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"THE MIGHTY LEMON DROPS"の事。

”ネオ・サイケデリック”、海外では"Neo-psychedelia"という、なんとも曖昧な音楽カテゴリーがある。日本と海外ではかなり意味合いの隔たりがあって、イギリスとアメリカでもかなり異なるみたい。アメリカではクラシックなサイケデリック・ロックの革新性と実験性をベースにしたヘヴィなサウンド、イギリスでは、ポスト・パンクと結びついて発展したAcid punkとも呼ばれるサウンドのバンドを指す。奇人変人Robyn Hitchcock率いるThe Soft Boysを皮切りに、Julian Cope率いるThe Teardrop ExplodesやWah!がシーンを形成し、後発ながらネオ・サイケデリックの中心となったのがEcho & the Bunnymenって感じでしょう。ここ日本では、ネオ・サイケというと、Echo & the Bunnymenに代表される浮遊感を持った陰鬱で幽玄なギター・サウンドとゴシック・テイストなダークな美意識を持ったバンドが特にこう言われる感じですかね。Sad Lovers And Giants, Cindytalk, The Chameleons, The Snake Corpsなどなどなど、まだまだいるけどこの辺で。このバンドたちは、日本ではまずまず人気があったけど、本国ではかなり苦戦したし、良質な作品を残しながら10年も続かなかったバンドが沢山いた。非常に勿体ない事だとは思うけど、これも運命か。中でも、Echo & the Bunnymenの遺伝子の最良の後継者とされ、そこそこの成功は収めたこれども、あまり大きな評価を得られなかったバンドがいた。とある日本のバンドからは「化けなかったバンド」と揶揄されてしまったり、ネオ・サイケデリックの代表的なバンドには挙げられなかった。その陰には、またもやメジャー・レーベルの干渉があったのか、無かったのか。10年足らずのバンド活動は幸せなものだったのか。バンドの名前は、The Mighty Lemon Dropsと言いました。

[Like An Ange] (1985)

The Mighty Lemon Dropsは、英国イングランドはウェストミッドランズの都市、ウォルヴァーハンプトン出身。学生時代からの友人だったヴォーカル/ギターのPaul MarshとギターのDave Newtonが出入りしていたクラブで出会ったTony Linehanと意気投合し、3人でActive Restrainというバンドを結成したのがはじまり。このバンドは、シングルを1枚リリースしたものの、Dave NewtonがThe Wild Flowersを結成するために脱退して消滅、Paul MarshとTony Linehanは、ドラムスのMartin Gilksを加えて新たにバンドを結成します。バンド名としてSherbert Monstersを名乗っていたと言われていますが、それはデマで、最初からMighty Lemon Dropsだったとメンバー自身が語っています。Martin Gilksは間もなく脱退してThe Wonder Stuffの中心メンバーとなり、新ドラマーとしてKeith Rowleyが加入し、The Wild Flowersを脱退したDave Newtonも加わって、The Mighty Lemon Dropsが結成されます。1985年の事でした。ウォルヴァーハンプトンには良いライヴハウスもクラブもムーヴメントも無く、うんざりした彼らは、隣町ダドリーのライヴ・ハウスJB'sを拠点として多数のギグを行います。バンドの演奏に自信を持ちはじめた彼らは、敬愛するTV PersonalitiesのDan TreacyとガールフレンドのEmily Brownが運営していたインディ・レーベル Whaam! Recordsへデモ・テープを送っています。音楽グループのWham!からのクレームで、レーベル名をWhaam! Recordsから変更したDreamworldからデビュー・シングル"Like An Angel"をリリースしています。ダークで幽玄なギターの深みのあるサウンドを中心に、ちょっと混沌として騒がしいバンド・サウンド、陰鬱で青臭いヴォーカルと個性的なメロディのミックスは、初期Echo & the Bunnymenのダークなサイケデリアを継承するもので、たちまち評判となり、John Peelのラジオ・セッションに招かれた事もあり人気を博し、英国インディ・チャートのトップにランクされました。NMEの名コンピレーション”C86”のために新録の"Happy Head"をレコーディングし、NMEのムーヴメントに鮮やかに乗っけられた彼らに、メジャーのChrysalis Recordsが目をつけ、Rough TradeのJeff TravisがChrysalis傘下に設立したレーベル Blue Guitarの第1弾アーティストに抜擢されます。バンドは、たった1枚のシングルで大きな成功への道を獲得したのでした。いきなりメジャー・レーベルとの契約をどう思ったかの問いに、大ファンだったJeff travisと仕事が出来るという事の喜びの方が大きかったと後に語っています。実際、Jeffの存在は大きかった様で、バンドとレーベルとのクッション的な役割を担ってくれた様です。

[Happy Head] (1986)

