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だから読者は感想しか書けない。

岡崎隼人キタ、オレ歓喜。 

 ついに岡崎隼人の新刊が出た。こんなにうれしいことはない。生きててよかった。

 以下、岡崎隼人『だから殺し屋は小説を書けない(講談社)』の感想文のようななにか。


小説小説

 18年ぶりの新刊である。岡崎隼人のデビュー作を僕が読んだのは15年ほど前なのであまり内容は憶えていないが、他の作品も読んでみたいと思う作家だっただけに2作目が刊行されて嬉しい。これを機に1作目も文庫化してほしい。
 物語は、殺し屋の話である。殺し屋の主人公は自分のターゲットが事件の犯人ではないのではないかと疑問を抱いて捜査を始める。ミステリ的展開でありながら、殺し屋たちのバトルもある。クライムサスペンスではあるけれど、愛を取り戻す話でもある。心を殺したはずの主人公は僕に似ていた。そして小説の世界に救われるのも似ていた。小説が好きだという感情を肯定してくれてさらに救われる。殺し屋小説なんかじゃない、小説小説だった。76冊買ってしまいそうな作品だった。

ちぐはぐさ

 主人公は捜査の過程でさまざまな違和感に出会う。ちぐはぐさがあると何度も、自分に、読者に問いかける。なんかモヤモヤしている。筋が通っているようで通っていない。裏になにかがある。あるいは前提が間違っている。それを探す主人公の存在がちぐはぐなキャラクタで、心を殺したはずなのに、身体の内から聞こえる声は何だ。小説が好きだというこの感情は何だ。好きな作家の作品を全文暗記していて、好きな作品を76冊買ってしまう行動の正体は何だ。他人の心なんてわからなかった。わかろうとしなかった。他人に心があるなんて想像していなかった。でも小説にはそれが書かれていて、そこに惹かれて、でもその感情の正体を知らない。それをうまく言語化することは困難で、だから殺し屋は小説を書けない。

 クールな殺し屋の話なのに黄やピンクの鮮やかな表紙が目について、そこからちぐはぐさは始まっている。読み始めると静かに物語が始まる。と思ったら第2章から一気に加速する。クールな殺し屋が主人公だと思っていたら、大ファンの作家に出会って冷静ではいられなくなる。そらそうだよね。そして焦りや油断も生じる。現実離れした設定なのに現実的なキャラクタがよかった。そんなん殺し屋じゃねーよって本物の殺し屋から苦情が来るかもしれないけれど、人間なんて完璧ではないしどこかしらが歪んでいて当然だろう。完璧な人間を描かないところに好感が持てる。
 主人公が敬愛する作家も悲しい過去があって、他の殺し屋連中も殺したはずの心に悲しみを背負っている。
 それでいいんだ。
 殺し屋だって小説を書いたっていい。書けないと思いこんでいるだけだ。心を殺したと自分で思い込んでいる。クールな殺し屋であろうと自分に言い聞かせている。そうであると勝手に読者も想像している。それだけのこと。その思い込みがちぐはぐさの正体だろう。

感想を書かなければならない

 正直、18年ぶりの新刊なんて、本当に出るのか? という感じだったし、内容にしても18年ぶりの新刊に期待などしていなかった。ところが名作だった。今後も新刊が読みたいぜ。また書いてくれ頼む。『火蛾』の古泉迦十さんが新作を出すとか出さないとかずっと話題だけれど、それも完成するのか僕にはわからない。でもかつてのメフィスト賞受賞者が新作を発表する流れは熱いので僕は待っている。二郎遊真さんも『マネーロード』面白かったので、復活してほしい。一番新作を待っている浦賀先生♡ はいなくなってしまったから。新作を書くのは、そして出版するのは、もちろんそんな簡単なことではないのはわかっている。でも浦賀さんや殊能さんに会いに行く前に新作を届けておくれ。読者にできることは本屋で本を買って感想を書くこと。それが一番の愛の形だと思う。
 この小説が、今年出版される本で最高傑作かというとそんなことはわからない。それは読者の心理状況や社会情勢や時代背景などによって違う。様々な意見があるだろう。超面白かった、あるいは期待外れだった。でもね、そんなことより、岡崎隼人の新作が読めたことが何より嬉しい。たぶんもっと傑作を書けると思う。そして岡崎隼人が紡ぐ物語は、岡崎隼人にしか書けない。だから読者は感想しか書けない。この物語の続き、あるいは別の物語を岡崎隼人の世界を、僕は待っている。

まとめ

「だってお前は、小説を好きなんだろう? それが心じゃなくてなんなんだよ。好きが心じゃなくてなんなんだよ」

p.186

 終

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