Pinback Button/Badge

アメリカ英語では “Button”、イギリス英語だと “Badge”——それぞれ接頭に「針式」を意味する“Pinback”が付く場合もあれば、単に “Pin”でも通じる。日本では「缶バッジ」がもっとも一般的であるが、素材にプラスチック樹脂やウッドを用いたものも稀に存在するため、本書においては、表記を「バッジ」に統一する。

それにしても、バッジが辿った軌跡は、Tシャツの辿ったそれとあまりにも似ている。1960年代、ヴェトナム反戦や公民権運動の文脈において政治思想を載せる道具として再発見され、ロック・ミュージシャンによって転用される。レーベルのマーチャンダイジングとしてライブ会場やレコード店で取り扱われることもあれば、例に漏れず、海賊版業者が非公式にアーティストのバッジを製造することも多かった。

商業主義時代に突入した映画業界もバッジを取り入れ、ファン向けのグッズとしてTシャツと肩を並べた。また、その安価さからVHSの特典にTシャツが重宝されたように、映画の前売り券にバッジを付帯させた。何せ、バッジの原価はTシャツのさらに10分の1であるのだから。

現代美術界では、美術展のマーチャンダイジングとしてはもちろん、芸術家本人がバッジを作品として販売することも増えた。ストリート出身の芸術家は、ことさらバッジを好む傾向にあり、1980年代にポップアート界の名声を一挙に得たキース=ヘリングは、自身の旗艦店であるPop Shopでバッジを主力商品に据えた。

このTシャツとバッジとのシンクロを「Tシャツのあるところにはバッジがある」と論じたくもなるが、実際ところ、「バッジのあるところにはTシャツがある」の方が、理論として正しいかもしれない。
というのも、アメリカ国内で初めてバッジの特許が取得されたのが1896年。さらに合衆国建国まで遡ると、かのジョージ=ワシントンは、ベンジャミン=フランクリンが英国から輸入したウェッジウッドのメダリオンに着想を得て、初代大統領選挙に際して「バッジ」を利用したと伝えられる。バッジの歴史は、Tシャツのそれより遥かに古いのだ。

世界にはバッジの専門書やバッジの博物館なるものまで存在する。その事実こそが、コレクターズ・アイテムの銀河に浮かぶ直径わずか数cmの天体が、それほどまでに人々の好奇心を刺激し続けていることの証左ではないだろうか。

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