独り善がり

 腰に響く揺れに覚めた目が、タクシーの中と思われる窮屈そうな自分の足元を映した。通り過ぎた街灯が一瞬だけ薄暗い車内を照らす。右手に抱えたままの上着と荷物に寄りかかっていた体を戻すと、腕がジンとしびれを自覚した。
 足元に落としたままの視線を左にずらすと、磨かれた革靴ときちりとプレスの効いたスラックスが見える。シャルマンだ、と気付くと同時に、座席に置いた左手が指先で叩かれていることに意識が及んだ。おそらく目覚める前から続けられているだろうそれは一定の、あやすようにも、急かすようにも感じる速度で続けられる。繰り返し指先が触れるだけで、座面に伏せられた手を覆うほども重ならない。
「嫌いになりたい?」
「……うん?」
 突然の問いかけに緩慢に顔を持ち上げても、ぼんやりと外を眺める横顔があるだけだった。青い瞳はどこからか光を拾っては暗くちらちらと光るが、表情は読めない。
「君は、私のことを、嫌いになりたいのかい」
 今からどれほど前か、同僚との会話をぼやけた頭で思い出す。そんなことを言ったような気もすると、アレクサンドルは声に出さずに何度がまばたいた。窓の向こうに投げられた視線はこちらを向かないが、責める空気ではない。
 彼はどんな答えを望んでいるのだろうかとアレクサンドルが思案し黙り込む間にも、シャルマンの指が何度かアレクサンドルの手を弾く。
「……」
「そうか。それは……」
 焦れたわけではないだろうが、アレクサンドルの答えを待たずに、あるいは沈黙を答えと受け取り、シャルマンは独白のように続けた。
「それはまだ許せないな」
 シャルマンにもたらされる一定のリズムに心地良さを感じていたアレクサンドルは、ぴたりと動きを止めた指がそのままゆっくりと手の甲を撫で滑っていくのを目を閉じて味わう。握るわけでもなく、ただアレクサンドルの手の上に置かれたシャルマンの手が、アルコール由来だろう火照りを少しずつ奪っていった。
「私のものでいなさい。もう少し」
 薄く目を開け、シャルマンの手によってほとんど隠されてしまった自分のそれを確認したアレクサンドルは、満ち足りたため息をつく。
「うん」
 この感情も酔いのせいだろう。
 アレクサンドルは力なく重ねられた手を拒まないまま、また静かに目を閉じた。

2022.12.05 初稿
2024.02.08 加筆修正