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男の過去、同級生の仏前 / エピローグを三章に差しこむ(GM)


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「おい。ペットボトルを袋かなんかに包んでやれ」

 父の母に言う声は落ちついた声音にもどっていた。

 ブルルル。

 両手でにぎるスマホが、ふるえる。胸をひっかいた爪の隙間が血で赤い、その指でスマホをハンズフリーにして、床に置いた。天井を見上げて息を大きく吸った。大丈夫。だいじょうぶ。天井を見、じぶんに言って聞かせる。呼吸は整ってきた。

「オザワくん? 」

 声は、ノリの母だった。ノリは男の高校時代の同級生だった。三一一があった二○一一年に、肺がんが発覚してあっという間に急逝した。

「はい。オザワです。おはようございます。どうなさいましたか? 」

 そう言って男は咳きこんだ。また爪を立て、胸をつかむ。

「オザワくん? いま、大丈夫なの? 」

 ノリの母の声が聞こえる。

「はい、大丈夫ですよ。いま、起きたばかりなんですよ」

 天井を向いたまま男は意識的に、できるだけ機械的に息を吐きだすようにゆっくりとしゃべった。まだ動悸ははげしい。

「悪いわね。起こしちゃって」

「ノリフミ君の来月の命日、芸大の学友のみんなは集まりそうですか」

「そのことなのよ。ひとりコロナにかかっちゃったんですって。三年も来てもらってないけど、今年も見合わせますって連絡が来たのよ」

「ぼくは今のところ大丈夫です」

 胸部がさしこむように痛むのを我慢して男は一息で言った。

「ウチの旦那ね。脊骨を痛めてもうながいの」

 ノリの父は西善町で行政書士事務所をやっていた。脊骨の痛みのせいで隠居した。男が三週間前に九州から帰ってすぐノリの仏壇に線香を上げに行ったときにはノリの父は籐でできたまわる高座椅子に座ったまま、男の父がみるテレビの三倍は大きい液晶画面から視線を逸(そら)さなかった。首がまわらなかったのだ。男は思いだした。

 男は黙っていた。

「来月の二十日なんで、ぼくだけでもお邪魔させてもらえませんか? 線香を一本でも」

 天井を見あげたまま男は言った。この部屋は高一からずっとじぶんの部屋のはずなのに見知らぬ天井のように白白とかんじた。思いかえせばこの部屋の記憶は、高校時代しかなかった。

「私も、最近、目がつらいの。緑内障でね。とても疲れるの」

 急に男はふかい悲しみに襲われた。なぜかわからない。裏切られた気持ちなった。

「そうですか。残念です」

「またの機会にね」

 またの機会にってよ。じゃあいったいいつなんだよ! 男は腹の底でさけんだ。肩で息をしていた。パニック発作は治まって心臓の鼓動は正常にもどっていた。

 三週間前、男は西善町にあるノリの家に行って線香をあげた。九州に三年いて一度も線香をあげに来られなかったので気にかかっていたのだ。ノリが好きだった伊香保の湯の花まんじゅうをもっていった。

「こういうのは要らないって言っているのに」

 ノリの母は玄関を開けて男を出迎えた。

「ぼくの真心からでた気持ちなんです。受け取ってください」

 ノリの実家の玄関を開けると框から廊下にかけて木彫りの像やこけしやぬいぐるみなどが所狭しに置いてある。それを訊ねると、ノリは高校を出てから関西の芸大に進み、日本を縦断して歩いて世界を放浪した。その行った先から送ってきた土産物だという。

 ノリが大学で関西に出たころ、男は一浪を終えて結局、大学の通信制の学部に入って、その大学の図書館に通うために横浜に出た。一年目の夏期スクールングの最中だった。扇状に広がる大講堂で、老いた大学の名誉教授が、僕はまさに同志であった安岡周平くんとともに折節萎先生から学んだんだ。と講義をして、自らが出版した授業の教科書である分厚い資料を重たそうに抱えながら立ち去った矢先に、ノリから電話があった。

「アキか? 」

「お、ノリ! 久しぶりじゃんか」

「カジノやるか? 」

「え? カジノ? いま、ノリはどこいるのよ」

「先月はラオスとベトナムにいて、いまマカオ」

「マカオ? じゃあ、これは国際電話か」

「そうだよ。アキよ。こっちに安い部屋を借りているからさ、いまからこいよ。泊めるぜ」

「いまから泊めるってたって… 」

 男はその週に出会った、夏期スクーリングのために熊本から上京した背の低い、男とおない齢だという十九の女になぜか逆ナンパされて、デートに誘われた。群馬の田舎から出たてで奥手の男は、とまどった。授業が終わってすぐ熊本の女は講堂に入ってきて男の席のとなりに座った。

