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タイピング日記025 / キマイラ / ホルヘ・ルイス・ボルヘス/柳瀬尚紀訳《幻獣辞典より》

 キマイラのことが初めて語られるのは『イーリアス』第六書である。そこでホメロスは、それが神の血筋を引くもので、前方は獅子、真中は牝山羊、後ろは大蛇のかたちをし、口から炎を吐き出すと描写している。グラウコスの息子、見目麗しいベレロポーンが、神々の御告げにしたがって、結局これを殺す。獅子の頭、牝山羊の腹、蛇の尾というのがホメロスの語句の伝えるもっとも明確な姿であるが、ヘシオドスの『神統記』はキマイラが三つの頭をもつとしており、五世紀にさかのぼる有名なアレッツォの青銅像はそういうふうに描いている。この獣の背の中央からは牝山羊の頭が突き出ており、背の一方の端には蛇の頭、他方の端には獅子の頭がある。

 キマイラは『アエネーイス』第七巻に、「炎で武装して」ふたたび姿を現す・ウェルギリウスの注釈者セリウィウス・ホノラトゥスは、あらゆる典拠からいって、この怪物はその名をもつ火山のあるリュキアの産であると述べている。この山のふもとには大蛇がたくさん棲息し、山腹を登っていったところに草原があって山羊がおり、噴火するその寂しい頂上ののうには獅子の群れが棲む。キマイラはこの奇妙な上昇の比喩だろうというのである。これより前に、プルタコスが、キマイラは獅子、山羊、蛇の姿を船に飾った海賊の名であろうと述べている。

 こうした馬鹿げた憶説は、キマイラが人々を退屈させ始めたことの証である。それは何かほかのものに変えてしまうほうが、それを想像するより容易だったのだ。獣として、それはあまりに異質なものが混じっていた。獅子と山羊と蛇(テクストによっては、竜)とでは、簡単にひとつの動物にはならない。時とともに、キマイラは《奇想天外-カイメリック》なものになってきた。ラブレーの有名な洒落(「虚空でぶんぶん騒ぎたてるキマイラは第二次一般概念を食いうるか?」)は、この変化を明確に示している。寄せ集めのイメージは消滅したが、この言葉だけは残って、不可能を意味している。むだな、もしくは愚か奇想というのが、今日、辞書に載っているキマイラの定義だ。

-アレッツォ-イタリア中部トスカーナにある市。

-セルウィウス・ホノラトゥス-四世紀ローマの学者。

-リュキア-小アジア西南部の古代都市の国。

-虚空で……-『パンタグリュエル物語』第二の書第七章に列挙されている書名の一部。渡辺一夫氏訳では「虚空ニ鳴騒乱スル奇迷羅ハ物象偶有属性ヲ喰イ得ルヤ?」。なお「第二次一般概念」は第三の書第十二章にもでてくる言葉。


■ホルヘ・ルイス・ボルヘス/柳瀬尚紀訳《幻獣辞典より》


wikiより

ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベード(Jorge Francisco Isidoro Luis Borges Acevedo、1899年8月24日 - 1986年6月14日)は、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)として知られるアルゼンチン出身の作家小説家詩人。特に『伝奇集』などに収録された、迷宮無限循環架空書物や作家、宗教などをモチーフとする幻想的な短編作品によって知られている。彼の評価は1960年代の世界的なラテンアメリカ文学ブームによって確立され、その作品は20世紀後半のポストモダン文学に大きな影響を与えた。



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