を許せる人はだいたい敬語で話す間柄なので、逆に敬語のほうが心を許せるようになりました」と返ってくる、うわ、言いそう、わたし、そういうこと。そんで、めんどくさ。
制服を着ていたころのわたしというと、友だちは作れないわ、問題行動を起こして停学になるわ、あげく登校拒否になるわ、本当にさんざんなのだった。そういえば、そのころのわたしがどういう容貌をしていたのかよく思いだせない。隣に座っているやつもところどころあやふやで、直視できない。

「むかしはこの電車、あんまり電波通ってなくて、川が見えたとこでやっと電波がつながって、一気に待ちこがれてたメールが届くんだよね。いまは電波も通るし、メールじゃなくてラインだし、待ってる連絡の相手も変わったけど」
「相手変わったんですか。そうですか」

唐突にわたしはいなくなる。残されたわたしはぼんやりしていて、電車は進み、すでに川は見えなくなっている。そのうち、もともと見ていたiPhoneに目をもどす。
そういうことが、ときたま起きる。

と、いうと、まるで本当にまぼろしを見ているかのようだが、そんなことはない。そういう想像が自然にふくらんでいくときがあるというだけ。でも、想像する過去のわたしの受け答えはみょうに真に迫っているときがあるし、わたしが無理やり想像を作り上げているというよりは、もともとわたしのなかにいた誰かがふらっと出てきたような感覚を得ることもある。

つい先日亡くなったさくらももこさんの漫画が、わたしのこの想像の発端になっている。
『ちびまる子ちゃん』十二巻の巻末に、まる子がおとなになった自分、つまり作者のさくらももこ本人に会いにいく、という話がある。未来にやってきたまる子はウォシュレットに驚き、結婚相手を勘ぐり、そして、「おとなの自分」が漫画家になる夢をかなえていることを知る。
印象深いシーンだ。自分の名前が書かれた漫画の単行本が本棚にならぶのを見渡して、まる子は大きな声もあげず、はしゃぎもしない。ただ涙を流し、短く「毎日たのしい?」とだけたずねる。それに対して、さくらももこは屈託なく笑い、「んっ」とうなずく。
そのシーンを読んでからというもの、ふとした瞬間に、こちらを見上げる小学生の自分と目が合う。

「毎日たのしい?」

たいていのばあい、わたしはまごつく。
さあ、どうだろう……

そうかと思えば、かつての自分そのものがまぼろしのように感じられることもある。

あるいくつかの時点の自分がうまく生きられなかったことを、自分でもちょっとしつこいなと思うくらい書きつづけている。切り分け直し、分析し、検討する、いつまでも解き切らないパズルと付き合っているような気分だ。
そのうちに、だんだんかつて経験したことが色あせ、失われていることに気がつく。鮮烈なやりきれなさや息苦しさが確かにあったはずなのに、それらは目の前の生活や微細なよろこびのなかに簡単にのみこまれてしまう。
あれ? なにがそんなにしんどかったんだっけ?
そういうとき、過去の自分はかたくなに口をつぐむ。なにも思いださせてはくれない。かつて自分が周囲の大人に対して向けてきた不信やおそれの目を、今度はわたし自身が浴びせられるような感覚。自分自身のことくらい当然よくわかっているはずだったのに、急に過去の自分が他者の距離まで遠ざかる。それは不気味で、ひんやりとさみしい。

さいきん、「しょぼい喫茶店」という変わった喫茶店で働きはじめた。
そこで、日曜日の夜から月曜日の朝までの夜通し、「月曜日からの避難所」という場所をひらいている。なんらかの理由で月曜日を迎えたくない人が、寄りあって日曜日の夜をやりすごすための場所だ。
いままさに彼氏とラインでけんかしている最中の女の子や、その当日の飛行機でインドに旅立つ男の子、ほかにもいろいろな人がやってくる。誰でも来ていいことにしているので、知らない人どうしがなんとなく集まってきて、なんとなく夜を分け合う。それを、わたしは半分他人事のような感じで見ている。

