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#06' 再会('23.4.14)

 学生の頃、Nというクラスメートがいて、入学当時よく授業で一緒になった。関西出身でピアノを弾いていたNは、いつも大きな布の袋をぶら下げていた。多分そこには教科書と楽譜が入れられていたのだろう。春には快活だったNの顔から少しずつ笑顔が減り、次第に教室で見かける回数も少なくなっていったのは、初めての一人暮らしの中でNが何かしらの悩みを抱えていたからに違いない。それなのに、久しぶりに教室で会ったNに私がかけた言葉は、励ますつもりだったにせよひどくキツい一言だった。思い返すに、その頃の私にはまだ余裕がなくて、自分のことを守るので精一杯だったのだ。その時、そうだなと力なく笑ったNの顔が忘れられず、謝りたいと思いながら機会が得られないまま、違う学科に進んだNと会うこともなく時は流れた。
 卒業後30年以上経った頃から、数名の有志の呼びかけで年に一度クラス会が開催されるようになった。勿論、そこに集うのは学生時代きちんとクラスにコミットしていた人たちで、独自路線を採っていた私は地方在住を理由に不義理を続けていたのだけれど、そんな私にも会の連絡が途絶えることはなかった。開催の様子を伝える写真には首都圏に住むNも写っていて、その姿には、卒業後いい時間を過ごしてきたことが感じられる落ち着きが見て取れた。
 クラス会が始まって数年後、Nが家族の都合で北九州に引っ越すことになったとのメールが配信された。私は、そちらに行く際には連絡したい旨の餞別メールをNに送り、その中で学生時代の非礼を詫びた。多分忘れてはいなかったと思うが、大人になっていたNは何のことか分からないと私のお詫びをスルーして、こっちに来ることがあったら是非連絡してほしいと返信をくれた。
 とは言いながら、そんな都合のいい機会はなかなかないだろうと半ば諦めていたところ、今年に入って北九州に行く機会を得た。しかも、最後の朝に自由になる時間が少し工面できそうだ。平日なのでダメ元で連絡してみると、忙しい中を調整してNが時間を作ってくれた。
 40年以上の時を経て再会したNは、人懐こい笑顔は昔のまま、左手のバッグがよれよれの布製から立派なトートバッグに代わっていた。今の時間はここしか開いてないんだと案内された川沿いのコメダで、大きなカップのコーヒーを飲みながら、私たちは40年分の話をした。友達というものは、どこかで一定の時間を共有することで育まれる関係だと思うが、その有難い点は、何十年会わなくても、会えば一瞬でその共有点に立ち戻れることだ。その後に辿った道が別々でも、その共有点をベースに話が出来る。あっという間に3時間が過ぎて、別れる頃には、長い間胸に刺さっていた小骨はどこかに溶けて無くなっていた。
 帰ってしばらく経ったある日、ん?結局Nの布袋はイケてたってことか?ふと思い立って、青いトートバッグを注文してみた。
 

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