私が恋愛小説を読み続ける理由
自問自答しているだけでは気付かないことってあるよなあと実感した日だった。
私は恋愛小説が好きだ。
高校、大学、社会人と恋愛そのものも好きだったけれど、それ以上に恋愛小説というものに魅了されてきた。
結婚して、”恋愛”とは距離をとる状況になっても変わらず恋愛小説が好きだし、よく読んでいる。
その理由なんてこれまで深くは考えたこともなかったし、考えたとしても「恋愛体質なのかな」とか「こと恋愛においては相手の気持ちをすべて理解することはできないからこそ、小説でそのセンスを磨こうとしているのかな」とかそんな程度に留めていた。
今日、知人とたわいもない雑談をしているなかで、結局幸せってなんなんだろうねえ、という、ありがちな問いなんだけれども、お互いの価値観や如実に出る、そしてそのひとの精神状態や環境など様々な要素で移ろいゆくであろう、あの魅惑的な命題についてポロポロと言葉を交わした。
そこで私が掲げた”最高な幸せを感じそうな状態”はこれだった。
・家柄が最高(誰にも有無を言わせない育ちの良さ)
・容姿が最上級(キー局のアナに余裕でなれる感じ)
・勉強はトップではないが秀才と呼ばれるレベル(頭が良すぎると色々考えすぎて大変そう、という私の偏見によるもの)
・高い定期収入があり、潰れない会社に勤めている
・芸能人との恋愛経験あり
・でもパートナーは超高収入のインテリサラリーマン
・日本舞踊などの一流の芸事において名取であるなど、ある程度達成している
・安定的な職業に就いているが、なにか挑戦したくなったらいくらでもパートナーによる潤沢な資金支援がある
……みたいな感じだった。
自分で挙げてみて、ふっと2つ気づいたことがある。
1つ目は、
「惚れ抜いた人と結婚する」みたいな、少女漫画的な要素がないということだ。
それはたぶん私の根底に、”喪失”という考えがつきまとっているからかもしれない。
惚れ抜いた人、好きで好きでたまらない人と恋愛したり、結婚したりしたとして、
その相手が”喪失”したときの、計り知れない地獄の深さ。
これを想像するだけで恐ろしく、名付けようのない悲しみに苛まれる。
そもそも私は、”惚れ抜く”とか”好きで好きで”という感情は刹那的なものであると思っている。
これまでの人生、場面場面で、”骨ごととろけるような”感情になることはたくさん経験してきたのだけれど、それが永続的に続くであろうという確信を持てたことがない。
そういう感情の先には必ず喪失が待っていると思ってしまう。
結婚したら永続的になる? ありえない。
結婚というのは、ある種”契約”という側面が少なからずあって、「私は貴方の人生を背負う覚悟ですよ、精神的にも経済的にも」という意思表示のような気がしている。
その意思表示をするためには、もちろん”恋”の要素、”骨ごととろけるような感情”からスタートすることが多いと思うし、私たち夫婦の場合もそうだ。
でもこれはよく言われることだけれど、その”恋”がふたりが一生死ぬまでスタート時の甘さと濃厚さを保ったままであることはありえないと思っているし、そういう”惚れ抜く”とは別のところで結婚の幸せのかたちがあると考えている。
さらに究極のことをいってしまえば、”惚れ抜いた相手”とお互い”惚れ抜いた”状態が永続的に続く、もしくは、先程書いたようにその次元とは別のところで幸せを見つけたとしても、必ずどちらかが先に死ぬ。
二人が同時に死ぬなんて、巨大地震が来て一緒に…とかもっと不吉なことを考えなくてはありえないし、その不吉さの時点で幸せとは程遠いところにある。
とか考えてしまうと、”人を好きになる”という感情がもたらす”幸せ”って、なんて不穏なんだろう、と途方に暮れてしまうのだ。
だからこそ、幸せの要素として挙げた”恋愛”は、芸能人と〜みたいな”特殊で新鮮な体験”というニュアンスを含んでいるし、”高収入のインテリサラリーマン”は、”良い契約条件”みたいな話になってしまう。
つまり、”恋愛感情”はいつか喪失されることが確定しているのに抱いてしまう摩訶不思議なものなのだ、私にとっては。
だから知りたくなる。
もうひとつ。
幸せの要素をあげてみたあと、「この要素を全て持っているひとが悩むとしたら何に悩むんだろう?」と考えた。
そこでも”恋愛”だった。
どんなに才色兼備で世間的に完璧な女性であったとしても、自分が好いた相手に100%、自分の恋の濃度と同じもしくはそれ以上の気持ちを持たれることは難しいのではないかと思う。
恋愛に”絶対”はないからだ。
(まあ、限りなく100%に近い数字を出すことのできる恵まれた女性もいるかもしれないけど、そういう人はこんなもの読まないであっちにいってください。)
まして結婚していたら、”これは不倫だ……”と悩むであろう。どんなに倫理的な観念の薄い人でもほんの少しは悩むと思う。
そしてはたと思った。
恋愛の悩みって、ある意味平等なのかもしれないなあと。
美人でもそうでなくても天才でも凡人でも金持ちでも貧乏でも、悩む可能性のあるものなんだなあと。
万人に開かれている悩み。
ここにものすごい神秘を感じる。
だから私は”恋愛感情”に深い興味を持っていて、恋愛小説を読み続けているのだと思う。
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