「このおかあさんがいい」
長男が2歳だったころ、よく伝えてくれた言葉がある。
「ママ、笑って?」
『いいおかあさん』にならなきゃって無理していたわたしに、力を抜いていいよと、優しいメッセージだった。『いいおかあさん』より『幸せなおかあさん』でいることのほうが大事なんだと気づかせてくれた。
≪ああ、だったらわたし、今まで通りでよかったんだ≫
このままでいいんだよって、肯定してもらった気がした。
次男が3歳の頃、ひどくあたってしまったときのこと。直後に自分が本当に嫌になって、泣きながら「こんなおかあさんでごめんね。」と謝った。次男も目に涙をためて、ちいさな肩を震わせていた。「いいよ。」と可愛い声で彼は言った。そのあとでわたしが「どんなおかあさんが良かった?」と訊いたら、彼はきょとんとした。そしてわたしを指さし、迷わず答えた。
「このおかあさん。」
まっすぐな目だった。
静かな衝撃がわたしをぐらっとさせた。なにかがひっくりかえった。いまでも、思い出すと涙が滲む。
やっぱり、いいおかあさんなんて求められてなかった。わたしはわたしでいればそれでいいんだ。こどもはどこか他所に『おかあさん』を求めてはいない。勝手にがんばって勝手に疲れて、家族にあたってしまうのを、上手にコントロールできるようになれたら。
親が子を想う気もちは無償の愛だと言うけれど、こどもからの愛の方がよっぽど純粋で無償だと、どうしてもそんな気がする。泣けてしまうほど無垢なその愛を、ちがうものにして返したりせずに、大切にして何倍かにしてお返しできたら幸せだと思う。
わたしはそんなおかあさんになたい。
2020.4.7
Be with you
小絵
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