あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #11


#11  もういない人のこと


その日、友だちが死んだことを知らせるメールは、朝早く、わたしが眠っているあいだに届いた。大学の夏季休暇中で、予定が午後からだったので昼まで寝ていた。まだラインが普及しきる前だった。
目がさめたとき、メールの内容を確認して跳ね起きたのち、なぜか間もなくふたたび眠った。二度寝を終えると、衝動的に美容院を予約して髪を切り、そのあとは予定通り卒業アルバムを受け取るために母校へ行って帰ってきた。

記憶にあるかぎり、わたしはその日一度も泣いていない。
夜になってようやくごくわずかな共通の知りあいに訃報を伝え、あらためてメールを読み返しても、頭が日常モードから切り替わらなかった。寝ぼけてメールを開いたときの半分夢のような感覚からなにも変わらない。連絡が来た時点で、彼が死んでから一カ月以上経っていたことも大きいかもしれない。
自殺だった。自殺に遅いも早いもないけれど、でもまだ二十五歳だった。

「あなたになれないわたしと、わたしになれないあなたのこと」というタイトルが決まったときから、いつか彼について書きたいと思いつづけてきたけれど、すでに何度か挫折している。三月は自殺対策強化月間だから、これを逃したらもう書かないだろうと思ってふたたび書きはじめた。でも、いない人のことを書くのはやっぱり骨が折れる。
いない人、というと、記憶のなかにいるだなんだと言われることがあるが、そんな文句、少なくともわたしにとってはおためごかしにすぎない。
そりゃあ記憶のなかにはいる。生きているときよりいるくらいだ。時にわたしの一部になったかのように語りかけてきさえする。でも、それらをひと息に吹き飛ばすほど、「いない」ということは強烈で、クリアだ。なにもいないことはとてもわかりやすい。その鮮明さに比べれば、「いる」こと、まして「いた」ことなど、どこまでもあやふやに思えてくる。
訃報を受けとってからしばらく、気分はほとんどかなしみの方へはふれなかった。もともとこうなることがわかっていたような気がしたことと、死後の世界を漠然と信じてきたのが急にばかばかしくなったことを、よく覚えている。

年来の付き合いだった。六つ年上の男性で、中学生のときインターネット上で友だちになった人だった。SNSで知りあい、メールアドレスを聞いてからはしょっちゅうメールを交わした。
やりとりするうち、少しずつ彼の暮らしぶりがわかった。親が信仰している宗教に馴染めないこと。家庭内暴力のこと。家族の選んだ会社にしか就職を許されなかったこと。お前は人間ではない、生きる価値がないと言われつづけてきたこと。
わたしは当時十五、六で、彼がひとつ打ち明けるたび、自分には及びもつかない苦境におののき、憤り、どうにか支えになりたいと願った。そうして、幼いわたしのちゃちな励ましや慰めが、つねにわたしたちのあいだを埋めた。
わたしは根拠のない「大丈夫ですよ」をくりかえし、またくりかえし「死なないでください」と言った。そう言ってさえいればぜったいに喪うことはないのだと無邪気に信じていた。

でも、他者に渇いていた彼にはそれでも十分だったらしい。
あるとき彼は、「きみは天使だ」とメールを寄越した。「仮に、いつもおれを見守ってくれている天使のような存在がいるとして、それはきみの姿をしている」
わたしはちょっと笑って、ちょっと引いた。そんなわけない。言いすぎだ。気休めを重ねているだけで、本当はわたしにあなたを助け出すことはできない。そう強く自覚していたにもかかわらず、わたしは同時にうれしかった。自覚していたからこそ、かもしれない。
わたしは天使ではない。でもそう思うことであなたが生きていけるなら、なんと呼んでくれてもいいと思った。

いちおう書いておくと、彼に対して恋愛感情を持ったことは一度もない。彼のほうでどうだったかは知らないが、少なくとも互いのやりとりの上では、わたしたちは兄と妹のように振る舞っていた。
気持ち悪い、屈折している、と感じるかもしれない。もしくはわたしが下心をもった危険な男に引っかかっているように映るかもしれない。もしわたしが聞いた側でもそう思う可能性は大いにある。そのころも、友だちに彼のことを相談すると、やっぱり「手を引いたほうがいい」「自衛したほうがいい」と忠告された。
それがわたしの身を案じてくれていたことはよくわかる。でも、みんなそこで止まっていて、わたしの向こう側にいる彼の身まで同じように案じてくれる人は誰もいなかった。善意や優しさみたいなものは大体のばあい貫通力を持たず、そこまで遠くへは広がっていかないらしい。
では、そのように内々で交わされる愛着の輪みたいなものに入れなかったとき、あるいは不意に疎外されてしまったとき、誰がその人の身を案じ、拾いあげるというのか。
彼はそんなふうにこぼれ落ちてしまったひとりだったと思う。誰にどれだけ心配されても、わたしはその寄る辺なさを味わうばかりだった。

彼が死んでしまったと知ったとき、わたしには告白されてなんとなく付き合いはじめたばかりの交際相手がいた。交際相手は頭はいいけれど、わたしが体重を寄せられるほどの余白を持っていない男だった。
訃報から数日したころに突然かなしみが気持ちに追いついて、たまらなくなってその人にラインを送った。自分から連絡するのはほとんどはじめてだったかもしれない。

