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"Broken Nature: Design Takes on Human Survival"

数日前、ミラノ・トリエンナーレ美術館に出かけてきた。"Broken Nature: Design Takes on Human Survival" という自然と人の関係を深く考えさせてくれる展覧会を見た。そこで言われる自然とは単に地球環境を指すだけではなく、人の心までを包括している。

とても興味深く、モヤモヤしたものがたくさん残る展示だった。もう何十年も前から語られてきた生態系というテーマが、ここまで到達して、これほどの広い範囲まで「人々の意識の内」に入ってきたかと感じた。かなり細かい科学データもある展示を、デザインやアートの展覧会に通い馴れた印象のある若い人たちが熱心に見ているーーつまり普段、科学技術博物館に通うタイプが美術館に来たのではない。

最近、その関心の広がりを再認識させられたのは、17歳の息子が「ミネラルウオーターのプラスチックボトルで毎日ゴミ箱のスペースが一杯になるのは、どうしてもおかしい。これだけプラスチックの廃棄物が問題になっているのだから、プラスチックは減らしたい。一方、水はガス入りを飲みたい。だからガスを入れる機械を買って、プラスチックボトルの水を買うのをやめよう」と提案した時だ。

アイルランドの友人が「中学生の娘が、家じゅうの消し忘れた灯りを消して回っている。エネルギーの無駄使いだと」と話しているのを聞いたのは、2000年前半か半ばだったと思う。生態系について議論するのが特別な人でもなく、政治的なカラーとも関係なく、ふつうの中学生が話し始めたことに驚いたのを覚えている。

その頃、フィアットのマーケティングの人から「このごろ、20代の人が環境問題からクルマから意図的に離れようとしているデータが欧州でも出てきた。日本や北米のトレンドを追っている」と聞かされたのだ。

他方、ぼくが大学生のころ、そうした生物の生態系について語るのは、何らかの社会的運動とリンクする「お前は、じゃあ、日常のなかで何を具体的にするのか?」という問いと即向き合うことが多かったので、ややシンドイところがあった。「空気汚染に加担したくないからクルマに乗らない」というのは、変わったやつだった。

さて、どうしてこの展覧会を見たか。トリエンナーレのカフェで人と会うことは多いし、あそこでの展覧会は比較的よく見ているから、行ったことが特別なわけではない。実際、デザインウィークの最中にもトリエンナーレに出かけたが、ゆっくりと時間のある時に見よう程度には思った(余計なことだが、館長がガリバルディの近くにあるボスコ・ヴェルティカーレを設計したステファノ・ボエリになり、デザインウィークの場所貸しビジネスから手を引いたのは文化的には好印象だ。財政的には知らないが)。直接の動機は、Wired にドミニク・チェンさんが書いた「ぬか床ロボットNukaBotの誕生」という記事を読んだからだ。その名の通り、ぬか床のロボットを作った、という話だ。(この3回の連載は、とてもお勧めです)

彼は「一方的に対象を制御しようとするのではなく、双方に実りのあるコミュニケーションを志向することが情報技術や経済の分野でも必要とされており、そのためには微生物の複雑なネットワークと向き合い続けてきた発酵食文化から学ぶことが多いのではないか」と、この展覧会にぬか床ロボットを展示する趣旨を書いている。

昨年の今ごろ、このロボットを一緒につくった発酵デザイナーの小倉ヒラクさんがミラノに来た時、彼がイタリア人に発酵について話しをすると、相手がどういう表情をするか見ていたので、発酵は「イケる」と感じていた。2015年のミラノ万博の際、あるいはその前に行った発酵のイベントでも発酵への関心に気づいたが、一方で限定された人たちの限定された話題との側面も思った。

今回のように、ドミニクさんが書いてあるようなことが、そのまま受容される文脈が全体に用意されていたわけではなかったのだ。彼によれば、この展覧会の企画をしたニューヨークのMoMAのシニアキュレーターであるパオラ・アントネッリさんと初めて会ったのは2018年2月、彼女が早稲田大学のバイオアートの研究室を訪ねた際だったという。その場で、「ドミニクさん何やっているの?」という話からスタートし、8月初めに出展を依頼されたという。

NukaBotのコンセプトもいいが、この出展依頼のプロセスも見事だと思ったところが、早速見てみようと思い立った動機だ。

パオラさんも語っているが、これはアート・デザイン・テクノロジー・科学などあらゆる人智の総力戦の必要を示している展覧会である。サイトに以下の文面があるが、いわゆるバズワードの散逸で時を過ごすことが許されなくなっているということを、それこそ「気がつかされる」。そしてアートやデザインが、この混沌とした状況に新たな道のありかをみせる有効な手段であることも、これまたよく分かる。

Under these circumstances, it is not enough anymore for designers to be politically and chemically correct. “Organic,” “green,” “environmental,” and “sustainable” are buzzwords that have been applied in earnest to design—including food and fashion—over the last two decades, as have the terms “ethical” and “aware.” 

これまでも繰り返し、いろいろなところでいろいろな人が、人智の総力戦について語り、実際、このような趣旨のイベントが行われてきた。だから今回の展覧会に意味がないわけでなく、だからこそ、そのおかげで、ぼくの息子でもプラスチックボトルはやめにしようと言い出す社会になってきたのだ。世の中は常に「総力戦の決定版」の連続だ。

そういう想いが、すっとぼくの心に浮かんだ。

最後に。キュレーターが、なぜNukaBotの出展を強力に奨めたのか。それが実によく分かる展示だった。そしてNukaBotがどうしても、あの展示のなかで必要だった・・・つまり、今後、発酵の研究や実践はより注目のテーマになっていくというのは、あまりに明らかだ。

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