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"好きを仕事に"は、遠い未来のはなし?

”好きを仕事に”という言葉が盛んに叫ばれ始めたころ、私は社会人になりました。

”努力”は”熱狂”に勝てない、言われたことを言われた通りに真面目にこなす人よりも、熱中して楽しんで取り組む人のほうが、これからの社会には必要とされる、だから、”好きを仕事に”したほうが良い。

そんな趣旨の強い言葉たちがSNSにはたくさん流れていました。

幸いなことに、私の就いた仕事は、自分の”好き”と重なる部分もある内容だったので、入社したての私は、「熱狂しなければ」「好きを仕事にできているのだからこの幸運を活かさなければ」とやる気に満ち満ちていました。

しかし、いくら自分の”好き”と仕事に共通項があるとはいえ、仕事は仕事です。

怒られることもある、できないこともたくさんある、緊張することも気が重くなってしまうことも、当然たくさんある。

そのたびに、心の奥底では「仕事、つらいなあ」と感じるわけですが、いかんせん私は自分のことを”好きを仕事にできた幸運な人間”と思い込んでいましたから、仕事は”楽しい””熱狂”とともにあらねばならないと言い聞かせていました。”つらい”なんて感情を持つことは自分が許さなかったのです。

新入社員なんだから、とりあえず与えられた仕事を頑張ればいいものを。

今はもう社会人になってからずいぶんと時間が経ちましたし、少しずつ”仕事”というものの現実も分かってきましたから、とにかく目の前の課題を誠実にこなしていこう、と思っている日々なのですが、それでもときおり、「私の好きってなんだろう」とか「好きを仕事にできているのかな」とかぐるぐると考えてしまいます。

新人時代にこころに焼き付いた言葉って、なかなか剥がれてくれないようです。

そんななか、今日、思わず「あ〜これだ」と感嘆の声を出してしまうツイートに出会いました。

”発酵デザイナー”として活躍されている、小倉ヒラクさんのご発言です。

「みんながかかるはしか」かあ。

たしかに、私の”好き”って、自分以外の多くの人も”好き”と言っているものだなあ。

つまり私はまだ、「はしか」が治っていない状態なんだ、と頭のなかがものすごくクリアになりました。

そして、いまの仕事を続けていくなかで「偏愛」を見つけられたらラッキーだな、くらいの気持ちでいればいいのだ、と肩の力が抜けたのです。

もちろん、本当に「偏愛」を見つけられるかはまだわかりません。
「はしか」が治らない可能性だってある。

でも、人生は仕事だけではない、人によっては様々なライフイベントもあります。
人生のときどきにおいて物事の”優先順位”が変わっていくことは自然だと思います。

だから、「偏愛」を見つけることができなかったとしても、「はしか」が治らなかったとしても、自分を責めないであげたいなあ、とだけ、今はこころに決めています。

そして責めないために、「誠実に仕事に向き合った経験」を重ねていけたらな、と思うのです。

だって、「仕事を頑張らなかったから偏愛が見つからなかった」と思ってしまうのは、虚しいと思うから。

現時点での好きだとか楽しいだとかの基準で仕事を測るのは、いい加減終わりにしよう。

いつかいまの仕事に終止符が打たれたときに、「偏愛」のあるなしに関わらず、「精一杯誠実に働いたな」と思えるようにしたいなあ、と仕事に対する考えを新たにしたのでありました。

明日からは”好き”の幻想から距離をとって、真面目に働きたいな。


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