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#76 自分の後ろ戸

 夢をみた。
 北の方に親戚筋の空き家があって、ぼんやりとそこに住む前提で見に行く夢だ。入口に広めの草原があって、所々に水たまりがある。長めのアプロ―チを登って中に入ると湯治場のような廊下があって、狭い水場の蛍光灯がチカチカしてなかなか付かない。右手に進んだ突き当りの部屋の壁が抜けて柱だけになっていて、いつの間にかそこにいた亡き義父が「津波でやられちゃったんだなあ」という。目の前に入り江が広がっていて、何故か猿がたくさん気持ちよさそうにぷかぷか浮かんでいた。
 不思議な夢だったけど、何となく理由は分かる。今頃で恥ずかしいけれど、ネットで「すずめの戸締まり」を観たのだ。時間の経過も含めて見たことのある風景が多く、劇中の昭和歌謡も懐かしかった。ラスト近くのシーンでは涙を堪えられなかったので、やはり一人で観て正解だった。映画を観終えて、自分のまだ締めきれていない後ろ戸はなんだろう?と考えた。いくつか思いあたった中の一つが「自分がうまく応えられなかった思い」というものだ。
 30前後の一時期、仕事がらみで中国からの留学生と関わっていたことがある。その中で知り合った留学生の一人がK君だった。容姿端麗・頭脳明晰、それもそのはず、K君は文革が終わって10年ぶりに行われた北京大学の入試をクリアしていて、私たちはよくK君に日本語を直された。イベント等で何度か顔を合わせた後で、ある日K君から「いい加減友だちになろうよ」と言われた。軽薄な私はその言葉の意味を深く考えもせず安請け合いをして、当時一人住まいだった部屋に彼を招いた。台所に立って料理を始めたK君は、包丁が切れないなあと言うや、陶器の皿をひっくり返すと高台で包丁をカンカンカンカンと研いでみせた。恐るべし、中国4000年の歴史!
 その後K君との交流を深められれば良かったのだが、程なく私は東京を離れてしまった。引越し先は伝えたはずだが、最早直接顔を合わせることはなかった。暫くして、K君から一度葉書が届いた。何かの機会に私の住む街を通ったとき、途中下車して、この街に私がいるのかと思って眺めたと書いてあった。それにどう答えたのか、当時自分のことで精一杯だった私には残念ながら記憶がない。
 いつだったか、健康に気をつかって体を鍛えているK君にそのことを指摘すると、「当然だよ、ここで病気になったらどうなると思う?」と返された。体の健康のみならず、異国の地に一人でいるK君の求めている友だちというものの意味が私には全く分かっていなかった。出来るものなら今からでもお詫びしたい。K君は今一体どこで何をしているだろう?


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