「こっちに来ちまえよ。まずこっちに来ちまえばよ、金なんかどうにかなるもんだ」

「行きてえなあ」

「マカオ来ちまえって。おれがどうにかしてやるよ。人生よ。一歩、踏みだしちまえゃあ、どうにかなっちまうもんだぜ。世界はおまえが思っているものとはちがう。すんげえ広れえんだよ。人生ってのは、ほんとおもしれえぞ。それになこっちは、女は十五とか十三くらいのが安く買える。みんな処女だ。なんなら九つの少女も…」

 男は電話口を塞いだ。男はまったく別のことで悩んでいた。

「アキよ」

 ノリは言った。

「え、なにが? マカオな。いいなあ。行こうかなぁ」

 男はことばを濁(にご)すように答える。となりに座る背の低い熊本の女が、男のジーパンのポケットに手を入れてきた。

「アキよ、それ以上、悩むなや。だいじょうぶだって。絶対にどうにかなる。おれが保証してやっからよ。じぶんからよ、わざわざキツいとこに踏み入れて行くこたねえ。じぶんの快楽にしたがえ」

 ノリは男に、だいじょうぶ。おれが保証してやる。じぶんの快楽にしたがえ。と平然と言った。ノリのその言い様は、男が抱える悩みを見透かしていたような口ぶりだった。

 男はほかの悩みをかかえていた。人間関係の悩みだった。バイトに馴染めない。大学の県人会でも孤独を感じる。安心できるのは読書くらいだった。そもそも男は大学で何をやりたいか、いったい何を学べばいいかわからない。大学を出たあとどこへ向かえばいいのかわからなかった。それが人間としてノーマルな状態なのか、だれにも相談はできないでいた。男はひとり悩んだ。

 男はその夜、ノリが言ったことば「じぶんの快楽にしたがえ」に導かれるままに背の低い熊本の女を抱いた。背の低い熊本の女は狂ったように男のからだにむしゃぶりついた。のちに熊本の学友から聞いた話によるとその女は地元熊本では武士の時代からの名家の令嬢だった。福岡に大企業の御曹司の許婚がいた。女は夏期スクーリングを終えて熊本に帰って秋に結婚をした。ノリが男に残したことば「悩むな。じぶんの快楽にしたがえ」は、四半世紀以上が経ってなお、男の胸のなかで燦然(さんぜん)と生きる。男にとってノリはそういう人間だった。

 ノリの母の話によると、ノリは小学に入る前から神童だった。学校では学業はトップで担任からはなにも言われなかった。中学では学校に行かずに毎日ゲーセンかパチンコ屋に通った。スロットが好きだった。成績では県下でトップの高前高校に行く予定だったが、なぜか伊勢崎の高校に入った。それで男と知りあった。

 ノリは現役受験で東帝藝術大に受かったがなぜか関西藝術大に進学した。卒業したあと日本各地と南アジアと放浪して三十を過ぎて某大手ゲーム会社の開発部に所属した。スロットマシンをじぶんの手で設計する。それがノリの夢だった。開発部でチーフを任されるようになってラスベガスにマシンの視察に行く直前に健康診断を受けた。肺に小さい陰影が発見された。リンパ性の肺がんだった。三ヶ月でがんはまたたく間にノリの全身を蝕(むしば)んだ。ノリは三十半ばにしてこの世から夭折(ようせつ)した。

 ノリは関西藝大のときに駅前に一軒家を借りてそこで多くの友人たちと共同生活をした。ゲーム会社の開発室に入ると社長の息子を任された。ノリが笑うと周りが笑った。友人によってはノリと一緒にいるとかならず雹(ひょう)や落雷やなにやら超常現象が現れるという。人柄が良い、人望が厚いと一言では片づけられない人を惹きつける魅力がノリにはあった。十回忌を越えてなお毎年三十人をこえる大学の同級生や元開発部の部下がおとずれて十人は泊まりこんで酒を飲んで昔話をして帰った。それがコロナ渦で三年なかった。

