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依存する年増たちの成れの果て。20230323thu269

802文字・25min


報告とエッセイ
フォロワーの皆さん遊びに行けなくてすみません。
言い訳で申し訳ないですが時間が取れない。
いまは有料記事と別の本執筆に注力しています。
日記はぜひ気楽に読んでください。

下記のエッセイが僕の愚痴なのか、自分で書いていてわからなくなった。
消去はしなかった。その日記をここでUP。

依存する年増たちの成れの果て

いまマッチングアプリの一つを有料にしてマッチングした女性とメッセージを交わしている。ぼくももう歳なので、相手の女性も年増が多い。

大分にいたときは二度、県が主催するオミコン(お見合いコンパ)に参加した。ぼくはオミコンとマッチングアプリで一つ学んだ。だが、これは年増に限ってのことではない気がする。

オミコンでもマッチングアプリでもおなじ種族がいる。実家住まいの年増だ。五十路手前で未婚女だともう手に負えない。自分の境遇は噯気(おくび)も出さずに相手の顔を見て年収を尋ねる。車は何を乗ってるんですか? どのようなお仕事をなさってるんですか? ちゃんと結婚相手を求めるんだったら月数万円をかけて結婚相談所に入会するはずだ。会費千円の10対10のオミコンで自分のお眼鏡に適った相手が見つかるのか? そう言う年増は経験則上99%実家住まいだ。実家から独立ができない。そんな自分を棚に上げて、自分以上のハイクラスの男を釣り上げようとする。

ぼくは小説を書いている。何年も経つ。書けば書くほど自分の筆の未熟さが怖くなる。いま思えば、書き始めた頃は、これくらいだったら書ける(あるいは、すぐに書けるようになるぜ)と思った。だが実際書いてみると、これは至難の業なのだ。ラノベも純文学もジャンル小説もそれぞれ流儀があって、その道で書く。さらには読者にウケるように書く。気が遠くなる。
実るほど頭を下げる稲穂かな
この諺(ことわざ)は身に染みる。ぼくも作ってみる。
軽蔑で自分を保つ年増かな
ん? これは諺じゃない。川柳だった。


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