見出し画像

史学科とは

#とは 、というお題を発見したので、私も何か書いてみようと思い立った。そこで思いついたのが、学生時代に所属していた史学科についてである。前職で塾の運営スタッフとして勤めていた際思いの外「歴史が好き」、「史学科に入りたい」という高校生が多かったのだが、彼らの想像する史学科と実際の史学科は恐らくギャップが大きいのではないか。少なくとも私はギャップが大きすぎて一時期歴史を嫌いになりかけた。今回は、高校時代は歩く日本史用語集と呼ばれた私が自分の歴史愛が偽物だったと思い知らされるほどディープな世界である「史学科」についてお伝えしたい。

<学生について>

 私がかつて所属していたのは、お坊ちゃま・お嬢様方の御用達と世間では言われがちな、あの大学の史学科である。新天皇と全く同じ大学・学部・学科と言えばお分かりいただけるだろう。定員は80人~90人の間くらいで男女比は文学部としては珍しく5:5くらいである。かといってキラキラしたキャンパスライフを期待してはいけない。というのも、史学科の人間は7割がた「現世の人間よりも過去の遺産や人物に想いを馳せた」ヲタク気質のド変態だからである(誉め言葉)。授業を切るという発想は、史学科の人間には珍しい。学業優先でサークルを辞めたりバイトをしなかったりする学生が珍しくなかった。単純に必修授業の出席日数の規定が厳しかったり、授業が難しくてきちんと出ていないと確実に単位を落としたりするという要素もある。しかし、一番の理由は学生が歴史が好きすぎて授業を切るという発想が浮かばないという教授が嬉し泣きしそうな理由なのである。そのため、指定校推薦でたいして興味がないのに史学科に入るという選択は、色んな意味で悲劇を招くので全くおすすめしない。

<卒業時に求められる課題>  

 文系としては学業の負担(本来学ぶために大学に行くはずなのだが)が大きめの史学科だが、それの代表が卒業論文及び提出後の口述試験である。卒業論文は今どき時代錯誤もいいところだが40000字以上の論文を手書きで提出することと定められている。なぜそれを大々的にオープンキャンパスやパンフレットに載せてやらないのか、私は甚だ疑問である。
 締め切り間近の史学科準備室の雰囲気は殺伐としており、時折一人では間違いなく間に合わないと悟った学生が友人を買収してワードで作成した下書きを指定の原稿用紙に移すという作業を委託していたりする。もちろんこれは大幅な減点の対象となり、教授陣に「七色の字で書かれていますねぇ」と文学的な嫌味を言われる。
 満身創痍で提出までこぎつけたあとは、口述試験を受ける。教授陣全員が待つ部屋に呼ばれてお誕生日席に座らされ、ひたすら質問に答えるという苦行だ。ここで質問に答えられずに留年が決まる学生もおり、たとえその人が大手企業に就職が決まっていようが容赦はしない。

<歴史を学ぶ、とは>

 そして、これは私の最大の勘違いだったのだが、試験科目として歴史が得意で、そこから好きになった人ほど危険である。歴史を学問として学ぶというのは知識を身に付けることではない。史料と向き合い人間の生きた足跡を辿りながらその足跡の解釈の仕方を「こうじゃないか」「いや、こうだと思う」と論じていく終わりなき旅路、それこそが歴史を学ぶということだというのを私は前半の2年間で思い知らされた。史料と向き合うには知識以上に根気が必要だ。崩し字は簡単には読めないし、意味を取れたとしても、そこから論証に繋げるためにはとにかくゴールの見えない読解を進めていくしか道がないのだ。なんとなく年配の方に歴史好きが多い理由が分かった。時間が有り余っていて史料と向き合う余裕があるうえに、「まるで人生のようじゃ」と感慨深く言えそうだからである。

魅力その1 <面白い人が多い>

 ここまで史学科の厳しい側面ばかり語ったが、実際のところ私はとても楽しい学生生活を送った。まず、学生がとにかく個性的で面白い。小学生のときから徳川家にはまり家紋のシールを筆箱に貼り付けまくって友人にアピールしていたという人、戦国時代のお姫様が好きすぎて「姫」という渾名が付いた人など、とにかく様々な個性の友人ができた。
 教授陣も負けてはいない。始皇帝に似るからという理由で髭を伸ばし続ける先生。パソコンに疎くて表の作り方を知らなかったため、「ー」を繋げて表らしきものを無理やり作り上げてレジュメを完成させた先生。行動よりも獣道を歩くのが好きな先生などがいた。


魅力その2 <贅沢な史跡めぐりができる>

 それから、一般人は絶対に一生お目にかかれない史跡とも対面することができる。私のいた史学科では1年次の研修旅行なる史跡めぐりの旅をはじめしばしば教授陣と共に史跡巡りをする機会が設けられていた。さすがは教授陣のコネクションと権威をフル活用するだけのことはあった。例を挙げると水戸の弘道館では通常非公開の八封堂の中を見ることができた。石碑の重厚感は未だに脳裏に焼き付いて離れない。
 また、一般的に良く知られた遺跡でも歴史家の視点から生解説が聞ける機会は滅多にない。私が指導教授から聞いた話を一つお伝えしよう。お城の石垣は、よく見ると大きさがバラバラである。実はお城の改修工事を頼まれた大名が石の大きさで自分たちの地力をアピールしていたという。確かに目を凝らすと、石には家紋やら印やらが「俺の置いた石!!」とでも言わんばかりに彫られている。当時の大名たちは必死だったと思うが、何だか微笑ましかった。

<終わりに>

 以上が史学科の本当の姿である。文学部の中でも何となく異質な存在だがそれはそれは深みのある世界だった。大学院に進むとさらなる世界が待っているようだが、それを歴史好きとしては凡人レベルだった私にはきちんと理解できる自信がない。
 ただ言えるのは、就職に直に役立つかどうかは置いておいて、人生に深みを与えることは間違いないという事実である。少なくとも特に学が飛びぬけてあるわけでもない20代半ばの人間を、哲学的なことに頭をひねらせるようにしむけるような環境なのだから。

この記事が参加している募集

お読みいただきありがとうございました。頂いたご支援は執筆作業に行くカフェのコーヒー代として大切に使わせていただきます。