1986年には、The Smithsを送り出す直前、まだ駆け出しのプロデューサーだったStephen Streetが手掛けたシングル”The Other Side Of You”とデビュー・アルバム”Happy Head”をBlue Guitarからリリースしています。この作品は、ヴィンテージの12弦セミ・アコースティック・エレクトリック・ギターの深みのある音色と、マイクロ・フレット・スぺーストーンの風変わりなギターの絡み合いによる独特な浮遊感を醸し出すギター・サウンドを中心に、愁いを持ったバンド・サウンドと、青臭いヴォーカルとメロディのせめぎ合いは、比較されていたEcho & the Bunnymenとは異なる魅力を放っていました。アメリカでもメジャーのSireとの契約をモノにし、シングル収録曲やライヴ音源を集めたコンピレーション・アルバム”Out Of Hand”をアメリカ向けにリリースしています。このアルバムの収録曲”Out Of Hand”のプロモーション・ビデオは、かのデレク・ジャーマンが手掛けており、イギリスのテレビはもちろん、アメリカのMTVでもオンエアされました。

[World Without End] (1988)

1988年には、2作目のアルバム"World Without End"をリリースしています。本人たち曰く”尖った”アルバムで、基本線はデビュー時から変わらない、幽玄な12弦ギターと自由なベースライン、青臭いヴォーカルとメロディからなる、センチメンタルでパワフルなギター・ロック・アルバムとなっています。アルバムの冒頭を飾るポップでファンキーな”Inside Out”は、プロモーション・ビデオが制作されてMTVなどでオン・エアされ、カレッジ・ラジオを中心に大人気となり、最終的には、この年のRolling Stone紙が選んだ優れたカレッジ・ラジオ・ソングの1位に選出されています。このアルバムは、イギリスではBlue Guitarから、アメリカではSireからリリースされています。この頃、Blue Guitarが閉鎖することになり、それまでメジャー・レーベルとの間を取り持ってくれたJeff Travisを失い、メジャー・レーベルと直接やりとりしなければならない事がバンドの状況を一変させます。しかし、Sireとは非常に良好な関係だった様で、アメリカでのプロモーションは非常に熱心に行い、ライヴ・ツアーもアメリカを中心に行っています。

[Laughter] (1989)

1989年には、3作目のアルバム”Laughter”をリリースしました。このアルバム制作中に中心メンバーのTony Linehanが脱退し、レコーディング中に環境を変えなければならなかったのはかなりストレスだったと想像されますが、ベーシストとしてMarcus Williamsを迎えた新しいラインナップで制作を続行しています。レーベルが起用したプロデューサー、The Go-BetweensやLa's, Travisなどを手掛ける事になるMark Wallisと共に制作されたこの作品は、当時イギリスを席巻したシューゲイザーに寄せた様なサウンドであり、これまでのバンド・サウンドにあった鋭角な部分が削ぎ落された非常に聴きやすいサウンドに変化、バンドの核となっていたセンチメンタルな部分が後退し、爽やかで伸びやかな作品に仕上がっています。何だかジャケットもこれまでとは非常に異なる明るいイメージのものになっていますが、バンドのメンバーも脱退したTonyも、この変化をポジティヴに受け止めている様です。この作品は、Chrysalis Recordsからの直接リリースとなっていますが、本国イギリスでのセールスは奮いませんでした。しかし、アメリカでは依然として人気が高く、初めて全米ナショナル・チャートにランク・インし、プロモーション・ビデオはMTVで頻繁にオン・エアされました。そのためか、Chrysalis Recordsは早々と契約を解除しますが、アメリカでのSireとの契約は残り、バンドはアメリカを中心にリリース活動を行います。

[Sound…] (1991)

1991年のアルバム"Sound…"、1992年のアルバム"Ricochet"は、Sireからアメリカ、ヨーロッパ向けのみのリリースとなっています。この時点で、バンドとしてやるべき事はやり尽くしたと判断した彼らは、この2枚を最後に潔く活動を終了しました。10年に満たない期間ではありましたが、流れるような自然な活動は、バンドの理想形と言えるのかも知れません。バンド解散後、Dave Newtonは、カリフォルニア州バーバンクに自身のレコーディングスタジオである Rollercoaster Recordingを立ち上げて運営しています。他のメンバーは、主だった音楽活動はしていませんが、2000年には地元ウルヴァーハンプトンで1回限りの再結成ライヴを行っています。レーベル消滅の関係で、ややこしくなっていた権利関係がクリアされ、過去作品はリイシューされ、音源の発掘も行われている様です。ただ、本人たちが納得する形でのリリースはされていない感じですが...。

彼らの事を化けなかった、中途半端に終わったバンドと言う向きはありますが、自分たちのペースを変えないスタンスには好感が持てるし、結果としてイギリスのインディ系のバンドとしては稀な、イギリスとアメリカ双方のリスナーの支持を受ける事が出来た。その一因として、どこの国でも関係なく、自分たちのサウンドを好きになってくれた事への感謝を忘れずに、実直に活動した結果だと思います。何より、自分たちの好きな音楽をやり切って活動を終了したという、幸福なバンド人生だったと思います。今回は、ポップでファンキーなギター・サウンドと憂いのあるサウンドが魅力的な、アメリカでも人気を博したこの曲を。

"Inside Out" / Mighty Lemon Drops

#忘れられちゃったっぽい名曲


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