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ディズニー「ノートルダムの鐘」レビュー

ディズニーの最高傑作といえば?
そう。「ノートルダムの鐘」だ。

原作はヴィクトル・ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」。
ディズニーでは「ノートルダムの鐘」のタイトルで結末を変えている。
劇団四季のキャストが吹き替えを担当しており、舞台化もされている。
ちなみにこの名作、「エスメラルダ」のタイトルでバレエ公演にもなっている。
(バレエ版はエスメラルダの視点でストーリーが進行する)

原作だけエグいバッドエンド。
でもアニメやミュージカルやバレエではハッピーエンドとなっている。
今回紹介するのはそのハッピーエンド版の「ノートルダムの鐘」。
とくにディズニーアニメとしての「ノートルダムの鐘」を取り上げる。
以下、ストーリー詳細。

舞台はパリ。
ノートルダム大聖堂に住む20歳の青年カジモドが主人公だ。
カジモドは生まれつきのハンチバック。
(第169回芥川賞受賞作「ハンチバック」に同じ。せむし。)
20年間ノートルダム大聖堂から出たことはなく、鐘をついて暮らしている。
「もしも1日だけでも外の世界で暮らせたら……」
カジモドが願いを込めて歌う「僕の願い(原題:Out There)」がすばらしい。
[HoND] 5.2 Out there Quasimodo's version 1080 p [HD] (youtube.com)

そんなカジモドの保護者はフロロー。
フロローは親切なふりをしてカジモドを支配していた。
カジモドの姿を「モンスター」と言い、
普通の人とは違う、外の世界に出てはいけない、という呪いをかけている。
(ユゴーの小説ではしばしば人種差別や障碍者差別といったテーマが取り上げられる)

しかし年に一度のお祭りの日、カジモドはどうしても外に出たくなってしまう。
その祭りでカジモドはパリ一番の美女エスメラルダに出会うのだった。
エスメラルダはジプシー(流浪の民。差別用語)であるためにパリの街では差別されている。
フロローもエスメラルダを含むジプシーたちをパリから一掃しようとたくらんでいた。
その任務を手伝うためにパリにやってきたのがフィーバスだ。

結論から言ってしまうと、カジモドの初恋は報われない。
エスメラルダが選ぶのは主人公のカジモドではなくフィーバスだ。
なぜエスメラルダはカジモドではなくフィーバスを選んだか?
それは後述する。
今はとりあえずストーリーラインを追う。

フロローに追われたエスメラルダはノートルダム大聖堂に逃げ込む。
エスメラルダに興味を持ったフィーバスが後を追い、二人は出会う。
エスメラルダと仲良くなりたいフィーバスだが、エスメラルダはフロローの部下であるフィーバスを信用しない。
そこにフロローが現れ、エスメラルダをとらえようとするが、フィーバスはエスメラルダが捕まらないように「サンクチュアリ」を要求する。
サンクチュアリ。聖域。
つまり、聖堂内は聖域であるためエスメラルダを逮捕できない。
フィーバスの「サンクチュアリ」を聞いて、エスメラルダはフィーバスに少し心を開く。
ところが諦めないフロロー。
「エスメラルダが一歩でも聖堂の外に出た時に逮捕してやる」と聖堂を包囲する。

聖堂から出られなくなってしまったエスメラルダ。
聖堂内を歩き出し、カジモドに再会する。
あの祭りの日に出会ったハンチバックの青年だ。
ジプシーとして差別されるエスメラルダはハンチバックで差別されるカジモドと心を通わせる。
フロローに支配されていたカジモドは「ジプシーは悪」と信じていた。
ところがエスメラルダは優しい。
フロローにかけられた呪いは解け始める。
(カジモドも実はジプシーであるという設定に皮肉が効いている)

カジモドはエスメラルダの聖堂脱出を助ける。
エスメラルダはカジモドにペンダントを預け「『奇跡の法廷』に来てほしい」と言う。
(のちに判明するが「奇跡の法廷」とはジプシーたちが集まる地下街のことだった)
フロローに「聖堂から出てはいけない」と言われているカジモド。
しかしエスメラルダのもとに行きたい。
恋は人を成長させるという描写が上手い。

