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『居るのはつらいよ』を読んで

『居るのはつらいよ』という東畑開人さんの本を読んだ。


最初は著者のことを、なんだこいつは、研究者ってこんな感じなのか、よく分からんなと思いながら読み、なに!もう結婚して子どももいるなんて!そんで学校に通いながら研究だと!そんで夢を持って仕事だと!これはフィクションに違いないと思ったらそこはノンフィクションなのか!なんて贅沢な!私にはこの本が読めるのか?と読書が久々だったせいもあったのか、わなわなとしていたが読み進めるにつれ、トンちゃん…トンちゃん…と感情移入したり、えっ、とかハッ、という気づきがあったりして、後半からは面白くて止まらなくなって一気に読んだ。

読み終えたあと、あぁ、という気持ちでいっぱいになり、こぼれそうになった何かを出したくて そばにいた愛犬チィに「チィ、居るのはつらいか?」と尋ねてしまった。チィは、もちろん何も答えない。いつものように気持ち良さそうに昼寝をして、呼ばれた声に、うっすら目を開けただけである。


私の入っている読書コミュニティがこちらの本を選んでくれたこと、何より著者に感謝の気持ちを込めて、思ったことを書いてみたい。
そう、まるで最小限の最終回のように。
なぜかって?
何でも出てきて止まらなくなってしまいそうだからだ。


ずっと絵と重ねて考えていた


わずかながら知ってる人もいるだろうが、私は おもに絵を描いている人間だ。私のいるところは、だいたい、「小さい頃から絵を描くのが好きで…」とか、「将来は絵の仕事に就きたくて…」という人はおらず、家族から自由を奪われ虐待並のゴリゴリの英才教育を受けてきた人か、かなりの苦労人、障害者などの、周りにあまり馴染めず、しかし絵でしか自分を救うことができず、本能のように絵を描く、または そのようになっていったような人、みんな絵をやめていって残ったのは自分だけみたいな人の間である。

もちろんそれが優秀とかそういう話ではなく、美術と言っても もの凄くフィールドが広いし、重きをおく具合も人によって違うため、簡単に雰囲気を書いておきたいと思った。もっと簡単に言うと、私のことはオタクだと思ってくれていい。

そう、私もなかなかの、いわゆる社会不適合者で、社会、こんな感じなんですねと分かるのに◯十年かかり、ずっとずっとイジめられっ子で、いまやっと落ち着いて創作できるようになった人間である。

落ち着いたいま、創作について どういったことを考えているかと言うと、ケアとセラピーについて ある意味考えていたということが、本を読んでわかった。

治癒と芸術 1


この調子だと既に止まらなくなってしまいそうなので、出来るだけ短くまとめたいと思う。

私(たち)が絵を描くのはセラピーであると言えると思う。
しかも自分に対してである。
自分で自分を傷つけ、癒し、暴き、格闘する。
もし、その様をライブパフォーマンスのように人に見せながらした場合も、自分においても人に対してもセラピーだと思う。誰かは笑い、誰かは勇気をもらったと言い、誰かは何かに傷つくのだ(驚くとか、えっ?となる気持ちになるのも、ここでは傷つきに入れたいと思う)。

だけど、完成した、もう静止した絵が描き手を離れ、商品となり欲しいと言った人の部屋に飾られたとき、その過程はセラピーから徐々にケアになり、ペットとはまた違うが、ただ居るだけ、居てくれるだけの存在となる。

私(たち)がやっていることは、なんなのか。
いや、私がやっていることは、なんなのか。
なにがしたいのか。


実はチィだって


チィは12歳の、ビーグル犬にしては まぁまぁ長生きの、優しくて美しい犬だ。12年前、妹の鬱がひどく、別人のような顔になり部屋から出て来られなくなったある日どうしてもビーグル犬を飼いたいと言って、大反対した私の意見も虚しく終わり、いつの間にか我が家にいた。

飼って後悔する犬No.1にも選ばれるほどのビーグル犬は、飼うことによってその理由が身に染みて分かった。妹の鬱は更に酷くなり、母もノイローゼになり、父は相変わらずどこかに行って借金をつくり、私は今まで以上に家族と馴染めず外で非行じみた行動をしていた。

だけどチィも困惑していた。
チィも心の病気になっていたのだ。
怪我をしていないのに怪我をしたフリをして足を痛そうにしたり、ハゲてしまったり、鳴き声が泣き声になったりした。医者に言われた通り、とにかく愛情をかけるようにした(皆かけてるつもりだった、でもすれ違っていたのだと思う)。

チィも居るのがつらかった。
居ることがつらかったのは、私だけではなかった。
となりで優しい顔で眠っている今も、時おり当時を思い出す。だから思わず声をかけてしまった。
「チィ、居るのはつらいか?」
ハゲも治り、怪我をしたフリもしなくなった優しい顔と、悟ったような顔のチィを尊敬しながら、このまま守りたいと思いながら。


