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傷心旅行・8・甘く可愛く(最終話)

帰りの新幹線を待つホームで、あの女の姿が見えた。
さすがに帰りは違う車両だ。

あんな人だとは思わなかった。
…違う。

決めつけていたんだ。
知ろうともしていなかったんだ。
勝手に嫌な人だと決めつけて、勝手に敬遠していただけ。

だけど、わたしは一体どれほどの人のことを、本当にわかっているのだろう。

新幹線の中から、流れる景色を眺める。
たくさんの人が生きているけれど、こんなスピードですれ違うだけの人の方が多いのかもしれない。

立ち止まって、歩くくらいのスピードで関わり合える人は、本当はすごくすごく少なくて、そんな人たちとの関わり合いをもっと大切にしなきゃいけないのかもしれない。

昨日の上司の言葉が、頭をよぎる。

「考えてみてくれないか」

そう打診されたのは、人事への移動のこと。
もちろん、昇進を兼ねての移動と言われたけれど、すぐに返事はできなかった。

あんなに嫌で仕方なかった営業の仕事も、ここまで携わってしまってはすぐに離れることもできなくなってしまった。

もちろん、苦しさや厳しさは嫌ってほど知ってしまった。
だけど、その分おもしろさにも出会ってしまったんだ。

人事部は正直嫌いだと思っていたし、自分の希望は叶えてくれないのに、会社の希望は通すのかと思わなくもなかった。

だけどどうしてだろう。
今は、心が揺らいでいる。

もしかしたら、人事にも人事の事情ってものがあるのかもしれない。
知らなかったことも、きっとたくさんあるだろう。

仕事を覚えるまでは、苦しさや悔しい思いもするかもしれない。
…だけど。

胸がドキドキするのは、どうしてだろう。

わたしはもっと、自分は保守的だと思っていた。
冒険は好きじゃないし、アウトドアよりもインドアが好き。

ううん。
インドアが保守的だと誰が決めたんだろう。
インドアだって保守的とは限らない。

新幹線を降りた時にも、あの女の姿を見かけた。
なんだろう。
清々しい表情をして、背筋をシャンと伸ばして歩く姿が「可愛い」と思った。
そんなことを思った自分にもびっくりだ。

次の日、会社の通路であの女とすれ違った。

「おはよ」
「おはよう」

感じ悪くするつもりなんてなかったけれど、慣れなれしくするのもおかしい。
それに、昨日「可愛い」だなんて思ったことが、急に恥ずかしくなって目をそらした。

向かう先は、人事部だ。

正直、営業の成績は悪くないどころか、常にトップクラスにいる。
それなのに、どうして今、そして人事部なのかと上司に問うと、自分で聞いて来いと言われた。

だから、人事部で聞いてこよう。
わたしは、わたしの目で見て耳で聞いて、わたしの心で判断したいと思う。

人事部での答えは、想定外のものだった。

産休や育休を取りたい女子社員が増えていること、営業部にもっと女子社員を増やしたいことを告げられた。

わたしの仕事が評価されていたことを知った。

人事部を出た後、唇をかみしめたままトイレに駆け込んだ。
そして、個室のドアを閉めた瞬間に涙があふれた。

何度も何度も、辞めたいと思った。
「女のクセに」といわれ続けた。
がんばるほどに「可愛げがない」「女じゃない」と陰口を叩かれて、それほど女を否定したクセに「女を武器に使った」といわれたこともある。

女は自分自身を武器に使えるほど、強くない。
いつだってそれを要求するのも、非難するのも「男」だ。

人事部に配属しながら、新人教育と産休や育休の調整をする仕事もして欲しいと言われた。
もちろん、営業部で働きたいという女子社員の教育も任せてもらえるらしい。
話を聞きながら「やりたい」と思う気持ちがあふれた。

鼻をかんで、涙を拭いて、顔を洗って営業部へ戻る。

「先輩!」

後輩が泣きそうな顔をして駆け寄ってくる。

「どうしたの?」

「すみません、僕のミスで…」

今にも目からは涙がこぼれ落ちそうだけど、泣いたりはしないらしい。

「説明して」

「はい!」

誰のミスなんて、そんなことはあとでいい。
それよりも、ミスにどう対応するかの方が先。

泣いてミスが無しになるなら、何度だって泣いてる。
だけど、泣いたってもう誰も助けてはくれないんだ。
責任を負う立場になってしまったのだから。

後日、ミスのお詫びだといって後輩から渡されたのは、前から気になっていたケーキ屋さんのクッキーだった。

「先輩、実は甘いの好きですよね?」

耳うちされて、頬が熱くなる。
後輩にドキリとしたわけじゃない。

秘密を知られてしまったせい。
それと、不意打ちの至近距離のせい。

「な、なんで?」

「今度、ケーキバイキング行きましょうよ。
おすすめのお店があるんです!」

満面の笑みでそう告げられた。

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