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社会はまだ未完成だと思うと、世の中を良くできるのかもしれない

こんな記事を読みました。
(仁の音さん、引用失礼します🙏)

病院で、検尿コップの提出場所が分からずウロウロしていたおじいさんのエピソードから、このように締めくくっていました。

老人に伝わらなかったという事は、「あの老人だけが理解力不足だ」と考えるのではなく、今までの伝え方では不十分だったのだなということに気づいて、なにか「手間暇」をかけてあげることはできないものか、そんなことに気づいていただけまいかと思った次第です。「伝える」のではなく「伝わる」ことの手間暇を…。

仁の音さんの記事より

実は私も先日、まさに検尿コップの置き場を探してウロウロしたばかりだったので、同じことをしている人がいてびっくりすると同時に(もしかして同じ病院だったのかな←そんなわけないやろ)、分かりにくいことを、なぜ伝えなかったんだろう?と思いました。

「このあたりに大きく表示があると、分かりやすいです」と、伝えればよかったな。

検尿以外にも、子ども関連の役所手続きなど、分かりにくいことは日常茶飯事にあります。
思い返せば、分かりにくくてもだいたいそれは言わず、自分の注意不足で片付けてるなと思いました。

何か不便があったとき、私は無意識に自分を社会のほうへ合わせようとするクセがあります(多分、学校教育の賜物←人のせいにする)。

クレーマーとか、面倒なやつと思われたくないんだと思います。

そしてこの気付きは、少し前に読んだeccoさんの記事とも繋がりました。

マジカルグランマは、

若い人に愛され、かわいいおばあちゃんとして、おばあちゃんらしく生活する。だけど、困っている高齢者を助けたりする運動などはしない。
(中略)
かわいいおばあちゃんは、かわいがられる。
病気の不安だの、困窮だの、社会への不満だの、介護保険の使いにくさだの言わないで、いつも笑顔。

eccoさんの記事より

こちら読んで、妊婦時代の私のことだ。と思いました。(eccoさんの記事、ぜひ最後まで読んでみてください)

職場の人にはいつも笑顔で、お世話になります。ご迷惑おかけしています。と物分りの良い妊婦を演じていたなあと、思い出しました。
それが最善だとその時は思っていたのですが、その後妊娠した同室の後輩がとても苦労しているという話を聞き、愛想よくしてるだけではだめだったんだと思いました。(職場は男性社会でした)

その後育休復帰してからは、職場改善の鬼になったのですが(多分同僚たちは豹変ぶりに驚いたのではないかと思う)、仁の音さんの記事を読んで、検尿置き場の分かりにくさを指摘できなかった自分は、まだまだ社会に合わせちゃってるんだなと思いました。

社会はまだ未完成(多分)。
こうしたほうがいいのに、と思ったことは無意識に引っ込めず、意識的に伝えていきたいと、あらためて決意しました。

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