小汚ない待機室が居場所に感じた


『居るのはつらいよ』を読みながら、スーっと何かが繋がっていくのを感じた。私の頭のなかは芸術と もうひとつ、小汚ない、懐かしい待機室にいた記憶が一緒にやって来ていた。

閉めきったカーテンで中にいると昼なのか夜なのかも分からない部屋、だいたいテレビがついていて、コタツと お菓子と、ヘアアイロンやらメイク品やらがバラバラと室内に散っている。ハデな化粧の女の子がギャハハ!と言いながら男性スタッフの尻を素手で思い切り叩いている。
むかしの私の働いていた場所だ。

私はキャバクラのように開かれた空間よりも、一対一の閉ざされた空間を好んだ。盛り上がるよりも、むしろ盛り下がる方が落ち着いた。
特別な何かをした訳ではないが、お客さんはせめて自分といるときぐらい弱いところを見せてくれていいし、楽にしてほしいという気持ちが強かったので、そこは適職天職に思っていた。

仕事外でもそんな生き方をしているうちに、じぶんにとっての芸術とその生き方(繰り返しているが、どれも下ネタではない)の境界線が、年々曖昧になっていくのを感じていた。

私は深い癒しを与えたいし、深い癒しを求めている人間だと形づくられていった、のだと思う。
私はなにを脱いでいたのか。
私はなにに触れていたのか。


治癒と芸術 2


色々な人との出会いのなかで、じぶんの心の触れ方を知り、見つけることを知り、ゆっくり慎重に潜る方法や、奥底に着くこと、拾うこと、それを画面に出すこと、表現すること、伝えること、伝わること、それぞれバラバラな工程が何とか繋がり、「描くが出来た」と思えたころ、周りからかけられる声が変わった。

絵は時おり、性的なものを描かなくても、たとえば単純な性行為よりも深いものを出してしまうようになっていった。
しかしそれは、なにも私だけの話ではないと思うし、絵に限った話でもないと思う。

なにかを通じて、納得できる なにかが出せて、それを人に良かったと言ってもらえるとき、一言では言えない気持ちになる。

居るのがつらくない。
じぶんだけの城をつくり、じぶんだけの精神に潜り、じぶんだけの表現をする一貫した個の活動が、外に出たとき逆転して多くの人に「私も分かるよ」「なんだかありがとう」と言ってくれる現象が起きる。
純粋な喜びが、そこにはある。

私はなにを脱いでいたのか。
私はなにを触っていたのか。

きっと私は、傷を探していた。
そのために、無防備になったり、弱さに触れあったり、無駄をやったりしていた。

そして、じぶんに似ている傷を探し、傷に触れあって、でもどこかで他人のものだと気づく。ケアしながら、傷付き、セラピーを知らずにセラピーに挑んでいた。さみしいけれど、いつかは自立なるものをするために、矛盾する気持ちで なにかを探していた。

だけど、絵で傷と向き合い、納得した形で出せたとき、じぶんの心の深い部分の、実感のある成長がある。他者から感謝の言葉によって、見えないそれの形を知り、あぁ、とやっと肯定できる。じぶんのことを愛せるようになる。他者も愛せるようになる。だから嬉しいのである。

そんな経験を重ねながら、少しずつ進化していく。少しずつ母性のようなものが生まれるようになったり、本当に人を好きになることができたり。歳をとって丸くなったり、悩むのが面倒くさくなったり。

居るのがつらくないよ、という空間も増えていく。

自傷行為の延長のようなもの だけであった絵が、あの待機室でも無料で続けられた絵が、いまは意地というより清々しく、絵とはこの世界になくてもいいもので、自分の作品は みすぼらしい所からも生まれている、そんな自覚をおいて、だからこそ私は治癒する者である、絵を描きたいではない、絵を利用していると進化し、第二 ステージへ進もうとする。


おわりに


さて、私も著者のように、まとまらないという感情がわかるようになってきた。これも進化だ、元気にいこう。

こうして文章を書くことで、ケアやセラピー、その具体的な例は、書くのが本当に難しいのだなぁとよくわかった。
何書いとるん と、きっとチィも今ごろ呆れている。

外国と違って日本は、絵を仕事というふうに まだまだ見られにくいと思うし、保証が出るわけでもない。

社会にとってなんなの?
内なる声だけではない、実際に言われるその声に、いまは心を治癒するものであると結論づけたい。

そう思いはじめた今日、この本に出会えて本当によかった。
ケアとセラピー、見えにくいケア、分かりやすいセラピー、しかし、しばしば交互に行われる関係性、この書きにくさ。

居るだけの絵、では分かりにくいものがある。なんでそうして居るのか伝えきれないものがある。

じぶんの命を無駄にしない、そのように、描くという心で 私も私のできるところから、
居る、居たんだ、を
繋いでいけたらいいなと思う。


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