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苦しみのない世界へ

9月に入り涼しい日が続いた。雨が降ってはやみ、暑かったり寒かったりを繰り返した。風はぶ厚く湿気を富み、つむじ風のごとく吹き荒れて、夏の終わりを静かに伝えていた。

夏の暑さにやられていたこともあり、このひと月は仕事を早めに切り上げて帰ることが多かった。そして仕事の閑散月に入ることを感じた私はいろいろと旅行の計画をたてていた。もちろんその中に祖母に会いに行くというのも含まれていた。

10月に入りいよいよ旅行計画を実行しようという時に、珍しく妹からの電話があったことが着信履歴に残っていた。仕事中であったので後で確認することとしたが、それは後に訃報であることを知ってゾッと血の気が引いていった。

あろうことか家族のLINEのグループチャットに祖母の永眠の旨と明日の18時に通夜、翌10時より葬儀と書かれた簡素な通知書を写した画像が簡単に貼り付けられていた。それを確認したのは21時だった。

祖母は数年前よりパーキンソン病を患い施設で療養を受けていた。容態は悪化する一方であり、もう長くはないということはわかっていた。しかし、その晩私は寝つくことができなかった。涙もなく喪失という旨の痛みも感じてはいなかったが、やはりいつもの私とどこかが違うようだった。結局一睡もできず翌朝新幹線で祖母の家へと向かった。

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祖母は仏間で白い布に覆われていた。恐る恐る布を払いのけてみると、頭蓋骨が浮き出たように顔が萎縮していた。身体はさらに縮まって床に張り付いているかのようだった。しかし目元はまだ美しく、静かに眠っているようでもあった。

息をのんでそっと顔に触れてみた。ひんやりと冷たくてそこで初めて祖母が死んでいるのだとやっと私は理解することができた。肩に触れるとそれは力無く、たくあんをにぎっているように手応えがなかった。

祖母の通夜が始まった。家族葬ということで父と伯父の家族だけの密やかな通夜であった。

着慣れないスーツで居心地が悪く、借りてきた数珠の玉が1つ欠けていてその間に指を詰めて間に合わせていた。

祖母の遺影を眺めれど死んだという実感はやはりなく、ただただ味気ない時間を過ごすばかりだった。こうしてあっという間に時間は過ぎてしまった。

ホテルに帰ると眠気に誘われてすぐに眠りに落ちた。そして深夜に目を覚ました。窓をしきりに雨粒が叩いている。そして雷鳴が轟いてせわしなく窓が光っている。

何もすることができない時間、ただただ祖母に会いに行けなかった罪悪感を噛みしめた。まるで祖母の審判が始まったかのようで、その様子を窓から祈りながら見届けるしか私には方法がなかった。

やがて疲れてベッドのなかで時間がたつのを待った。真新しくて固いシーツの触り心地はごわりとして肌になじまない。気がつけば雷鳴はやみ空は白んで夜明けを向かえていた。

祖母の葬儀がはじまった。お経や念仏が耳になじまずとても辛い時間を過ごした。祖母への想いを捧げるつもりでいたのに、とてもそんな気になれなかった。

仏教や神道の死生観をある程度勉強していたはずなのに、祖母がその道を通っていくような気がいっこうにしなかった。

天国も地獄も思い浮かばない。神も仏も感じられない。祖母という存在はもうすでに失われてしまったものであり、私はそれを受け入れてしまっていたのかもしれない。

そんな自分を祖母の遺影は見ているような気がしていた。裁かれているのは自分なのではないかとさえ思った。

火葬場で祖母が焼かれていくのを待っていた。待合室ではお茶と茶菓子が置いてあった。食べたいわけでもないが、暇つぶしに食べるしかなかった。とてもおいしいという気持ちはわかなかった。待合室を抜け出し兄がロビーで座っていたので近くに寄った。

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ロビーの窓からこざっぱりと整備された庭園が見えた。それは美しさや華やかを見るための庭園ではなく、岩がゴロリと無造作に置かれ木々がしげりすぎないようにザクリと枝々を切られた殺風景な空間だった。

その向こう側には、雲がいつもと違う方角に動いていてまさに死後の世界という感じがした。

この地は祖母の出生地でもなければ、思い入れの深い場所でもなかった。そして葬儀に集まった家族それぞれにも縁はほとんどない土地であった。そんなこの地が最後の場所であるというのは不思議なものであると兄と話し合った。

祖母は祖父に先立たれて、縁もゆかりもないこの地に遺された後も着丈にふるまっていた。

それでもある日、認知症になり手足は震えて料理すらまともにつくれなくなってしまった。

「死んだ後に家族が集まって立派な式をあげて、立派な棺桶にいれても、それは祖母のためなんてとてもいえない。生きているうちでなければ意味はなかったはずだ。」と兄はこぼした。

そして「祖母はもうどこにもいない。忘れさられていくしかない。」と言った。空の上には太陽も星も飛行機も見えず。雲が慌ただしく東から西に流れていくだけだった。

焼きあがった祖母の骨は思いのほか細くばらばらに砕けていた。骨はところどころ黄色く色づいていて苦しみが伝わってくるようだった。

お骨を納めたあと、骨壷に入りきらない骨は施設が引きとることになった。骨壷に納めた骨と、そうではない骨。いったいなにが違ったのだろうか。

それでも誰も、私を含めそれに異論はなかった。この時もう祖母という存在はもうこの世にないものと誰もが認識しているのだと感じた。

宗教はなんのためにあり、葬儀はなんのために行われるのだろうと考えた。葬儀の様子は、誰しもがいつかの自分の姿を重ねるであろう「自己」という生の根幹を揺るがしかねない「死」という現実に触れる瞬間なのである。

それに対していかに振る舞うかで、生きることへの意味を創造できる瞬間なのではないだろうか。

肉体なき死者の存在が一瞬にして失われてしまうものではなく、むしろ更なる高みを目指していくというストーリー。そしてそれを家族がこの世から応援できるというシステムは、私たちの生へのモチベーションを削がないためにあるのではないだろうか。

本当のことは全くわからないが、祖母を想って西の空に向かって祈り続けた。祖母は苦しみのない世界に旅立ったのだと信じたいと思った。

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