3.25〜日記(不安の種、心の中の風景)

3.25(月)
いつからか、日々生きることが、どこか怖く恐ろしい部分がある。回避できないネガティブな出来事が、いつ身の回りで起こるか分からないから。毎朝、今日何か怖いことが起きるんじゃないかと考えて、落ち込む。別に、私の想像するような「怖いこと」があったとしても、死にはしないし、それが毎日続くわけでもないのに。
同時に、好きなことに没頭したり、自分の世界に浸るような感覚が、弱っていると感じる。どうすれば良いのか、分からない。何年もぐるぐる考え続けているように思う。

3.28(木)
慌ただしく退勤して、なんだか心がざわざわする。待ち時間は少し長いけれど空いている方の電車に乗って帰ることにした。このざわざわ原因は何だろうと考える。今日は、早く帰りたいのに仕事がスムーズに片付かなかったことが大きい。そう分かっても、不安の種探しをしてしまう。まだ何が見逃してるかも、と。そうするうちに、無かった不安の種を植えてしまったり。
調子が悪い日は、頭の中にフラッシュバック的な思考が渦巻く。思考は、体調とかなりリンクしている。こういう日は早く休むべきだと、寝る前になって気付く。シンプルな事なのに、すぐ忘れる。

3.30(土)
晴れた暖かい日。ついに春が来た。気を抜いて二度寝し、9時間も寝た。どこかに出掛けたいと思い、大学時代に住んでいた街へ車で行く。大好きなカフェでシフォンケーキを食べ、公園で行き交う犬や親子をしばらく眺め、久しぶりに行ったパン屋で明日の朝食を買い、夜は釜飯屋さんでごはん。日常で忘れかけそうになる、温かさや穏やかさを一気に体感した時間になった。
心の中の森、というイメージをよく考える。小さくて静かな森の中に、家があって、近くを小川が流れ、花が咲き、動物が暮らすような場所が、心の中にある。これは、私にとっての自分らしさであり、自分の世界を風景として描いた形。これを、最近なぜか、忘れていたみたい。今日、とてもよい一日を過ごして、またふと思い出せた。
特に最近は、不安の種を思い出して、落ち込むことが多かった。不安の種を思い出さないようにする事は不可能だけれど、大切で愛おしいものを意識的に考えることはできる。当然のようで、今まで気付かなかった。

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