見出し画像

一夜の長さと想いの深さ (宗安小歌集10)



「夏の夜の長さと秋の夜の短さ よるよの 人によるものを」 (宗安小歌集)

時間というものは誰にでも平等に与えられているものであり、どんなにお金持ちでも、権力者でも時間を買うことはできない。
ただ一日という時間をどう使うかという違いだけで、たとえば遠くに移動するのに飛行機を使うか、鈍行電車を使おうが、一日24時間という枠が変わるわけではない。

飛行機に乗って早く目的について無駄にぶらぶらするよりも、鈍行電車の中で移り行く風景を眺め、良き本を読み、車内で偶然に旅を伴にした人々の姿を見るほうがより時間の有効活用であったりもしよう。

夏が近づき、次第に夜が短くなる頃。
早朝自宅を出た時、つい先日までは真っ暗だったのに今はすっかりと明るいのが不思議に感じるけれども、1日の時間にはなにも変化が無い。

それのに、想い人と一緒に過ごす夜は夏の夜よりもさらに短く感じ、
うつらうつらしたと思えば、一瞬にして夜明けの太陽が窓から注ぎ込んでくることになる。

それなのに、気持ちが沈んでいるときに一人で過ごす夜は時計が止まったかと想えるほどの永遠で、白夜のようにいつまでも夜明けがこないのではとすら感じたりもしよう。

時間というものがいかに感覚的なものであるか。

「夏の夜の長さと秋の夜の短さ よるよの 人によるものを」 (宗安小歌集)

夏の夜を長く感じ、秋の夜を短く感じることがある 
まさにその夜の長さは、共にすごす人によるものなのです。

夜=ひとに「よる」とかけた美しい歌。

夜を共にすごす人が想い人や家族とばかりは限らず、やむをえない場合や、仕事の場合も多々あるもの。

そして、想い人であったとしてもその想いが衰えてしまった場合、あれほど短かった夜を長く感じてしまうようになってしまうこともある。

夜の長さ、それは共に過ごす人への想いの深さの尺度なのかもしれない。

あなたと過ごす夜は、夏の夜よりも短く感じるはず。

ましてや二人で裸で過ごすなら。
夏ならば涼やかに
冬ならば寒さをぬくもりに変わる事だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?