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「夫のちんぽが入らない」を読んで

家族から離れ、大学に進学し、ちんぽの入らない彼と出会い結婚し、教師になるが退職、病気になったり、また働いたり。そんな中で結婚生活を紡いでいきつつ著者が辿り着いた想いが書かれている自伝です。

「ここは、おしまいの地」を先に読んでいて面白かったため、この本もお題から想像する壮絶な悲劇を喜劇に変えるような笑いがくりひろげられるのでは?とゆるゆるな気持ちで寝転がりながら読みはじめた、が、少し読んでこれは、

湿度が、おしまいの地と全然違う。
と気付く。
おしまいの地がpopならこちらはブルース。
魂の叫びが、ズンズンと深く静かに響いてくる。
重低音に良い意味で心臓をやられながら、コーヒーを入れ座りなおし読みすすめた。

途中旦那が帰ってきて、ブックカバーをしていない本の題名を見られてないかに気を取られる。
大丈夫。ちょっと距離が離れていたら全然題名がわからないデザインになっている。著者、出版社の方の心遣いがありがたい。

読んでいく中で、幾度となくわかる!ボタンが連射された。
他にも切なくなったり、ムカッとしたり、感動したり、ビビったり、いい感じの運動量を与えてくれる。


通底には「入らない事情」を抱える一人の内向的な妻の姿がある。

しかしそれだけではない。

夫の為に速攻でチーズホンデュの道具を買い走る場面は傷つく我が子を想うおっかさんを連想するし、

心を痛めた女子生徒が退職後に自分を頼ってくるのに対して瞬発力で応えていく場面では、これは女金八先生じゃないかと思わせられる。


最後まで読んで、ああ、著者が好きだなあと思う。

ページを閉じ、自分がこんな赤裸々な文章を読める時代に生みおとされたことに感謝した。


著者の出版に関する想いをもっとを知りたくてブログを検索した。
「塩で揉む」というブログだった。やっぱり外さないネーミングセンス。文章もいいなぁと思う。
ブログの中に読者のレビューが刺さったということが書いてあって、とあるレビューページを見た。

数ある中のレビューの1つに、この本の最後に出てくる「子どもがいない人に、子育ての喜びと学資保険のありがたみとジャガー横田の逞しさをとうとうと説く保険外交員」と同じくらい切れ味のするどいナイフを見てしまった。



著者の言葉を噛み締めてレビューページをとそっと閉じた。

目の前の人がさんざん考え、悩み出した末に出した決断を、そう生きようとした決意を、それは違うよなんて軽々しく言いたくはないのです。人に見せていない部分の、育ちや背景全部ひっくるめて、その人の現在があるのだから。それがわかっただけでも、私は生きていた意味があったと思うのです。/引用:夫のちんぽが入らない

私は、これからも著者の描く世界を文章を読みたいと思う。