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時間が欲しいのは、子育て落ち着いてからでも定年後でもなく今

めちゃくちゃ当たり前すぎること、
誰もが思っていそうなこと、
タイトルのようなことを毎日思っています。

4月に育休復帰し、読書時間の捻出に苦労しています。

昼間の時間は仕事に、
夕方以降の時間や土日は家庭に陣取られます。

こちらの本に↓

定年以降は、お金にゆとりが生まれ、自分の求めるゆとりある働き方がようやくできるようになります。
そんな人たちの小さな仕事が、世の中を豊かにしていくのです。

本書を意訳

言いたいことは分かるのですが、、
分かるのですが、、

ゆとりある働き方は、老後しかないのか!?

と軽く絶望しました。
(金銭的報酬を求めない労働者は市場価格を撹乱させるのではとも思いつつ)

私は時短ワーカーで、
16時には家にいます。
それなのに、全然時間が足りない!!!
(贅沢すぎますか)

読書時間は、1日5時間欲しい。(長)
読書後、noteにゆっくり読書録と思考を整理できるくらい。(現在はnoteのほうを抑制中)

***

今の職場へは面接の際
「とりあえず数年お試しの気持ちで、ゆっくり働きたい」
と伝え、それが受理され転職しました。
(厚かましすぎますか)

しかし、一緒に働くのは面接担当ではなく、
同僚たちだった。
ということに気づきました。

わたしの時短の埋め合わせは、面接担当ではなく、同僚たちがする。

給料を削るというペナルティを課しても、
まだ足りない申し訳なさがある。

そして時間を削ってもなお、
1人分を求められる期待値と自分の感覚のズレ。

給料は月10万でいいから、
労働は週3で、週2は読書など好きなことを探求したい。
1人分の働きを期待されたくない。←

それより好きなことを思う存分する時間が欲しい。

スキマ時間満たす消費的余暇ではなく、
やりたいことをする時間をど真ん中に据えたい。

***


きっと誰もが思う、
当たり前すぎることを書いてみました。。


***

若いうちはお金の心配があるから、実現しないのでしょうね。

やりたいことはたくさんあるのにお金がない。
お金の心配があるから金銭的報酬を求めて働くしか無い。

若い人から、お金のためだけに働く時間を取り除いたら、どうなるんでしょうね?

***
26歳から35歳までにお金の価値が最大限になり、

老老相続では意味がない。

時間すべてをわくわくすること、やりたいことに使えたら。

やってやれないことはなさそうですが、
覚悟の問題なのかもしれませんね。


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