このストーリーにおいてはさらに魅力的な感情表現をする人物がいる。
フロローだ。
人種差別も障碍者差別もする、カジモドを支配する、本作の悪役。
ところがこのフロロー、ストーリーの進行につれてエスメラルダに惹かれていく。
しかしフロローが抱える感情は、カジモドやフィーバスがエスメラルダに捧げる清潔な恋心ではない。
フロローはエスメラルダを「ジプシー」とさげすむ心を持ちながら、それなにどうしても惹かれてしまう、そんな相反する感情を同時に煮えたぎらせている。
フロローの感情はカジモドやフィーバスに比べると性的な意味合いが強い。
そのためにフロローは鑑賞者(特に女性)に「気持ち悪い」印象を持たれやすいと思う。
しかし実は一番人間くさい役なのではないか。
エスメラルダへの恋愛感情と平行して、フロローには強い信仰心が描かれる。
救いようがないように見える悪役の心にも神様はいるし、高潔な信仰心は宿るものなのだ。
(このテーマはユゴーの傑作小説「レ・ミゼラブル」でも描かれる)
フロローはエスメラルダに抱く欲望を聖母マリアに告白し、救済を求める。
さげすみたい女がいる。しかしその女があまりにも魅力的だ。
この皮膚のすぐ下、この身体の中で燃える感情が「エスメラルダを私だけのものにしたい」と叫ぶ。
どうか彼女がこれ以上私を魅了しないように。
マリア様、どうか私を助けて下さい。
フロローが欲望の苦しみを歌う場面がすばらしい。
曲は「罪の炎(原題:Helfire)」。
[HoND] 18 Hellfire 1080 p [HD] (youtube.com)

フロローの心を燃やす炎は現実の炎となる。
フロローはエスメラルダを殺すためにパリに火を放つのだった。
「エスメラルダはきっと帰ってくる」。
そう信じて聖堂で待っていたカジモド。
エスメラルダは望み通りに帰ってくるが、傷ついたフィーバスを伴っていた。
エスメラルダはカジモドに「フィーバスを助けてあげて」と頼む。
好きな人を信じて待っていたら別の男を連れて帰ってきた。
カジモドという役柄の切なさはここから加速していく。

カジモドの目の前でフィーバスの怪我の手当をするエスメラルダ。
カジモドはエスメラルダの心が自分に向いているはずだと淡く信じていたけれど、そうではないかもしれないと思い始める。
この場面でフィーバスがエスメラルダにする愛の告白はぜひ字幕版で見てほしい。
「よかった。致命傷じゃないみたい」
「いいや、当たったよ」
フィーバスはエスメラルダの手を自らの左胸に当てる。
(この場面の美しさは英語ならではだと思う)
2人はキス。
それを見ているカジモド。
 
この後エスメラルダはフロローに捕えられてしまう。
聖堂にがんじがらめに囚われていたカジモドは、エスメラルダがフロローに殺されそうになったのを見てエスメラルダ救出のために聖堂を出る。
エスメラルダを聖堂に引き上げて「サンクチュアリ!」と叫ぶのだった。
(「サンクチュアリ」の伏線回収。上手い)
 
カジモドに命を救われてもエスメラルダの心は変わらず、フィーバスとカップルになる。
しかしカジモドはエスメラルダを恨まない。
フィーバスとエスメラルダを祝福する。
カジモドはパリの人々に受け入れられ、祝福されたのだった。
(「祝福する者は祝福される」ということなのかな)

冒頭のコーラスから「これは傑作に違いない」と予感させる作品。
開幕からハードルを上げてくるのに期待を裏切らない作品だった。
エスメラルダがジプシーの悲しい生き方を歌う場面「ゴッド・ヘルプ(原題:God Help The Outcasts)」も感動する。
[HoND] 13 God Help The Outcasts 1080 p [HD] (youtube.com)

