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コップの中の離島

科学的なソノ色の水に、ぷかりと浮かぶ白くて冷たいソレ。

私がクリームソーダを意識し始めたのは、大人になってからだ。

正直、こんなに食べ物や飲み物が溢れ返る世の中で、舌の肥えた現代人にとって、クリームソーダを超える″美味しい″はいくらでもあるだろう。

むしろ、食べ物の味だけを評価したランキングを付けたら、全食べ物の中で、果たして真ん中より上位にいるかも危うい。

それでも、なぜこんなにも、私に限らず、クリームソーダには人を惹きつける力があるのだろうか。

見た目の美しさ、はもちろんあるだろう。
メロンソーダやクリームソーダでしか出会うことのない独特な色味。
ジュースの上にアイスクリームが乗っているご馳走感。
見た目だけでいうと、ジュース界の帝王のような風貌である。

でも私は、それ以上にクリームソーダの付加価値を見出すとしたら、″記憶″という部分ではないかと思う。

私、そして少なくとも私の周りでクリームソーダを飲んだり目にする機会に遭うと「懐かしい味だね。」「子供か!」そんな感想やツッコミが飛び交う。

神様は、人々が子供の頃に、目の前にクリームソーダをポンポンッと置いていく仕事をしているに違いない。それでも小さい頃にクリームソーダに出会えなかった人達は、きっと、神様の仕事に抜けがあったのだろう、凄い数の人間がいるんだから、置き忘れがあっても仕方がない。

そうやって幼少期にクリームソーダという経験を通らざるを得なかった私達は、大人になってその経験を味と感情に置き換えながら、目の前のクリームソーダを脳と心と舌で楽しむのだろう。

当時の目線で見た風景、匂い、人、出来事、それらを思い浮かべながら、今現在として目の前のクリームソーダに舌鼓する。

ああ、クリームソーダよ。

クリームソーダがハイブリッド化せず、ちゃんと当時の形状を留めておいてくれて、ほんとうに良かった、ありがとう。

と、なんだかんだと稚拙な分析をしてみたものの、私がクリームソーダを楽しむ一番の目的は、実は、氷の表面にくっついたあのアイスのシャリシャリ部分を楽しむ為だ。あの希少部位であるシャリシャリをスプーンですくって口に入れた瞬間の幸福といったら、、他には代えられない。

今回、ごく最近のカメラロールにクリームソーダの写真があったのでクリームソーダを題材にしてみたのだけれど、クリームソーダに限らず、普段それとなく好きだと思っているものには、考えてみたらさまざまな理由や要因が眠っているのかも。


個人的に、これからの一番の目標として、自分に素直に生きる、と掲げているのだけれど、素直に生きたくても、自分のことって自分でもほんとうに分からない。

こういう、散らばったものをひとつひとつ解読していくことで、少しでも自分を理解するきっかけになったらいいなと思う。

#エッセイ #好きな食べ物 #クリームソーダ