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デザイン原理は「形態は機能に従う」から「インターフェースは認識可能な意味に従う」へ。

20世紀前半のドイツに生まれた美術総合学校であったバウハウス(1919-1933年)や、その系統を汲むとされるウルム造形大学(1953-1968年)は、ドイツのみならず世界のデザインの潮流を作ったと評価が高く、そこから生まれたデザインにはファンも多い。

だが、ウルム造形大学で学んだクラウス・クリッペンドルフは『意味論的転回ーデザインの新しい基礎理論』(オリジナル2006年)の最終章で、下記のように記している。強烈な一発だ。

ウルム造形大学がとってきたデザインアプローチは、はるかに未来を見据えたものであったが、本質的に意味の体系的な思考に対して盲目であったことを提起しておきたい。
(中略)
いまや時代遅れのデザインの原理である「形態は機能に従う」をもじって、意味的転回はデザイナーに新たな約束を与える。すなわち、インターフェースは認識可能な意味に従う

新ラグジュアリーの文脈では、バウハウスやウルム造形大学の潮流を批判的に再考すべきとの意見をぼくはもっている。また、意味のイノベーションで問題解決だけでなくセンスメイキングに目を向ける重要性を説く、ストックホルム経済大学のロベルト・ベルガンティは、クリッペンドルフの「デザインは意味を与える」の意味論を踏まえている。それに最後に述べる理由もある。

したがって、ウルム造形大学批判と意味論の意義を語るクリッペンドルフの本書の最終章はメモをとっておく。特に、初代校長であったマックス・ビルについて触れた部分だ。

米国人建築家のL・H・サリバンの「形態は機能に従う」は、バウハウスからウルム造形大学において、いわば金言であった。それだけではない、今世紀においても、この表現を後生大事に信条のように使う人は少なくない。しかし、明らかにデザインの対象が変化した今、この表現は古すぎる。対象とのインタラクティブが鍵だからだ。クリッペンドルフは2006年、以下のように振り返る。

そこには機能とは何か、機能はどこからくるのか、そして誰が、あるいは何が、その機能を定義づけるのかといった批判的な疑問は存在しなかった。

例えば、テーブルウェアをデザインする際、「食べる」という行為を問わない。椅子をデザインするとき、「座るとは?」と考えない。今どき、どこの新人デザイナーでも考えるようなことが、1950年代、世界のデザインの最先端教育機関で教授も学生も視野に入っていなかったのだ。ウルム造形大学は「機能主義という点において世界最先端」と言い換えた方がよかったほどだ。

私たちのディスコースは、機能を客観的で、科学的探求や、一見合理的に思われる議論に従うものであるように見せた。(中略)マックス・ビルの主たる影響で、機能主義の用語は洗練され、最終的に技術的機能、素材的機能、生産的機能、美的機能の四つの機能が認知された

さて、注目すべきは、上記の4つの機能の最後、美的機能を否定的に位置付けていることだ。美がマイナスなものということではない。前者の3つの機能の「残り物のカテゴリー」として美的機能を定義づけているのである。これは、曖昧で直観に依存する美的機能が理論的に説明しきれないがゆえにー合理性が歓迎された風潮のなかでー、ビルは数学的正当性に頼った

視覚芸術の推進力は幾何学である。

例えば、ビルの1956年にデザインした壁時計をみてみよう。実にスッキリしている。

max bill by JUNGHANS
Wall Clock

このデザインに対してクリッペンドルフは、次のように述べる。

明らかに、ウルム造形大学において開発された多くのものと同様に、このデザインは、その美学が数学的正当化の背後に隠された形態を呈示しているが、新たな使われ方は考えられていない

つまり、形式的な美的原理といった数学的形態を賛美することにおいて、それらは非コンテクスト的であると指摘しているのだ。つまり、意味領域を除外している、と。そして、機能が社会的あるいは文化的な文脈の解釈を伴うものとはされなかったのだ。これが後になって批判や反省のテーマになってくるのである。