「友だちが亡くなりました。すごく悲しいです。人と付き合った経験がないのでわからないのですが、悲しいときはあなたに言っていいんですか。」

返信の文面はやさしかった。

「悲しいときは言ってくれていいんですよ。彼氏なので、あなたの支えになりたいです。」

彼氏なのでって、いや、まあ、そりゃ、そうか。
携帯の画面を見るじぶんの眼差しがふっと冷えるのを感じて、それ以上友だちのことは話せなかった。それから間もなく、その人とは別れてしまった。

彼が亡くなって四年半になる。わたしは知り合ったときの彼の歳を粛々と追い越し、彼の亡くなった歳が迫ってくることにおびえている。

誰かが自殺すると、周囲の人が最低六人強い影響を受けるという。
わたしも、亡くす、ということはこれほど大きいんだ、というようなことを書きたい気もするけれど、実際わたしの暮らしはほとんど揺らいでいない。
互いに本名も知らない相手だから葬儀にも行っていないし、お墓の場所もわからない。それに、あんなに相談に乗っていたはずなのに、いなくなるときは予兆さえ見せなかった。ただメールが来なくなっただけ。張りつづけた紐がついに地面に落ちるように、彼はすべらかにいなくなってしまった。
そのあまりの自然さに圧倒されるときがある。
「救えなかった」と思えるほど傲慢な未練はない。ただ、そうなってしまったんだなあと思う。ときどきメールを送ってみるけれど当然返ってこない。そういうことをしていると、ずっと前からこの状態だったような気がしてきて、かつて彼が生きていたことのほうが信じられなくなってくる。「どうすれば死なずにすんだんだろう」と考えることのすべてが、すさまじい無茶にしか感じられない。
でも、「生きていてほしかった」という気持ちだけは、その強大な自然さにあらがうようにはっきりと残っている。

天使だなんて思わせて悪いことをした。
本来なら、いや、わたしは人間であってあなたの天使ではない、そりゃあ、手助けはしたいけれど、あなたは最後にはあなた自身であなたを救ってほしい、とでもいえばよかった。

彼のあとにも、何人かの人がわたしを称して類することを言った。なぜかたびたび聖なる存在といわれたり、神さまといわれたり、人類のなかで唯一の救いであるといわれたりするのだ。そのうちのいくつかは恋愛感情の告白だった。
おそらくそれは、多かれ少なかれ輪を疎外された人が、ふと誰かに体重をあずけたいと願う瞬間だったのだろう。わたしがそういう人と時間を共にするのが好きで、たまたまそこに居合わせることが多いから、なにかしら希少な存在に見えるのかもしれない。
そのたび、わたしはあいまいな態度をとり、愛想笑いでごまかし、相手によっては恋愛感情に内包されたわずかな暴力性を槍玉に挙げて逆上し、ふさぎこんだ。まわりからは「褒められているんだから(好かれているんだから)そんな反応しなくても」と呆れられ、自分でも過剰反応だとわかっているのに、どうしても忌避感が消えなかった。

なぜか。おそらく、第一に、わたしは輪の中に閉ざされた愛情から逃れたかったはずなのに、逃れようとしてきたゆえにそれを自分が求められることへの抵抗。
そして第二に、自分の無力さに自覚的であるような顔をしながら、本当は、ずっと「天使」になりたかったことを、見抜かれてしまったような恥ずかしさ。
わたしは天使ではない。誰がなんといおうと。いや、ずっと、わかっているつもりなんだけど。

「生きていてほしかった」と思いつづけることは、本当に楽じゃない。

正直、彼が死んだ理由がぜんぜんわからない。置かれていた環境こそ知っていても、最後に彼になにが起きたのかは見当もつかない。
だから、いや死ぬなよ、生きててほしかったよ、なんで死ぬんだよ、みたいな感情がお風呂あがりとかにとめどなくなったとき、かえって自分が彼の他者であることが際立って苦しい。そうだよね、死ぬよね、とは、言えない。わたしも人生の選択肢に自死を数えたことはあるけれど、あなたがそれを選んだことには、いつまで経っても納得がいかない。それがさみしい。

いま、死にたいと訴えてくる人と接するとき、あらためてそのことを思い出す。
たとえ死にたい理由に九十九パーセント同感し、心から納得できたとしても、わたしは最後の一パーセントを譲ることができない。そこで唐突に相手の立場から身をひるがえし、遺されていく側でしかいられなくなってしまう。ディスコミュニケーション。
だけど、亡くなった友だちはわたしが気落ちすると大げさなくらい心配して、メールで「大丈夫か?」と聞くかわりにタイピングを横着して「だいじか?」と送ってくる、そのたびわたしは、「うん、大事だよ」と思った、あのときだって、十分ディスコミュニケーションだった。

わたしは天使ではなく、あなただけを大事にすることさえできないけど、あなたには生きていてほしい。
そのことを、早く上手に言えるようになりたい。わたしを天使と呼んだ人たちもそう、じつは死にたいのだと打ち明けてくれる人もそう。もしそう思うことがあなたとわたしのあいだの無理解を深めていくばかりだとしても、わたしはあなたには生きていてほしい。

書き忘れていたけれど、友だちはけっこうばかだった。
わたしがいまだに、手遅れだと知りながら彼に対してもそう思いつづけ、そして、暮らしにこそ変化はないけれど、おそらく「六人」の中に数えられるであろうことを知ったら、彼はたぶん、わたしがちょっと引くくらいうれしそうにするだろう。
そういうやつだった。
                               (向坂くじら)

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