字幕版で見るのも良いけど劇団四季キャストによる吹き替え版も良い。
日本語で視聴するのが面白い場面と英語で視聴するのが面白い場面があるので、ぜひ両方観てほしい。
「日英両方買っても円盤代3万でおさまる……?」と思って調べたら4,000円台で椅子から転げ落ちるかと思った。
太宰治「斜陽」が文庫本だと400円で買えると知った時くらいの衝撃。
なんで? なんでこの値段で買えるの?
一桁まちがえてない?
ありがとうございます……。

最後に、なぜエスメラルダはカジモドではなくフィーバスを選んだのか?
このことについて、私の考えをまとめておく。
カジモドの恋が成就しなかった理由は2つあると思う。

①カジモドが恋愛できるほど精神的に成熟してなかったから。
エスメラルダに「一緒に聖堂を出て行こう」と誘われたカジモドは「フロローの言いつけがあるから」という理由で断る。
フロローはカジモドの保護者だけど、カジモドはフロローが表向き嫌悪しているエスメラルダのことが好き。
この構図は「リトル・マーメイド」にも似ている。
トリトンはアリエルの保護者だけど、アリエルはトリトンが嫌悪している人間(エリック王子)が好き。
(参考:劇団四季「リトル・マーメイド」はなぜ傑作か|青野晶 (note.com))
アリエルはたとえトリトンと言い争うことになっても、エリック王子のもとに行こうとする。
ところがカジモドはフロローとの争いの方を懸念してエスメラルダの方へは行かなかった。
アリエルが愛されて育った女の子であるのに対して、カジモドはフロローの愛なき支配によって育てられた。
この差も精神的発達に影響があると思う。
親のいうことが絶対に正しいはずだと信じてきたことに疑いを向け、自分の力で選択をしなければ人は成長しない。
外界との接触を避けてきたカジモドは、エスメラルダとの恋愛を許されるほど、人として成長していなかったということだろうと思った。

②エスメラルダの高潔さにつり合えるのはフィーバスしかいないから。
このストーリーにおいてエスメラルダほどできた人間はいない。
自身は「ジプシー」と呼ばれてさげすまれているのにも関わらず、エスメラルダはハンチバックのカジモドを差別しない。
それどころか差別されているカジモドを救おうとする。
フィーバスはエスメラルダ(ジプシー)もカジモド(ハンチバック)も差別しない。
エスメラルダのようにみんなが差別するカジモドに対してひとりで手を差しのべるような強さは持たないものの、差別をする側の人間にはならない。
この作品において「誰のことも差別しない人」として描かれるのはエスメラルダとフィーバスだけだ。
この2人が釣り合って当然ではないか?という気がする。
対して、カジモドは無意識にジプシーを差別していた。
もとはといえばカジモドを洗脳していたフロローが悪い。
しかしフロローの言うことをそのままに受け入れ、悪気なく差別することは正当だろうか?
答えはもちろんNOだ。
無意識の悪が宿るカジモドの心は、一点の曇りもないエスメラルダの美しい心とはつり合えない。
「自分は『差別される側』であって、『差別する側』ではない」と信じていたカジモドに対する断罪といえる結末なのかもしれない。
「人は無意識に加害者である」というメッセージがこめられているような気がした。
しかしこの失恋を乗り越えて、カジモドは確実に良い方向に成長するだろう。
希望を持たせるラストだった。

主人公格の男女がカップルになることを期待されるディズニー作品。
ところが「ノートルダムの鐘」においてはカジモドとエスメラルダをカップルにしていない。
この点に多大なる原作リスペクトを感じた。

ストーリー詳細はかなり端折ってしまい、
「ノートルダムの鐘」の魅力を伝えるのには不十分な文章となってしまったことが悔やまれる。
書き直すかも。
ここでは紹介できなかったすばらしい曲が他にもたくさんあるのでぜひ本編を鑑賞してほしい。
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