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名探偵コナン 黒鉄の魚影を観た(ネタバレアルヨ)

本当にやばいと「やばい」すら言えなくなる。
エンドロールが終わって、毎年お決まりの次回作のちょっと出しのあと、ため息するしかできなかった。
予告映像以外の情報をシャットダウンして、制作者のインタビューすら目に入れないようにしていたから、自分の中でふくれあがる気持ちに、映画を見る前から、それだけで胸がいっぱいになっていた。
家に帰ってきて、それなりの言葉にまとめた記録。

灰原哀はみんなに守られている。
それは初めて登場したころからそうだと思う。
その思いを受け入れられなくて、でも次第に心を許し始めて…そんな変化があったからこその映画。
「天国へのカウントダウン」で、今にも爆発しそうなビルに一人残ろうとした灰原さんとは違う。
一人で背負い込んで、一人でセンチメンタルになっていたあのころとは違って、みんなを巻き込んだことへの負い目に、つぶされそうになって涙する姿には、こちらも目頭が熱くなる。
追っ手がすぐそこに迫っていることに気づき、まさにこれから対峙するという直前。
何も知らずに眠る歩美ちゃんの布団をかけ直すシーン、たった一瞬のことだけれども、灰原哀として彼女を大切に思っていることが伝わってきた。
潜水艦から逃げ出すことをためらう直美への、「私は変われた。だから信じて」は、揺れ動く心でここまできた灰原だからこその言葉だと思う。

今回のテーマは黒の組織との対決。
だからなのか、ミステリー要素はわりと少ない、というか違和感には気づきやすいように思った。
蓋つきのカップから飲んだあと口元をぬぐうんだとか、コナンの「2」の表し方にしかけを入れてくるんだとか、それにかかわる人は…と思えば犯人はしぼられる。
それに、組織の潜水艦からの脱出も、わりとすんなりいくなという印象。

その「すんなり」の裏にあったキールの存在が、この映画で実は大きな役割を果たしている。
灰原に発信機を使われていることに気づきながら、知らんふりを続ける。
それだけでなく、潜水艦からの脱出方法をそれとなく灰原とコナンに伝えていたのも彼女。
さらに、あと少しで潜水艦から脱出という灰原たちのために、時間稼ぎをしたのも彼女。
映画の最初も、キールがユーロポールの職員を追う場面から始まった。
しかもその職員の命を守ろうとする描写もある。
その結果、職員を撃ったジンの弾丸を受けてしまうことになるが、冒頭から登場するだけあって、彼女の言動がカギになっている。
姉を組織に殺された灰原、宮野志保。
そして、直接的ではないにしても、父親の死亡に組織がからんでいるキール、本堂瑛海。
これまで直接かかわることのなかった2人だが、交錯する思いはあるのではないだろうか。

名探偵コナンにおいて、恋愛で悲しむ人がいないでほしいなと思う、個人的には。
今回の映画で気になるのはコナンと灰原の関係。
この2人にはずっと良き相棒でいてほしい。
江戸川コナンには、工藤新一には、毛利蘭という絶対的な存在がいるけれど、海中で意識のないコナンに人工呼吸をしたことを「キス」と言った灰原の胸中はどんなものなのだろう。
かつて「14番目の標的」でも、コナンに蘭が人工呼吸をしたことがあって、映画の序盤に出てきた「Aの予感」が回収されることになった。
そのとき意識していたのはコナンの方。
でも今回はそんなことなくて、海から上がって倒れたままの灰原に駆け寄ったコナンを押しとどめて、蘭にキスをする。
いま意識しているのは灰原の方。
新一と蘭は2人ともどこまでもまっすぐで、犯罪者すら助けてしまうこともある。
かつて黒の組織にいた宮野志保にとって、そんな2人はまぶしくて、壊してはいけない存在なんじゃないかと思っている。
「月と太陽なら 私は月」
まさにそんな関係だと思っている。
だから、「好きだから、キスしちゃってどうしようと思っている」のではなくて、「無我夢中になって唇を重ねてしまった。ごめんなさい」みたいな気持ちだったりしないだろうか。
このシーンはかなり衝撃的だったし、3人の関係を考えるといろんな感情がうずまいてしまう。

黒の組織が登場する映画はこれまでにも何作かあるけれど、「天国へのカウントダウン」から考えると、敵も味方も数が増えて大きな戦いになってきたなと思う。
それに、数が増えたからこそ、黒の組織が一枚岩でないことがよくわかってくる。
公安警察やCIAのスパイはもちろんとして、ベルモットの立ち回りの真意はどこにあるのか。
フサエブランドのブローチを買おうとしていたのは、灰原に近づくためなのか、それとも本当にほしかっただけなのか。
灰原に整理券を譲ってもらったおばあさん、緑のネイルがベルモットをにおわせていたけれど、いつもなら組織の気配を感じる灰原も、それに気づいていなかった。
これはストーリーを組み立てるうえで、あえて入れなかった演出だろうか。
「灰原から手を引け」「それはできない」
かつてコナンとベルモットのあいだにこんなやりとりがあったけれど、それを受け入れたのだろうか。
たぶんそれはないだろうから、何かもっと別の理由が。
そして、幼児化の事実に気づいた組織のメンバーは殺されるという流れは、今作でも変わらなかった。
ピンガが工藤新一の名前を出した瞬間、「あぁこいつも」と思ったけれど、しっかりそうなった。

自分のことをサメに例えていた灰原哀。
そして、当時は受け入れがたい存在だった蘭をイルカと表現する。
このエピソードの最後には、灰原自ら蘭に歩み寄っている。
灰原哀は暗い海の底に沈むのではなく、光のさす方へ浮かび上がってきた。
映画のエンディングでは、イルカの置き物が飾られていた。
ホエールウォッチングから始まったこの映画に、イルカは登場しない。
そんな映画の最後に描かれるイルカ。
灰原哀の周りには、彼女を受け入れてくれる誰かがいるのだと示しているようだった。

次は4DXで観るつもりだったが、もう一度ストーリーだけに集中してじっくり観たい気もする。
まあ何回観てもいいか。

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