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【2】新卒で入社した大手メーカーを1年で辞めた話「内定」

2017年10月下旬某日、私は大手メーカーの一次面接を受けるために埼玉県某市にいた。確か平日の月曜日だったと記憶している。

その日は、冬が始まったかと思うくらい肌寒く、地面を打ちつけるような強い雨が降っていた。

そのメーカーの東京支社は、なぜか「東京」から離れた「埼玉」にあった。私は東京駅から電車を乗り継いで、その支社の最寄駅まで向かった。

最寄駅に着いた私は、特に迷うことなくその支社が入っているオフィスビルを見つけることができた。というのも、駅を出てすぐのところに、そのメーカーのロゴをあしらった巨大なオフィスビルが聳え立っていたからだ。

おそらくバブル期に建てられたと思われるそのオフィスビルは、確かに巨大で立派な建物ではあったが、全体的に老朽化が進んでおり、ビルの窓ガラスもかなり燻みを帯びていて、どこか物寂しさを感じさせていた。

そのメーカーは、1990年代に某分野の家電製品がヒットしたことで一時は業界でかなりのシェアを誇っていたが、2000年代中頃から経営が傾き出し、現在は収益性の低い部門をクローズさせるなど事業整理を行ったり、大規模なリストラの実施を図るなど、企業として非常に苦しい状況に置かれていた。

その窮状は、私の目の前に聳え立つ「老朽化したビル」の様相とリンクしているようだった。

私は、オフィスビルの一階に入り、エレベーターホールに向かった。

エレベーターホールはかなり広く、合計8機のエレベーターを運用している立派なものだったが、不思議なことに、平日のお昼過ぎにも関わらずエレベーターホールには社員は一人いなかった。もっと言えば、ビルの入り口に入ってからエレベーターホールに着くまでに、(警備員を除いて)誰にも会わなかった。

フロアは、怖いくらい静かだった。

私は、エレベーターでビルの11階に向かった。11階に着くと、「〇〇株式会社 第四期選考 一次面接会場」という小さなたて看板があり、その横に学生の控え室と思しき部屋の入り口が見えた。

入り口から部屋に入ると、その部屋は大学にある「講堂」のような内装をしており、数百人を収容できると思われるかなりの広さから、おそらく会社の全社集会やセミナーなどに利用する部屋だということがすぐに分かった。

その広さの一方で、選考を受けにきた学生は両手で数えられるほどしかおらず、ひどくアンバランスな印象を感じた。

やはり、大半の企業が選考など行っていない10月の時点で「第四期選考」を行っているくらいなので、そもそも選考を受けにくる学生の数が少ないのだということがすぐに分かった。そのメーカーの「不人気さ」がここでも垣間見えた気がした。

席に座って少しの間待っていると、社員の女性(おそらく30代中頃だった)が私の名前を呼んだ。立ち上がってその社員のところまで行くと、部屋を出てすぐ隣にある面接会場に向かうように説明された。

私は言われるがまま面接会場に向かった。会場のドアを3回ノックをすると、「入ってください」という男性の低い声が聞こえた。

面接会場に入ると、面接官役の社員が2名椅子に座っており、その前に長机が置かれ、そこからちょっと離れたところに学生が座るための椅子が用意されていた。社員はどちらも50代半ばくらいの男性だった。

面接の流れは、いわゆる一般的なものだった。最初に自己紹介を行い、志望動機、学生時代に頑張ったことなどを順番に聞かれた。

私は、正直そのメーカーに絶対に入社したいという強い思いのようなものはなかったが、4年生の10月時点で内定が一つもないという苦しい状況で、(経営難とはいえ)知名度の高いメーカーから内定をもらえるということは非常にありがたかった。

そのため、何としてでも内定をゲットしなければならなかった。私にはもう後がなかったのだ。

志望動機では、嘘を並べた。本当はその企業の製品なんて使ったこともないし、生まれ育った川崎の実家にもなかった気がするが、「幼い頃から御社の製品に囲まれて育ちました」など、今思えば非常に恥ずかしいというか、青臭い内容を並べ立てた。