「避難所」を開こうと思ったのには、まちがいなく自分がかつて学校に行きたくない子どもだったことが関係している。日曜日の夜は苦しかったし、新学期を迎えがたいあまりに九月から登校拒否が始まった。
深夜の喫茶店でおしゃべりしたりコップを洗ったりカレーをあたためたりしながら、ふと、わたしはあのころのわたしがここへ訪ねてくるのを期待しているんじゃないか、と思う。いまここにいる二十四歳のわたしとは別に、苦しかったころのわたしがまだどこかで苦しみ続けていて、わたしはただそいつに会いたいだけなんじゃないか。
そう思うとにわかに、二度と会えない大切な人を遠くに置いてきたような空白感が生まれる。とはいえもちろん知らない人たちが訪ねてきたら嬉しいし、意味がある、とまではいわないけれど、あ、ひらいてみてよかったな、と思える瞬間もある。
それでもなお、自分はまだなにかを待ちつづけているような気がする。

このエッセイを書きはじめてから季節が一回りしようとしている。
もともと小説を書いていたせいか、はじめのころは自分のことを書くのにそこまで慣れておらず、過度に脚色しないよう自分を律するのがたいへんだった。たいへんなのは変わらないといえば変わらないけれど、自分について書き、読まれることに、すこしは慣れてきたようにも思える。
その中で、共感を期待しすぎないように気を払うことも覚えた。共感されるのはうれしく、自分がそれを追いかけ始めればたちまち共感されないことをおそれるようになるのが目に見えているからだ。だから、あまり普段は人に話さないようにしていることや、これはさすがにわたしだけだろ、と思えることを選んで書く傾向にある。そちらのほうが気楽に、かつ下心なく書ける。

綿密にエゴサーチをするのが好きな方なので、記事が更新されてからしばらくはなんとなしに感想を追いかけている。意図していないとはいえ共感してもらえることもあり、また「こういう人もいるんだ」と一歩引かれることもある、その両者は同じくらいうれしい。なんなら批判されても同様だ。ほんとうになんとなしに目で追っているだけなので、内容はなんであっても「読んでもらえてうれしい」の箱にしまってしまう。

ただ、たまに、わたしの記事に触発されるように自分の経験をとうとうと語りだす人がいると、すこし手が止まる。「共感」の範囲を超えるほどシチュエーションが酷似していたこともあったし、経験自体はちがっても、ぞっとするほどよく知っている感情のことが書かれていることもある。

そういうとき、一瞬、ほんの一瞬だけ、わかれわかれになった過去のわたしを見つけたような錯覚に陥る。でも、すぐに思いなおす。ちがうのだ。その人はわたしではなく、過去のわたしはどこにもいないままで、あくまで、いまこのときのその人と、わたしがあるだけ。
そのことが、わたしはすこしうれしかったりする。

また、自分がとなりに座ってくる。もちろん想像で、実際にはそこに誰もいない。

ライブをしていることとか恋愛をしていることとか仕事をしていること、二十四歳になったこと、とにかくかつてのわたしには及びもつかなかったであろうことを話す想像をする。おおよそしょっぱい顔をされて、「在学中に文学賞とってないんですか?」とか「ぜんぜん教育やりたくないんですけど」とかいわれるだろう。
なにがそんなにしんどかったの? とは聞かない。なんにせよ正確には思いだせないし、かといって同時に忘れ去ることもできない。
そして、わたしはまた唐突に去っていく。

過去のわたしはどこにもいない、といったのは大げさだったかもしれない。当たり前のことに聞こえるかもしれないけれど、「いま」どこにもいないだけで、そいつは幻の存在でもなんでもなく、かつて明らかに実在していた。
そして、いままさに実在しなくなっていく「わたし」のこと、あるいは、いままさに実在しなくなっていく誰かのことを考える。
未来からここの「わたし」を見おろす、ひんやりとさみしそうなある視線のことを考える。

★お知らせ★

『あなたになれないわたしと、わたしになれないあなたのこと』、2017年10月23日に連載をはじめ、おおよそひとまわりのあいだ、21回目までつづけてこられました。とつぜんですが、「これまでの人生で出会ってきただれかのことを書く」というテーマで書いてきたこのエッセイは、あと二回、第23回で連載終了になります。さまざまなかたちで見守り、応援してくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。いただいたコメント、サポート、SNS上でのシェア、たいへんよい栄養になりました。また、エッセイを通してわたしを知ってくださった方が、ライブや喫茶店などで実際に会いに来てくださることも多く、それもまた至上の喜びでした。
一旦区切りをつけるとはいえ、なにかしらウェブ媒体で書くことはつづけていく予定なので、これからもゆるくお付き合いいただけたらうれしいです。
感謝を込めて。

(向坂くじら)


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