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“カシコギ”だったから泣いた (エッセイ) #シロクマ文芸部

文化祭で嗚咽した人間は、どれくらいいるのだろう。
例えば文化祭で、仲間と何かを分かち合い、何かを感じて青春の涙を流したとか、困難な問題に立ち向かって克服して、歓喜の涙を流したとか。こんな風に、はらはらと適量の涙を流した人はもちろんいると思う。だけどこれらの涙は、私が流した涙とはちょっと違う。

社会人になってからのある休日、彼の母校の文化祭に遊びに行った。
外国語大学なので、国際色豊かな企画が多くあり、それなりに楽しんだ(気がする)。
私は高校最後の文化祭で、柄にもなく「文化祭委員」になり、クラスの出し物の「劇」を成功させるべく奔走した。そして、才ある仲間たちのお陰で、素晴らしい劇を作れた良い思い出があるから、訪れた文化祭ではぜひとも観劇したいと思っていた。

タイミングの問題で、私達が見ることになったのは、韓国語で披露される「カシコギ」という劇だった。
これは韓国で、社会現象を巻き起こしたほどのベストセラー本が原作で、日本でもリメイクされて「グッドライフ」というドラマになっていたらしい。このことを、当時仕事で忙殺されていた私は全く知らなかった。もちろん、韓国語の知識も全くない。ただ、なんでもいいから「劇」を観たい、というだけで選んだ「カシコギ」。
ちなみにカシコギとは魚の名前で、カシコギのメスは卵を産むと何処かへ行ってしまい、代わりにオスが子育てをするという習性がある。

劇は主に白血病の男の子(役)とそのお父さん(役)の二人が芝居をする。台詞はすべて韓国語なので、横に出される字幕を見なければ内容はわからない。
ある程度理解しながら見ていたから、ちょこちょこ字幕も目で追っていたのだろうけど、とにかく演技が素晴らしかった(気がする)。次から次に降りかかる試練に耐える父子。そこに描かれる父子愛。そして、愛だけではどうにもならない厳しい現実。そしてそして……、のような話。
これはどう考えても物語の設定が悲しい。
誰が見てもある程度、悲しい。
だけどそこに輪をかけて、韓国語の響きが悲しい…悲しすぎた。

ある時点から私は、男の子を演じている小柄な女性の声を聞いているだけで悲しくて涙が出始めた。クライマックスに近づけば近づくほど悲しい物語だから、悲しさを助長する韓国語の“音”が、狭い教室に響き渡って、どうしようもなく泣けてきてしまい、嗚咽するようになった。
きっと演者以外のスタッフは私の周りにちらほらいて、私の泣きっぷりを笑っていたかもしれない。
変なスイッチが入ってしまった。普段の私は、“蛍の墓”を観ても嗚咽はしない。

劇が終わって教室が明るくなると、そそくさと部屋の隅に行って、崩れた目の化粧を拭った。
一緒に見ていた彼も悲しかったと言っていたから、泣いたことは間違いではなかったはず。
きっと疲れていたんだ。
疲れている人間が「カシコギ」を韓国語で観るのは注意が必要。これが「グッドライフ」だったら、きっとこんなには泣いていない。


この思い出話を書くにあたって、「カシコギ」について調べていたら、作中に出てくる有名な一文とされるものがあったので載せてみる。

あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人が、あれほど生きたいと願った明日なんだ。

趙 昌仁/小説『カシコギ』著者




#エッセイ
#シロクマ文芸部

初めて参加させていただきます。
小牧さん、素敵な企画をありがとうございます°・*:.。.☆





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