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50代からのリスタート:専業主婦から寿司屋の女将さんへ

ある秋の日のこと。
友人からLINEが届きました。

「今度東京へ行くので、良かったらランチでもいかが?」

私は少し考えてから答えました。
「喜んで!いつがいい?」

彼女は、私が結婚生活10年を過ごした名古屋で、
唯一友人だった人です。

彼女は50代で、寿司屋の女将さんになりました。


会えなかった日々


私が、離婚を決意して名古屋から東京へ戻ってきたのは、
もう20年も前のことです。
20年の間、彼女とは年賀状のやり取りだけをしていました。
それ以上のやり取りをしなかったのは、
私に心の余裕がなかったからでした。

仲良くしてくれた彼女にろくに話もせず、
逃げるように東京へ引っ越しました。
その時、私の頭にあったのは、
「今しかない」

自分のことで頭がいっぱいだったのです。
優しい彼女に
「ありがとう」
そう言う余裕さえなかったのでした。

そして30代、40代と、毎日がやっとの日々。

一度彼女から、連絡をもらったことがありました。
「東京へ行くから会わない?」

その時、断ったのを憶えています。
彼女が幸せそうだったら辛いなと思ったのです。

50代の今やっと、
色々大変だったのよ
そう言える自分がいるのでした。


20年ぶりの再会


東京駅近くのレストランに、私は先に着きました。
5分も経たないうちに入ってきた彼女は、
20年前と全く変わらない印象でした。

柔和な笑い顔
化粧っ気のない綺麗な肌
ナチュラルなふんわりした服装

一緒に入ってきた娘さん、
私が最後に見たのは4歳の頃でした。
はきはきと、明るく活発な印象です。
大学で海外留学し、一年遅れで就職活動をしているといいます。

20年もの年月が、一瞬にして過ぎ去りました。

彼女は20年前、二人の子供を育てる専業主婦でした。
大学の同級生だったご主人は、寿司屋の板前さんでした。

ご主人からインスタント食品を禁じられている話
ご主人が休みの日に、朝からかつおを削って出汁を取っている話

当時、ご主人の食べ物への興味とこだわりについて、
よく聞かされていました。


専業主婦から女将さんへ


長いあいだ専業主婦だった彼女は、
4年前に寿司屋の女将さんになりました

ご主人は、名古屋の「御園座」という劇場の近くの寿司屋に、
大学を辞めてからずっと勤めていました。

朝6時ころには家を出て、
夜は終電間際に帰る日々。
休みは週に一日。

ご主人も大変だったでしょうけれど、
彼女もワンオペ育児で大変だったはずです。

「大将が亡くなってね。」

ずっと勤めていた寿司屋の主人が、
数年前に亡くなったとのこと。

「その時、もうお店も閉めて、
(主人も)どこかに勤めようかと。
そんな話にもなったんだけどね。」

馴染みのお客さん、大将の家族の後押し。
また、大学時代から二人をよく知る友人が住まいを手配してくれたそう。

「住まいを?」
寿司屋は、朝は市場に行き、夜も遅い。
とにかく近くに住んだら
と、友人がそこまでしてくれたとのことでした。

いろんな人に背中を押されて。
よほど考えたんだけど、
頑張ろうかなと思ってね。」

「でも女将さんって、大変でしょ。
よく引き受けたね。」

経験のない客商売、時間も長い。
若ければまだしも、50代からのスタートです。
体力的にも、相当きついのでは。

「ずっと(主人が)私の好きなことさせてくれていたし。
私が一肌脱ぐ番かなと思って。」
と彼女。

「でも始めたころは、大変だったよ。」

家の玄関に入った途端に倒れ込み、
寝室にたどり着けず、その場で寝てしまった。
そんなことが何度もあったと、彼女は笑いました。

「何時になっても家に帰って来なくて。
LINE既読にならないし、電話も出なくて。
何かあったのかとお店に行ったら
行き倒れみたいに、二人で寝てるときもあったよね。」
と娘さん。


採算合わないだろう


「ランチに来たお客さんがね。」

60代くらいの男性が、ある日お店に来たそうです。
「こんな値段で出しているのでは、採算が合わないだろう。
箸袋一つも計算し、サービス料をもらうように。」
とくとくと、お説教を40分ほどもしていったそう

「しばらくはもう来ないよね」
そう言っていたら、数日後に再来店。

この間言ったことはやったのか?
とまたまたお説教をされたそう。

「大きなビルを建てる時だって、ネジ一本のコストも計算する。」
建築関係のマネジメントをしている方のようだった、と。

そして、A4サイズの「レジュメ」とUSBを渡されたそうです。

男性は、普通ではない痩せ方をしていたそうです。
一緒に来ていた奥様が、隣で目くばせをしたそう。
「ごめんなさいね」

レジュメには
「鮨 なか澤」の経営方針に対する考察
とても厳しい言葉が、びっしりと書かれていたそうです。

USBには
改善への具体策、スケジュール

「それで、とにかくその通りやってみたの。
そうしたら、ランチのコースが全くもって赤字だったの。」
と笑う彼女。
「その方、よっぽど見てられなかったのね。
2か月後に亡くなったの。
その方がいなかったら、うちの店つぶれてたと思う。


お店でのひととき


レストランで会った一年後、私はマラソン大会に出るために、
名古屋へ行きました。
そして、二人で切り盛りするお店を、初めて訪ねました。

小さいけれど清潔で、
細かな心遣いの行き届いたお店。
派手ではないけれど、
二人のセンスの感じられるしつらえ。

ご主人は白髪交じりになり、
20年経過したことを思い起こさせました。
でも印象は変わらず、
当時の「寿司への情熱」のままに、包丁をふるってくれます。

ほんとに寿司が好きなんだな、、
そう思いました。
控えめながらも、こだわりの話を聞きながら頂くお寿司。

30代40代には、マラソン大会で名古屋に来るなんて想像もしなかった
彼女が、寿司屋の女将さんになることも想像しなかった

二人のお店で頂くお寿司は、なんとも感慨深いものでした。

そして、さりげなく気遣いを欠かさない彼女。

50代になってから、大きく変わった生活。
とても大変だったと思います。

何十年もの間同じ店に勤め、店を繋いでいこうというご主人。
そんなご主人を信じ、尊重したのでしょう。
ご主人の覚悟に、彼女も決めた覚悟。

そして、二人の人柄があってこそ、
応援してくれる人が現れるのだと思いました。

人の価値って、こういうことなんですね。

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