 男はノリの同級生たちと会ったことは無い。大人数が苦手でノリの命日の訪問を避けたわけではない。男がノリの死を知ったのはほんの数年前のことだった。

 ノリの存在が男の人生に影響を及ぼしたか。わからない。

 男は二十七で北京に渡った。大陸映画が好きで語学留学だった。北京で知った韓国女性と結婚をして上海の現地法人に入社して娘をもうけた。娘が二歳のときに南京で離婚。帰国をした。それから地元のイタリアンの皿洗いなどバイトを転々とした。埼玉の盆栽屋で知った同僚に飲み屋で「おまえ書いて見ろよ」となぜかの強く勧められ、小説を書くようになった。盆栽屋の同僚はなぜ男に小説を書けとあんなに強く勧めたのか。男はわからない。男は色んな仕事をやったがみんなダメになった。原因は男はわからない。だが小説は書きつづけた。男は人生で他者に何かを勧められたのは小説が初めてだった。男は辛いときになるとノリの言葉を思いだす。「悩むな」は、脳やからだを覆(おお)うモヤモヤから排除することはできない。だが「じぶんの快楽にしたがえ」を思いだすと、また書けた。

 男はじぶんを書くことを嫌った。最初、じぶんの閉鎖病棟での体験をもとに書いた小説を純文学の下読みに添削に送ると「君の原稿のように自分は特別だと思いあがったモチーフは審査に極度に嫌われる。私もふくめ一次では読まず落とす。普通の出来事や日常を読者に読ませる。それをなぜしないのか? 」と向日邦子のエッセイのコピーが同封されて返ってきた。男は、子どもの頃から向日邦子は大ファンだったが、ラストに決まって知人の死が訪れるテレビの脚本的なサゲは好みではなかった。芥河賞の選評はぜんぶ読んだ。「今回は怖い作品が無くてみな素直に読めましたー」「この作品は対岸の火事でまるで怖かねえな」「こりゃあ便所の落書きだ、読めたもんじゃない」男は小説がまるでわからなくなった。「文章は巧さじゃあない。何かを伝える気があるかどうかだ」「デビューすればそんなもんどうにでもなる」といった老作家の言葉をかろうじて心に留めるしかなかった。

 男はSFを書くようになった。いまはこんな小説を書いている。

 新潟の浜に一人の男が上陸した。将軍様からの特務は首都爆破だ。が、彼が上陸したとき列島は、北海道はロシア軍に九州は中国軍に制圧されていた。日本列島は無法地帯と成り果てていた。男は首都への道中、さまざまな人間の地獄を目撃する。人間とは? 国家とは? 男は悩む。男が国会議事堂に到着するとそこはアメリカ軍が占拠していた。官邸に侵入すると総理大臣が人質に囚われていた。「この国は何もかもが腐っている。この国の運命を君に託そう。君のような人物が、もしこの国を救えたならば、この国は生まれ変わるのかもしれない」男は日本国総理大臣に言われる。男は将軍様の命に反し、列島を救うのだった。

 が、男は北のテロリストや破綻国家や無法地帯や民間防衛などは日本に出版されたあらゆる資料を読んで描けるとしても、北海道と九州を占領された日本政府の中枢、政府の防衛手段を描くとなると筆は止まった。二度入った閉鎖病棟の内部なら、たとえば夜に拘禁室で四肢が縛られたまま、火災訓練で火災報知器の止め忘れや看護師の差別の目や夜勤バイトの虐待風景など、ありありと手の取るように描くことはできるのに。なぜそれを書いてはならないのか。男は悩んだ。

 九州に篭って二年目だった。向日邦子ファンの下読みの添削に原稿を送って「きみの文章は既視感しか感じない。このままどんなに上手く文章が書けても評価はされない」と辛辣な評価を受けて、夏から半年のあいだ床に伏せった年の暮れだった。ネットの文章教室で新聞記者出身の老作家に出会った。彼の門下生からは直樹賞作家が輩出されていた。男はその作家に弟子入りした。

