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書き言葉は話し言葉の影に過ぎない

文化の読書会ノート

納富信留『ソフィストとは誰か』第2部第8章 言葉の両義性ーアルキダマス『ソフィストについて』 結び ソフィストとは誰か

アリストテレス『ニコマコス倫理学』と本書を交互に読んでいる)

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アルキダマス『ソフィストについて』は、古代ギリシャの知的活動にあった、今の時代では忘れ去られた影を時代の証言として浮彫にしてくれる。

「語り言葉」の「書き言葉」への優位性であり、かつ、そこにプラトンやアリストテレスもジレンマを抱えていたのだが、それをどう「処理」しようとしたのか?が想像できる。

現代人はソフィストの弁論術をプラトンの哲学からの批判やアリストテレス『弁論術』によって知るが、アルキダマスの語る内容もさることながら、アルキダマスと同時代の哲学者の関係を考慮して評価する必要がある。

アルキダマスはソフィストと作家は異なると指摘し、即興性を発揮する身体運動にもとづく語る人の優位と重要性を説く(アルキダマスはイソクラテスを「か細い声の人」と揶揄している)。また、話し言葉と書き言葉で異なったスタイルを用いることが、人のあり方を分裂させるとも批判する。

知の文化史に言及すれば、フェニキア文字がギリシャに輸入されたのが前8世紀頃。このアルファベットの発明が「書き言葉」の文化を成立させる原点となった。

ホメロスの英雄叙事詩が成立した時代だ。これらは文字にすることなく、すべて暗記され口承によって伝わった(書かれた詩が文献学的に編纂されるのは、ヘレニズム期のアレクサンドリア図書館である)。即ち、文字がすぐ実用化されることはなく、文書は法律や条約などの碑文が主だ。

文字はエジプトから輸入されたパピルスに書写されることで、学問や文学に使われる。前6世紀だ。ヘラクレイトスが書き言葉の意義を最初に見いだした。

前4世紀、「ソクラテス文学」とのジャンルができ、プラトンやクセノフォンなどが競ってソクラテスを主人公にした対話篇を書き留めた。アルキマダスが『ソフィストについて』を著わしたのは、このタイミングである。

古代ギリシャにおいて「語る」能力が重視されることにかわりなく、書く営みは奴隷や下僕の仕事とされたのだ(オリエンタルの先進文明と比較して際立つ違い)。アルファベットは多くの人が習得できるため、民主制下での政治参加を促したが、社会での文字の権威は低かったのである。

書き言葉は話し言葉の影に過ぎないとの見方が生じた。書かれた言論は「遊びで副業」とゴルギアスと書いているのは、その証だ。

しかし、「言論の技術」をめぐって激しい対抗意識を展開し、その応酬がじょじょに「書き物」に移りつつあったのも確かだ。そして書き言葉と話し言葉は相互補完的に哲学を遂行すると説き、哲学の本質を深めたのがプラトンだった。

同時に、弁論術が持つ豊かな「言論」の力を、以降の哲学理論は覆い隠したのだ。

哲学の影、「非哲学」としてソフィストの活動を規定していったプロセスを再考すべきだ。

<わかったこと>

話し言葉と書き言葉の対比が、ソフィストと哲学の対比になっているところに大いに考えるべき点がある。プラトンは両者のジレンマを突破しようとしたかもしれないが、後々の哲学者はそうしたジレンマ自体をもってこなかった可能性が高い。

言うまでもなく、そうしたジレンマをもったことにより、演劇に目を向けたり、身体性にはまってきた哲学者も多いだろう。あるいは社会活動に踏み入れるのも、こうしたジレンマの一つともいえる。

書き言葉の限界について常に意識していくのが知的活動者の心がまえであり、頭でっかちにならないための障壁はいくつも用意しておかないといけない。

さて、ちょっと余談。

冒頭の写真はミラノの王宮で開催されているゴヤの展覧会で展示されていた作品だ。ゴヤはわりと初期のころ、子どもの遊びをテーマとして作品をかなり描いていた。よく見ると、白い犬がいる。

以下に書いたが、1500年代以降の西洋絵画に犬が描かれているのは、子どもと戯れているシーンが多い。犬は子どもとコンビになっている。

同じゴヤの若い女性を描いた作品では、犬が女性にじゃれているが、彼女は犬を無視している。これなんか、「私は子供じゃないのよ!」と言いたい表現なのだろうか。

「若い女性」(1810-10)

この絵画における犬のような存在が、書き言葉が主流になった哲学では見えてこないんだよなあ、とも思った。

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