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泡日記 歌う夜に

「何でかな〜泣いてしまうわ」
拭っても拭っても涙が溢れてくるから、顔を天井に向けるのだがあまり効果はない。「この曲で泣くか〜?」自分で言って自分で笑う。涙は流れ続ける。
さっき腕時計をちらっと見た時にはもう22時を回っていた。明日は午前中に父と母が暮らした家の退去立会いがあるのだが、今私は弟と高松の繁華街にあるカラオケボックスの一室にいるのだった。
弟が熱唱しているのは米米クラブの浪漫飛行である。中学の頃に流行っていたと思うから弟はその頃小学校の低学年だったはずだ。まぁ当時どこにいても流れていた流行歌だからね。涙の半分はおかしくて泣いてるのもあるしさ。でもやっぱり思い出して泣けるんかなぁ、浪漫飛行で泣く時がくるとは。あはは。

今回は私だけの来讃である。前回はたまたま安い航空券が取れていたので息子を連れて来れたが、無理なスケジュールがたたって帰ってから具合を悪くさせてしまったし、月中からは私も仕事が始まるから自分も来る自信が無かった。
でもやはり、これで二人の家が無くなる、この10年ほどの間に確かにあった、普通の孫と祖父母の幸せな思い出の場所がなくなる、それを見届けないでいいだろうかと自問して、思い直した。身体はしんどいけど、後悔のないように動こうと決めた。預かっていた家の鍵も私が自分で持って行ったほうがいい。

日曜日に日帰りする予定でいたが、弟も家族を置いて前日から泊まりでくると言うので私も急遽そうする事にした。日帰りよりもそっちの方が身体は楽なはずである。まぁ月曜からの仕事は辛くなると覚悟して。

この五日間ほどで業者が家の荷物を運び出してくれていたので、中はすっからかんになっていた。家の外側の見た目は一緒だが、玄関の扉を開けるとがらんとしていて「わ‥」と思わず出た声も響いた。部屋に入り中を見渡す。父は煙草を吸う人だったので壁が黄ばんで変色し、フローリングも随分汚れてしまっている。母が立っていた台所も流ししか残っていないが、想像で母の後ろ姿を立たせる事ができるからそうしてみる。お雑煮を作っていた母の背中、父の焼酎のためにお湯を沸かしていた母の背中。ずっと大意にしていたヨーグルトの菌床に牛乳を足す母の背中。

最後に仏壇を引き取りにきた業者に立ち会って今日やることはおしまい。今日は母に会うと連れて帰ってもらえると思って混乱するから明日にしようという弟の意見に従って、すぐそばの施設にいる母には会わず、高松市内に戻ってきた。
久しぶりに姉と弟でご飯食べよか、と商店街を歩いて一軒の串焼き屋に入った。
というか、二人だけでご飯食べるなんて初めてじゃない?と、生中で乾杯しながら言い合った。そうそう。君が東京に来た時に食べたけど、その時はお母さんが家にいたから三人やったもんね。そうそう。

お酒が進んで、お肉もおいしくて、次第にいろんな思い出話になった。年が5つ離れていたから、私は私なりに弟を守っていたつもりで、あの神戸の頃の色んな問題が極力彼に降りかからないようにと気を配っていた。でもそううまい具合に隠せる訳はなく、弟もしっかり渦中にいた経験を持ち、親子関係にも苦しんでいたのだった。互いに直接的な話をしてこなかったので、15才の私と10才の弟のそれぞれの年の影響の受け方を、今互いに慮る夜になった。

串焼き屋を出て、私が寂しくなった。今日よかったなぁ、二人で話せて。楽しかったなぁ。せやなぁ。
それぞれに取ったホテルは北と南に別れているのですぐその道でバイバイである。
なぁ、もう一軒行かへん? えーでも。ええで。
すぐそばにカラオケの看板が見えた。この前も通ったのにカラオケの文字は目に入っていなかった。姉と弟でカラオケ、これも初めてちゃう? せやなー。
弟が嬉しそうなのがうれしい。

互いに何を歌うのだろうという空気が流れた中で、弟が先人を切り「Lemon」で姉弟のカラオケは始まった。多少の照れ臭さもある。弟は三姉妹のお父さんで私などよりも当たり前に最近の流行りを知っている。ここに私が思い出して書けないどこぞのグループの何とかという歌を歌ってくれる。私はニコニコ聞いて、おお〜とか全然知らん!でもいいねぇと手を叩く。私は好きな林檎ちゃんの、自分で歌える数少ない曲の一つを入れる。へぇ、椎名林檎とか歌うんや。姉と弟でありながら、私たちは知らないことの方が多いのだね、と言うのが分かるいい夜。

心がほぐれて、それは多分弟もそうで。おかんの事みたいやろと言いながら「ひまわりの約束」を聴いてぐっとほろりときて、「3月9日」で季節にせつなくなり、気持ちがだんだんと曲と一体になっていく。次第にセレクトが私たちのあの頃、つまり同じ家に暮らしていた頃の歌になっていった。弟は一時GLAYを聴きまくっていた頃があったから、私が入れて歌ってもらった。イントロが流れると、狭い団地の部屋が浮かび上がる。茶色い絨毯、押入れに作った棚に並べた本棚。飼っていた桜文鳥のピーコとハムスターのデニーロ(デニーロは弟が命名)。数々のあの頃と背景が歌と一緒にたちのぼる。私も弟も言葉で確かめ合ったりはしないけれど、それぞれに思い描いているのは分かる。

「浪漫飛行」にだってこれといった思い出が紐づいている訳んではないのに、おそらくそれまでの高鳴りに同調して私の涙腺が崩壊したのだろう。正直、にこを看取った時のあの慟哭の涙の衝動が、父の死を前にして起こらなかったことが自分は薄情な娘なのだと思う理由になっていた。それが、慟哭ではないにしても父の存在から私たち家族の道のりに想いを馳せ、次々と温かい涙が溢れる。効きが悪くなっていたスイッチが押されたように。

ふと、父がそばにいる気がした。
ね、今お父さんいるんちゃう? 歌いながら、弟が何度か頷いて微笑む。
そう。姉弟でこんな風に一緒に串焼き食べてビール飲んで、しまいには歌ってるなんて、俺のおかげやって言ってそう。そしてあの目尻を下げた人たらしの顔で笑っている。
涙はだばだば溢れてくる。

ねぇ、まだ子どもだった私と弟よ。あなたたちは数十年後の春の夜に、二人ともいいおじさんとおばさんになって浪漫飛行を大きな声で歌うんだよ。そしてそれはとってもいい夜になるのだよ。あなたたち必死で頑張ったよ。

ぷるるる ぷるるる お時間になりました。

えー延長する?(もうすぐ23時) 
それはやめとこ、明日退去立会いやで。

弟が立派な一人の大人の男になっているのを姉はたった今重ねて痛感しました。ありがとうね。






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