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自分の世界の操り人形は誰か?「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」レビュー

世界一有名な寓話をベースにしているからこそ、ここまで政治性の強い映画になったのだろう。オリジナル脚本ではこのような政治性の強い映画は結局のところ見たい人にしか届かないことを監督は知っている。

この企画が発表されたのは2008年。監督はこの映画を「作らない方が怖い」と表現している。それから15年ほどの歳月をかけてついに公開となった訳だが、監督のメッセージは日を追うごとに重くのしかかる世界となってしまった。

たくさんのイシューが描かれているが、私が一番刺さったのはキャンドルウィックが政府高官の父親ポデスタに歯向かう形で自らの意思を表明するシーン。

ファシズム勃興期にさまざまな人が操り人形になった歴史において、彼もまた父親に好かれたいと行動する。しかし、それまで振り払ってきた思いをピノキオとの交流をきっかけに奮い立たせた。ここで一人の少年が人形ではなく本当の少年になった瞬間が描かれる。松の木で作られたピノキオを通して、生身の人間が操り人形から解放される姿が描かれる。

見せ物小屋のサル、スパッツァトゥーラも大きな葛藤の中で最後には自らの意思で決断する。

デルトロ監督が「作らない方が怖い」という危機感の中で伝えたかったこと、伝えるために選んだテーマそして大胆な時代設定。それを15年前に行動に移し着々と進めてきたこと。

自分の世界の操り人形は誰か?自分の手足に糸は垂れていないか考えさせられた。


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