「キミは大宰治が《人間失格》をなぜ書けたのか。わからんのか? 」

 パソコンのディスプレイの前で、男は推し黙った。

「大宰治は自分自身を描いたのではないよ。主人公である大葉陽三は、大宰治が観察した人間を客観的に描いた人物像の総合体だ。もちろん一部、大宰治はふくまれているや知れないがね。そんなことはだれにもわからない。けれど、プロが言うんだ。《人間失格》の大葉陽三は大宰治自身そのものじゃない。筆者大宰治が他者をするどく目撃、観察した結果、人間の醜悪をあるひとりの架空の大葉陽三なる人間像に収斂させた。その幻想の塊にすぎないのだよ。小説はそもそも嘘だ。捏造だ。でっちあげだ。文章のハリボテなんだよ。真実の見せかけなんだ。大宰治は虚構を作りだして、主人公大葉陽三にあたかも筆者大宰治を彷彿とさせる人間の真実像を浮き彫りにしてみせた。それが傑作と言われる由縁だよ。だからもし、きみが自分を主人公に据えて、閉鎖病棟を舞台にした物語が描きたければ、だね。いま一度キミは精神病院の閉鎖病棟に入ってだね。キミつまり自分とまったくおなじドッペルゲンガーのような他者の人間を見つけだしてだ。そのじぶんの分身を客観的にスケッチして描かなければならない。キミはまず全国の閉鎖病棟のどこかにひそむ自分の分身を、見つけださなければいけない。それからじぶんの分身を詳細に観察しなければ、筆者である主人公は異常だ。という小説は書けないよ。だからその下読みがキミに苦言を呈したことは、真。なんだよ」と老作家は言った。

 男は納得した。だが、幸か不幸か、よりによってその老作家は男とまったくおなじ重度の躁うつ病だった。ほぼ毎日、男は師匠にラインで呼びだされて朝まで十八九時間、ズームでオンライン飲み会をした。新聞記者出身の師匠は若かりし頃の吉詠小百合や橋本元首相とのツーショット写メを男に自慢げに見せた。男はとまどった。深夜をすぎると師匠はまるでライオンが酩酊したように目がぎらぎらする。それを見るたびに男は、老いた自分を見ているようだと思った。師匠の言う通りだった。これなら男は(老いたじぶん)を主人公にした躁うつ病患者の小説は書ける。そう思った。そんな日々が半年間つづいた。半年後、男はとうとう体調と精神に異常をきたした。老作家の門下から脱落することになった。

「アキトくん。それを丸ごと書いてみなさい」

 三週間前にノリの仏壇の前で男はノリの母に言われた。

「お母さん。それは私小説です。私小説は読む分にはぼくは大好きですが、書くとなると迷惑がかかる人がたくさん出ます。それに無名のぼくの私小説を読んで誰が感動するんでしょうか」

「私ね、小説はよくわからない。でもね、それって運命じゃないかしら。ノリは、ふらふらと波乗りするみたいに自由に楽しそうに生きて、夢だった職業について、まさしく明日から人生の本番。という希望の前日に、リンパ性の肺がんが見つかった」

 男は黙った。ノリの父は首を動かさずに黙ってテレビの野球を見ていた。

「突然の、ノリの死」

 ノリの母は言った。テレビのなかで、メジャーリーガーの大谷翔兵はホームランを打った。こんどはマウンドで投げる映像に切り替わった。

「死。そこからノリの人生を考えてみると、私のお腹から生まれたノリの人生って結果、どの道を通ったとしても、あの死に至るんじゃないか。いまになって私はそう受け入れることができるのよ」

 男は黙った。

「運命だいな。やっぱりノリフミの死は。幸せだよ。あんなにも仲間がいて」

 ノリの父はテレビを見つめたまま小さい声で言った。

「じぶんの目の前に突きつけられた真実を、じぶんの言葉で描く。それが作家なんじゃないかしら。たとえどんな無名でも有名でも逆にそれしか描けないんじゃないかしら」

 男は、ノリの遺影が置かれた仏壇の前に座った。もう一度、手を合わせて鐘を鳴らした。

「だれにも読んでもらえないんだったら、いつでもノリに読ませにウチにいらっしゃい。その後、私たちが読ませていただくわ」

 男はノリに手を合わせて、向き直ってノリの両親に深く頭を下げた。

「ノリは死んでしまったけど、アキトくん。生きてるじゃない。これからもたくさん生きてたくさん書きなさい」

 三週間前、伊香保の湯の花まんじゅうをもって行ったときはこんなだったのに「最近、目がつらいから。緑内障でね。またの機会にね」と今般の訪問を断られて、裏切られた気持ちなったのはこの理由からだった。じぶんは幼児性をもった自我を抑える理性が足りない社会的に不適格者なのか。あるいはこれは躁うつの一種の症状なのか。別の不安症なのか。わからない。感情が何か濃い闇の狭間で押しつぶされ、同時に身が引きちぎれるようだ。じぶんが精神疾患の病気をもつかぎり、この理不尽な感情。読者は理解できまい。この感情は小説には一人称では描けない。男は思った。

 部屋の柱時計を見る。バイトにでる頃合いだ。男は床から立ちあがって階下に降りた。


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