学生時代に頑張ったことでも、同様に嘘や誇張を織り交ぜた。以前書いた通り、私は大学では何のサークルにも所属していなかったが、面接での私は「100人規模のテニスサークルをまとめる有能な幹部メンバー」になっていた。

面接は終始スムーズに進んだ。緊張しやすい性格だったが、これまでいくつもの面接を受けてきた(そして落ちてきた)ことで「慣れ」が生まれており、落ち着いた受け答えができた。

私からの逆質問も終わり(ここも「仕事のやりがい」とか当たり障りのない内容を聞いた気がする)、面接も終わりに差し掛かったところで、面接官の一人の50代後半と思しき白髪の社員が口を開いた。

「ニュースや新聞でも報道されている通り、今の弊社の経営状況は決して良いものとは言えないが、それでもあなたは弊社を志望しますか?」

私は予期せぬ質問に一瞬戸惑ったが、ここで

「いや、正直言うと入社はしたくないですね。どこでもいいから内定が欲しいだけなので・・・」

などと言えば、100%落ちることは要領の悪い私でも瞬時に分かったので、

「はい。私は御社を志望します。御社に入社し、懸命に働きながら、お客様にたくさんの価値を提供したいと思っています。」

という就活ハウツー本のテンプレートのような答えをした。私の回答を聞いた後、質問をしてきた白髪の社員には少しのあいだ考えるような時間があったが、すぐに

「なるほど、分かりました。答えづらいような質問をしてしまってすみませんね。ありがとう。」

と言った。

面接が終わり、私は帰路についた。面接の手応えはあったが、これまでいくつもの面接で落ちてきているので、期待をする気持ちは全くなかった。

・・・

面接から1週間経っても、そのメーカーから結果を知らせる電話やメールは来なかった。

私は焦った。面接は終始スムーズに進み、受け答えも問題なかったはず。面接官とも和やかにやりとりできていた。何がいけなかったのか?

「志望動機」や「学生時代に頑張ったこと」が、実は嘘や誇張で塗り固めた虚構であることがバレていたのか?

逆質問で当たり障りのない内容を質問したのがいけなかったのか?

それとも、最後の面接官が聞いてきた質問に対してあまりにもテンプレすぎる回答をしたので、それが良くなかったのか?もう少し、不格好でもいいから本音を混ぜた回答をすべきだったのか?

いくら考えても答えは出なかった。

・・・

面接から2週間経過した。まだ、その企業から電話やメールは来なかった。
私は半ば諦めていた。

浪人を経て早稲田の法学部まで入ったのに、結局一個も内定を得ることができなかった。

結局、就活で大事なのは「学歴」ではなく、天性の「要領の良さ」とか「コミュニケーション能力」なのだ。

要領もコミュニケーション能力もなく、何より「働きたい」という気持ちが一ミリもない私は、人生を左右する重要なイベントである就活に対して最後まで本気で取り組むことができなかった。

私は、来年また就活にチャレンジするべく、大学を留年することを決めた。

・・・

面接から約一ヶ月が経過した12月初頭、私は早稲田大学近くのラーメン屋にいた。

その日はゼミの集まりがあり、キャンパスに寄らなければならなかった。ゼミの友達に会った時に、「内定を一個も得られなかったから留年することにした」ということをどのように伝えればいいのか、私には分からなかった。

ラーメンを食べ終わり、私は店を出た。

12月に入り気候は一気に寒くなっていた。また、その日は強い雨も降っていた。私はふと、10月に面接を受けた大手メーカーのことを思い出していた。

(前に埼玉まで面接受けに行った時も、こんな感じの天気だったな・・・)

その時、私のスマホが鳴った。

ゼミの友人からの電話かと思ったが、かかってきた電話番号は非通知だった。私は不審に思いつつも、通話ボタンを押した。

電話の相手は、10月に面接を受けた大手メーカーの人事部の社員だった。

そして、電話の内容は私の「内定」を通知するものだった。

(面接から1ヶ月も経って、今更連絡してきたの・・・?)
(一回しか面接していないのに、もう内定くれるの・・・?)

私の頭の中では、複雑な感情が入り混じっていた。

2017年12月、私は大手家電メーカーの内定を獲得した。

(つづく)


退職まで、あと467日。


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