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よるのピクニック【#2000字のドラマ】

大学生のあの頃、私達は、何でもできた。
いつも何かを企み、どこまでも、自由だった。

今日も空きコマの時間に学食へ行く。いつものようにサチが一番乗り。彼女は時間に正確だ。私もどちらかと言えばそうだが、サチには敵わない。
「おつかれ」
私を見つけて挙げた手をそのまま伸ばし、のど飴を一粒くれた。
サチは合理的で素早く積極的だ。入学式の日、早く着きすぎてぼんやりしていた私に、サチから声をかけてくれたのだった。
「ありがと」
私は小さなチョコレートを彼女に渡した。席につくなり、サチが切り出す。
「夜ピク行かない?」
「よるぴく…?」
「夜のピクニック」
彼女の手には一冊の本。夜を徹して歩くという行事を舞台に、高校生達の心を描いた恩田陸さんの小説だ。
「あぁ!読んだ。夜ピクって…普通略す…?」
「だって長いし。トモも誘って行こうよ」
トモはまだ来ていない。彼女は自由だ。

「やぁやぁ、お二人とも。おはよう」
パンの入った袋を大袈裟に振りながらトモが現れた。必ずいつもふざけて笑わせる。美人でお洒落で黙っていれば大人しそうに見えるが、そのギャップこそが彼女の魅力だ。
「おはよ。朝ごはん?」
「そそ、起きたら9時なんだもん、焦った~」
「ねぇトモも読んでたよね?行かない?夜ピク」
「おお行こ行こ、夜ピク。いつにする?今日行く?」
トモはノリが良い。頭の回転が早く、空気が読めて勘も良いので、唐突なサチの提案にも迅速に対応する。
「今日!?もう…また始まった~」
私はいつも二人に引っ張られるばかりだ。でもおかげで、わくわくする景色をたくさん見せてもらえた。
「帰って仮眠とって、23時にA駅待ち合わせでどう?寒いから防寒も忘れないでね」
サチの的確な指示で、あっという間に詳細が決まった。

授業は16時に終わった。サチは、4つ上のお姉さんと暮らすアパートから自転車で通い、トモは大学の近くで一人暮らし、私だけが実家住まいだ。
「じゃまた夜ね!」
携帯を取り出し母に連絡する。心配性な母だが、大学生活を謳歌する私を喜ばしく思い、友人達を信頼してくれてもいた。夜にまた出掛けることを伝えると「了解、気を付けてね」と返信が来た。

23時少し前にA駅に着いた。この路線の終着駅だ。完全防備のサチが、改札口で待っている。
「バッチリだねぇ」
「ユイはそれで寒くないの?なんか荷物少ないし」
「寒いかなぁ、マフラー持ってくれば良かったかな」
「あるよ、ストールなら」
サチは自分が巻いていたのとは別のストールをリュックから出し私に貸してくれた。
「さすが!ありがとう~あったかい~」
少し遅れてトモが到着した。機能性にも優れたセンスの良い格好をしている。
「よし行こ!」
何のあてもなく、私達は歩き出した。

9月。早くも冬の足音が聞こえてきそうに寒い。
「もうこれだから北海道は」トモは愛知出身だ。
「でもやっぱいいね~この何もない感じ最高!」
駅から少し離れると、歩道の広い道がまっすぐ延びる。
「星が綺麗だねぇ」
夜空が大きく、近く感じる。延々と続く、他愛ない話。

「レンくんとはどうなのー?」
サチは同じクラスのレンと最近付き合い出した。
トモが巧妙に話を聞き出す。サチも満更ではなさそうで、私は幸せな気持ちになる。
そういうトモは、バイト先のカフェにいる先輩がいかに素敵かを力説する。彼女の視点は独特で鋭く、いくらでも話を聞いていられる。
「こないだの合コンの人、絶対気に入ってたよユイのこと。あの眼鏡の、髪ふわふわの」
「えー?だってトモと会話弾んでたでしょ、私聞いてるだけだったし。覚えてないよきっと」
「ユイはさ、もっと自信持った方がいいと思うよ?」
サチにいつも言われることだ。
二人の友人達と比べ、自分は何もないつまらない人間だなぁと常々思う。二人がいなかったら、日々に何の彩りもなかっただろう。
「その人に連絡してみなよ。ほら携帯出して」
サチに促される。トモがもうメールの文面を考えている。それだけで私は胸がいっぱいになる。
「いいよぉもう遅いし。明日してみるよ」
二人は、疑うような目で私を見て笑った。あぁ幸せだ。

気付けば、深夜1時半をまわっていた。
終バスの時間をとっくに過ぎたバス停のベンチで、サチが淹れてきてくれたコーヒーを飲む。ほっとする味だ。
「どこ目指す?このまま行くと海だよね」
トモの言葉に、サチが地図を開く。
「じゃあ、海目指して行って、始発でこの駅から帰ろ」

私達の話は尽きず、いくらでも話していられた。このまま夜が明けなければ良いのにと思う。この幸せに、終わりなどないと信じたい。

辺りが薄明るくなってきた頃、視界の先に海が見えた。
「海だー!着いたーー!」
トモが駆け出し、慌ててそれを追う。普段あまり大声を出さないサチも声を上げている。
「日の出は?どっち?」
「えっ何かすごい大きい鳥がいるんだけど」
「どこどこ?いないよ?」
「あれ?消えた!幻?」
「ちょっともう太陽昇っちゃってる!」
ひとつひとつが、かけがえなくて、キラキラで、ぐちゃぐちゃで。私はこっそり泣いた。

岩場に座り、3人でサチの手作りおにぎりを食べる。
「これ中身なぁに?」
「ウメツナだよ」
「うめつな…?梅干しとツナ!おいしい」
この味を忘れまいと、ゆっくり、噛み締めて食べた。

始発電車は混んでいた。スーツ姿の大人達に挟まれた砂まみれの私達はとても場違いだった。夢みたいで、でも現実だった。子どもと大人の狭間のような刹那を、必死で生きようとしていた、宝物みたいなあの頃。

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