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Peeping Life EDテーマ「さとりのしょ」を超訳してみた。

detune. / さとりのしょ

2008年公開の脱力系アニメ「Peeping Life」のED曲「さとりのしょ」(新約さとりのしょ)。
その歌詞が深すぎたので、個人的な解釈モリモリで考察してみました!

自然界の一部に憧れ 僕も参加したいと思ったら

”自然”とは、空や大地、生命といった大いなる流れのこと。
自分自身もその一部であることを感じたい。しかし、
自然環境との精神的なつながりを感じることは今や”憧れ”を抱くほど難しいことになってしまった。

残念でしたまだ きみは修行が足りない
ならさとりのしょを 手にとってゆくんだ 

それには、努力が必要なのだ。
この歌(さとりのしょ)に込めた内容を理解し実践しなければならない。

ぼくはやがて
土になってゆくのさ 何も見えない

僕は一人の人間であり、その命にはいつか終わりがくる。
そしてそれは土になり、大地に還っていく。
いずれ訪れる死を受け入れよう。

でも生きてくんだ
だれかのためにと いいつづけて
呆れられながら行く 
待っててね

それでもいいと思えるように生きていくことが生なのだ。
自分は誰かの役に立っていると信じて生きていくこと。
生きることの価値を否定するような冷たい声には耳を貸さずに、希望を信じて進んでいくこと。

歌声が届いたら 悲しみが戻るかな

この歌が皆の心に届けば、失われた人々の感情を取り戻せるのだろうか?


(((2番歌詞)))

子供が一人で泣きわめく
母親はどこ行った 謎だ

母親とはぐれてしまった子ども。
人々は無関心なまま、置き去りになった子どもは一人泣きわめく。
現代の社会では、人間同士のつながりがますます希薄になりつつある。

おっきな木なら君を
のぼらせたげてなぐさめれましょう

もし僕が大きな木であったならば、泣いているその子をのぼらせて、慰めてあげられるだろう。
何気ない自然の木でさえ、人の心を支えたり、癒したりして、役に立っている。
僕たちは自然に生かされている。

絵にかいたような街はやがて
月にもできるんだ 星が消えない

一方で、文明の発展は今後も続いていく。
人類の止まらない渇望は必然であり、変えることはできない。

でも生きてるんだ
今ここで海や山や空で
鮫や蜂や梟が ごった煮で

それでも受け入れて生きていくのだ。
今この瞬間も、海や山や空があり、様々な種類の生き物が影響し合って生きている。

歌声が届いたら 僕は救われるかな
言い訳をなしにして やり直しできるかな

この歌が神様に届けば、僕の魂は救われるだろうか?
不都合な現実に目をそらしてきた過去も償えるだろうか?


手にとってちょうだいな
ぼくのサンプリング

僕が歌うこの言葉を、手にとってみて、広めてほしい。
※サンプリングとは、録音された楽曲や音源の一部を新たな楽曲の一部として用いる手法のこと

きになってちょうだいな
誰も止めない そんで生きてるんだ

他者や周りのものに関心を持ってほしい。
関心を持つかどうかはあなた次第だ。そうしてあなたが起こした行動さえも、世界のサイクルの一部となっていくのだから。

対話してんだ つれだってゆくのさ 
自然と町と花と木漏れ日と雨と虹と

すべてのものは影響を与え合いながら、同じ瞬間をともに生きている。
大地に文明が生まれること、咲いた花に木漏れ日がさすこと、雨が降ったら虹が出ること、みな同じ。

泣きやんだ子供と大きな木と海と山を越え

あらゆるモノどうしの間にあるつながりを感じることができたなら、
(2番はじめに登場した)子どもの心に芽生えたつながりの感覚は、”大きな木”との間だけでなく、海も山も越えてずっと遠くまで広がる。

裏側まで光ファイバーを見下して

その”つながり”は地球の裏側までも届くほどだ。
文明が生み出した光ファイバーなどよりもずっと強くて広いつながりである。

牧師と天使と森と精霊とお地蔵と待ち人と君と僕と

キリスト教、アニミズム、仏教など、異なるさまざまな信仰に関係なく、この”つながりの感覚”はすべての人を結びつけてくれる。(※牧師、地蔵など明らかに一部の宗教を隠喩する言葉を並べている)

今、目の前にいる君と僕のことも結びつけてくれている。

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