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帰ってきちゃったパートナー 待ちわびる編

毎年恒例の、冬季に(私を置いて)暖かいオーストラリアを満喫していたパートナーが突然の国境閉鎖に見舞われた。

予定していた2か月、いや、多分4か月ぐらいはそれぞれの生活を楽しんでいたと思う。それに反して国の締め付けは悪化の一途をたどっていった。そこまで感染者が多くなかったこの国は、これまで数回にわたる強硬なロックダウンで感染者を押さえていた経歴があるので政府の政策はとても強く、それを支持する人もその時は多かった。

その当時この国にはF社の注射しかなかったのだが、兎に角それを打ての連呼だった。私は過去に大病したことがあり、その病気が政府のHPに接種後に現れる可能性があるとして掲載されていた。そして知り合い二人が再発していた。パートナーはフィットな息子が一本目の後から十分な呼吸が出来ず6か月経っても苦しんでいたし、掛かりつけのフィットな若い歯医者さんが一本目の後10日ほどで原因不明の突然死を遂げた。してもしなくてもリスクがあるのは理解している。でもそれほど悪くない状況の中で予防のためのリスクを負う理由が私達にはなかった。

その後国はトラフィックライトシステムと言うルールを作り、はっきりと持てる者持たざる者とに区分し、この状況は皆で頑張ってきたロックダウン期間中より持たざる者を追い詰めた。そしてその状況は彼の居るオーストラリアのステイトの方が若干ましだったので、私はほっとしていた。何故なら私たちは海で泳ぐことも禁止されていた時期もあったので。

兎に角そんな状況下で大学進学を諦めざるを得なく、更にアルバイトをすることさえ許されなかった希望を失った末っ子の未来も思案しなければならなかった。私はパートナーの帰国を心の底から待ちわびた。

そして知らぬ間に季節は変わり師走を迎えていた。今ならまだ飛行機に乗る事が出来る。後1か月で私たちはこの国から飛行機に乗る事さえも出来なくなる。出国するならすぐに決めなくてはいけない。すでに大勢の外国人が逃げ出していた。多くの友人が言う。早く日本に帰った方が良い。ニュースによると日本政府の方がずっと正直で柔軟だ(みんなのイメージ)。あなたにはチョイスがあるのだから。

彼がオーストラリアから直接日本に入国するには法律上も私と夫婦になる必要があった。そして私がこの国に再入国するにはやはりNZパスポートを保有している彼と法律上も夫婦になる必要がある。

そうだ、まずすぐに結婚しよう。それが私たちの一番の安全策だと考えて少し不本意ではあったが、電話でプロポーズをした。

色々状況を考えるととりあえず結婚しておくのがベストだと思う。後で離婚をしてもいいし、何か心配事があればロイヤーを通して誓約書にサインをしてもいい。兎に角、結婚しましょう。私は真剣に静かに彼に伝えた。

少なくとも1か月に3,4回10年間「末っ子が高校を卒業したら結婚出来るよね?」と誘われていたし、最近は強く日本に住みたいと言われていたので私としては自然な成り行きでもあったのだが、私のプロポーズの後、2,3秒の沈黙。とても長く感じた。そして彼は言ったのだった。

「でも」と彼。でも、って何さ...

「でも、(結婚披露)パーティーは? パーティーが出来ない!!」物凄く悲しそうな声でそう言い放ったのである。

えっ、そ、そこ?! 私は血の気が引いた。こんな切羽詰まった状況であんたはパーティーを心配しているのか... そして笑いが込み上げてきて胃がよじれるほど笑い続けた。久しぶりの大笑いだった。

こう言うところが私が彼を愛して止まない理由なのだ。私は腹をくくる。日本にはいつ帰れるかもう分からないけれど、私が選んだこの国でまず彼の帰国を待とう。そしてその後数々の幸運に恵まれ、彼は注射なしで私達が飛行機に乗れる最後の2週間前にフライトチケットと隔離ホテルの予約を取得したのである。

しかし、ここでも涙の再会は敵わなかった...

2週間後の6月20日にまたお立ち寄りくださるとうれしいです。




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