傷心旅行・5・焼肉
フルーツサンドの生クリームの甘さが、心を優しく包み込むような気持になった。
「おいしい」
そう、思わずこぼれたひとことは、嘘じゃない。
でもこの女に、お礼なんて言わないけど。
だいたい、私は営業部に配属を希望していたんだ。
入社の時の希望なんて、とりあえず聞いているだけで、特別考慮されることはないと知った時には、軽くめまいがした。
私は、スーツを着て、あちらこちらの会社をまわって契約をとる仕事がしたかった。
事務所の中で、みんなの機嫌を取りながら、事務作業をするのが一番嫌な仕事だと思っていた。
入社後、数年間は移動できないかと希望を抱いていた。
移動願いを出したり、もっと事務作業をスムーズに進められるようになったら、その実績を認められて移動できるかもしれないと思っていた。
でも、現実は、そんな面倒なことには誰も関わりたくないということだった。
私がいくら「やりたい」と思っていても、たとえ自信があったところで、結果が得られるかどうかなんて、なんの保証もない。
それに、新しい人を教育するっていう手間が増えるなら、そのまま始めの配属先にいさせるのがずっと楽だ。
長年、事務職をしていると、会社の内部についても見えてくることもたくさんある。
人事部には「人事部になんとなく」配属された人が、そのまま長年いるだけだから、人を見る目があるとは限らない。
むしろ、「長年人事をやっているから」という過信のせいで、大きく見誤っても気づかない。
というか、それ以前に、少し話しただけで人のことがわかるわけない。
そんな能力があったら、人事部なんかじゃなくて、もっと違う職業で生かせるはずだろう。
「見た目、見た目。
なんとなく、ほわんとしてる雰囲気だったから事務になっただけだよ。
だって、キツイ雰囲気の子が事務所にいて、ギスギスしたら嫌でしょ?」
そう聞いたのは、いつだっただろう。
ガッカリを通り越して、絶望を覚えてしまった。
仕事はずっと続けたいと思っていた。
たとえば、結婚しても、子供を産んでも、産休とか育休とか取って、仕事に復帰したいと思っていたけれど、次々に結婚する同期は誰一人として職場に戻ってはこなかった。
産休や育休という制度があっても、使うか使わないかは本人の自由だけど、それに理解を示すかどうかは職場次第だ。
そしてとうとう、同期はこの女、ひとりになってしまった。
この女が、営業部に所属していなかったら。
この女が、もう少し人当たりがよかったら。
「残った同期同士、たまには飲みにでも行こうか!」なんて言えてたのに。
ぼんやりとしているうちに、新幹線は目的の駅に近づく。
降りないわけにはいかないけれど、この後のことなんて考えてない。
この女も、どうやら降りる気でいるらしく、新幹線を降りた。
来たこともないこの街で、一体なにをすればいいわけ?
帰りのチケットは、どこで買えばいいんだっけ?
駅の中をあるきながら、あちこち見渡す。
とりあえず、お腹が減った。
ものすごく、やけ食いしたい気分。
いつの間にか、あの女の姿は見えなくなっていて、せいせいする。
駅の外に出ると、思ったよりもなにもない。
それに、こんなときに限ってカップルばかりが目につく。
イライラする。
「焼肉食べ放題」の看板を見つけて、足を進める。
ふわふわの可愛い服も、もうその意味がなくなってしまったのだから、肉の脂と匂いに包まれたって構わない。
そうだ。
久しぶりに、思い切りビールを飲もう。
カロリーとかにおいとか、イメージとかそんなのは忘れてしまおう。
お店に入って、案内された席の隣に、
「げ」
「…ついてこないでよ」
あの女が座っていた。
「ついてきたわけじゃないし」
「あっそ」
生ビールとごはんと、カルビと牛タンとハラミと豚トロと、思いつくかぎりの注文をする。
運ばれてきたお皿は、私のテーブルのスペースに収まりきらずにはみでている。
「もうちょっと考えて注文できないわけ?」
迷惑そうな顔を向けられるけど、ムシする。
小さな網にお肉を乗せて、好きなタイミングで食べる。
相手の食べたいお肉とか、順番とか、お肉が焼けるタイミングなんて気にしなくていい。
「…しあわせ。」
ぽつりとこぼれた言葉に、あの女がこっちを見る。
「なによ」
「別に」
あの女のテーブルには、嫌味なほど少しのお皿しか置かれていない。
「あのさぁ、食べ放題の意味なくない?」
「わたしの勝手でしょ」
「もう少し食べなさいよ!」
食べごろに焼けたカルビを、あの女の器に入れた。
捨てるなら、捨てればいい。
そう、思ったのに。
お肉を少し見つめたあと、パクリと食べた。
「…おいしい」
そう呟いた、その女が、ちょっと可愛いとか思ってしまった。
そんな顔もできるなら、もっと早くにそうしなさいよね。
もっと早くにそうしてたら、もっとおいしいもの教えてあげるのに。
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