しかし、上記のウルム造形大学におけるビルが描いた指針は、ビル個人の問題というよりも、文化的中立である技術を賞賛することは、戦後の産業の必要性に呼応するものでもあったのだ。ドイツでつくられた流れは国際的にも広がった。クリッペンドルフは、これを「過ちだった」と表現している。

科学技術の名の下に議論することで、特定の美学を追究することを明確に拒否した。これにより、自らの伝統を固守する文化、あるいは工業化された西洋の文化的に中立とされる機能主義に対抗する文化、これらを「遅れた」もしくは「発展途上にある」と見なす結果を招いてしまった。

これが上述したような、ぼくがバウハウスからウルム造形大学にいたる潮流が新ラグジュアリーからすると「ずれている」と思う反証になる。新ラグジュアリーは、「19世紀のアーツアンドクラフツを失敗とみなし、バウハウスを賞賛する潮流」に異を唱えるものだ。クリッペンドルフの次の記述には膝を打つ。

ウルム造形大学の美学の成功は、異なる意見に対して私たちを鈍感にした。私たちはエルゴノミクス、ゲシュタルト心理学の知覚の原理、タイポグラフィーのルール、そして色彩理論に関するテキストを通してのみ工業製品のユーザーを理解した。そのうちのいくつかは、バウハウスにおいて展開されたものであった。

1950-1960年代、コンピューターインターフェースは存在せず、多くの専門家が協業するプロジェクトは議論のネタになっても実行されず、地球環境が真剣に心配すべき対象にもなっていなかった。言語を自省的に使うこともなかったので、デザインディスコースが再考されることもなかったのだ。

クリッペンドルフはデザインの対象が変化したことで、デザインディスコースの再デザインを提起したわけだが、その対象の目玉はコンピューターインターフェースだった。エンジニアが設計した意図とまったく異なる使われ方をされることに意味があるのだ。コンテクストが極めて重要な要素になった。それがタイトルの言葉になっている。

ぼく自身、2000年代、カーナビゲーションシステムのインターフェースのユーザビリティに関わることで、異文化理解の仕方やデザインの意味の変化に気づき、ローカリゼーションマップという活動をはじめたので、クリッペンドルフの論点が実に身近に感じられる。その経緯については、下記のインタビュー記事に詳しい。

そしてマックス・ビルの部分をとりあげた理由であるが、以下、マックス・ビルのポスターを複製するプロジェクトに至る経緯が書いてある。2006年、ミラノ王宮でマックス・ビルの展覧会があり、そこで彼の彫刻作品をみた。これを小さくしてコピー版ができないか?と思ったのがきっかけである。例えば、アクセサリーとか。

ぼくがコンサルタントをやっている東京のメトロクス社長、下坪さんは、まず「二次元で検討しましょう」と言い、その翌年か、一緒にスイスに住んでいるマックス・ビルの息子夫妻を訪ねた。

その話を以下のブログで紹介した。実際、ポスターは完成し、その後、メトロクスはビルのデザイン柄のラグ、スツール、時計などなど扱っている。ウルム造形大学で学び、クリッペンドルフの本書の日本語版に序文を寄せている向井周太郎さんのトークショーも確か、ポスター完成後に行われた。

ぼく自身、マックス・ビルの評価が数学的美のところに集中しているところが当時プラスに思えた。ポストモダンの流れからすると、逆張りであるし、バウハウスには関心があった。そもそもマックス・ビルの彫刻を美しいと思ったぼくがいたのだ。そんな、「残りものとしての美的機能」とは思わず。

それがベルガンティを経由してクリッペンドルフの本を読み、そこでマックス・ビルの批判に接したというのが流れだ。大きな時代の流れは、水の流れのようなもので、マックス・ビルもその流れに大きく逆らわずに入った1人だったのだとつくづく思う。

クリッペンドルフが本書で触れているように、ウルム造形大学で意味論を研究する人はいなかったが、数々の卒業生が意味論の領域で実績をあげたのである。教育のあり方を考えるにも、良い事例だ。

写真はすべてメトロクスのサイトからとっています。


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