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なぜ、今ニューパラダイムなのか?私の人生経験はどんな傷があって、それがどんなギフトになっているのだろうか

高校入学早々に、人生の迷子になってしまった私。
あてもなく生き続け、なんとなく始めたアルバイトで社会との接合を知りました。自分が何者か知りたい、よりも、他人から必要とされるって死ぬほど嬉しい!って事を知ったのです。

そんな私は、税理士試験を受験し、インターンとして働き始めるのですが、入社日に社長から言われた言葉がこれです。

「これからはお前たち若者の時代だ。お前達が活躍してくれないと先細りになる。期待しているぞ」

もう死ぬほど嬉しかったです。この会社のためなら死んでも良い、と思えました。結果、10年も同じ会社で働き続けました。
しかし、同じ社長に9年経ったあたりでこう言われるようになりました。

「お前何か勘違いしてないか?ここは誰の会社だと思ってるんだ?俺の会社だぞ!お前の会社じゃねえぞ。俺はこの看板にプライドを持ってるんだ」

この一言で退社を決意しました。


このエピソードが、私がなぜ、ニューパラダイムの組織運営に熱量があるのか?の全てです。

例えばティール組織であったり、成人発達段階の研究であったり、今はソース原理に一番熱心に取り組んでいますが、なぜ私はそこまで熱中できるのか?それは、あのような悲しい、精神が引き裂かれるような体験を、二度と経験したくないからです。また、自分も無意識に他人を傷つけないようにするためでもあります。

昭和の経営(分かりやすいようにあえてこう書きます)が、高度経済成長と相まって、とても良い経営手法であると思っている人は多いでしょう。また、今の時代(2022年)において、組織の決定権を持っている人は、昭和生まれである人が多いので、今の時代でもその価値観は根強く残っています。

昭和の経営とは
・先輩や上司の言う事は絶対
(上司はその経験から将来を見通せる力において優れているから)
・ピラミッド型の組織構造
・仮面を被って組織人として身を粉にして働く
・給料払ってるんだぞ感
・売上(利益)が組織の意思決定において優先順位高い
というものです。

私は昭和53年生まれです。高校を卒業したのが平成9年です。
平成の経営とは
・人徳ある人の言う事は重要視される
・相互に意見を言い合える組織構造を好む
・人としてどうするか?組織としてどうするか?の間で揺れ動く
・給料以外の非金銭的報酬にも目がいくようになってきた
・未だに売上(利益)至上主義は優先順位高い
というものです。


「これからはお前たち若者の時代だ。お前達が活躍してくれないと先細りになる。期待しているぞ」

私は、この言葉を誤解していたのです。社長は昭和の経営でこれを発言し、私は平成の経営でこれを受け取りました。

「これからはお前たち若者の時代(お前たちが現場で汗をかいてくれ)だ。お前達が活躍(俺たちの手となり足となり)してくれないと先細りになる。期待(言う通り動いてくれよ)しているぞ」
ちょっと誇張して書きましたが、社長はこのように思っていたのでしょう。
※プライベートでは本当に良い人でした。仕事になると人格変わる。

「これからはお前たち若者の時代(お前が感じるセンスを会社にフィードバックしてくれよ)だ。お前達が活躍(責任は俺たちが取るから自由にやってくれ)してくれないと先細り(自由にやって良いけど売上を増やしてくれよ)になる。期待(信頼)しているぞ」
私はこのように思いました。


私も若かったので、自分の主張と社長の主張を戦わせました。
正義と正義を比べる事ほど不毛な事はありません。
当然ですが、我々は離別の道を歩む事となりました。

そして、驚くべき事に、同じような現象が顧問先企業においても起こっている事を発見したのです。
顧問先社長から見ると、若手社員の考えている事が理解できない。
顧問先若手社員から見ると、この会社の未来が見えない。

私は経営会議に積極的に参加するので、双方の意見を聴く事ができます。なので、自分の時と全く同じ構図だ!と理解できました。


なぜ、私はあのような経験をしたのでしょうか?
きっとあれは傷ではなかったのでしょう。私が憧れ、信頼して、未来を信じた会社に酷い仕打ちをされたのではないのです。
この痛みが、病理のように社会に蔓延しているのを食い止めるための必要なギフトだったのです。

だから私は活動します。

単純に税金の計算をするだけでは間に合わない。
比較のための会計は今の時代に合っていない。
ニューパラダイムの実践知をキュレーションするのだ。

一番大事な事は私自身で
私自身が全身で人生を謳歌して生きる

何より大事なユーモアをもって生きていくのだ

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