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88歳の父と共に3週間過ごして思ったこと。その1

この7月に3年ぶり、日本の夏には16年ぶりに一時帰国した。国境が開いてすぐに帰国したかったが、日本の秋を待つことにした。25度を超えるとばててしまう私は30度を超える高温多湿な夏などもう想像できない。でも、88歳で一人暮らしをしている父と施設に入所している85歳の母を想うと、やはり夏がどうだこうだと言っている場合ではないように思えたので、急遽一時帰国を決断。

今回の一番のミッションは88歳の父と生活を共にして、現在若しくは今後必要となる助けを近隣に住む姉兄に報告することだ。

正直今回父と共に3週間を過ごして大きな発見がいくつもあり、私は自分の日常生活を深く反省した。シリーズでその話をしたいのだが、まず初めに誰が聞いても驚く幾つかの事実から。

1,私は今回(も)一度も父のために料理をしなかった。

私は52歳になるのだが、3年前に父がNZに来た時以外、つまり日本に居る時は一度も父のために料理をしたことがない。流石に今回はするだろうと思っていたのだけれど、ちょっとしたお手伝いをするだけで、献立、買い物、調理全て父がした。なんだったら片付けも…という勢いだったが、流石にそれは譲ってもらった。

しかも、朝食からかなり豪勢なのである。お手製の糠漬け、煮物2種、なます、サラダ、タンパク質一種類、具沢山御御御付け(お味噌汁のこと)、ご飯。そしてこのタンパク質が私の好物のいくらだったり、お刺身、たらこ、天ぷらなどが並ぶのである。天ぷらはもちろん揚げたてである。

お昼は軽く、お手製のヨーグルトとにきれいに皮が剥かれカットされた果物やナッツ類。時々小さいサイズの小豆抹茶練乳アイスや、私が食べたかったご近所のところてん、船橋屋のみつ豆、葛餅を一緒に食べた。

夕飯は夕飯で、ハンバーグやボンゴレスパゲティー、ビーフシチューなど洋食を食べさせてくれる。

私は日本に帰ったら沢山のジャンクフードからちょっと高級な美味しいものまで食べつくすつもりだったのに、毎日朝からお腹いっぱいなのと暑さのせいで殆ど外のものを食べることはなかった。お陰でずっと健康だったけど。

私、まずいよね…

2,動く寝る、動く寝るの繰り返し

父の一日は4時から始まる。体温と血圧を毎朝測り記帳、身支度を整えお仏壇にお勤め。朝食の用意を8割方終え、5時に2㎞離れた公園にラジオ体操をしに出掛ける。公園では集まったいつものメンバーと公園に備え付けられた器具で筋トレをして、みんなとおしゃべり。そしてラジオ体操を終え帰宅するとシャワーを浴び、汗をかいたTシャツなどをお風呂場で洗濯板を使って手洗いする。

朝ごはんの支度を終え朝食後には、常備菜を作ったり、二日に一度は自転車でお買い物。

結構父の午前中は忙しい。11時から新聞を読みながらこっくりこっくりと昼寝をしている。午後はコロナ前は母の見舞いに毎日施設に通っていた。今はテレビを見たり、近所の人から頂いたお野菜で何か作ってはお裾分けをしている。そしてまたこっくりこっくり。4時夕飯準備にとりかかり5時に夕飯。

7時からは週に一回室内テニスに通っている。大体8時半にベッドに就くといいうのが日常。兎に角ゆったりではあるが常に動いていて、その合間にこっくりこっくりといった具合だ。

とてもじゃないけど、私は自分の日常をここに書くことはできない。

私、かなりまずいよね…

また遅れてしまいましたが、2週間後の8月29日にまたお立ち寄りくださるとうれしいです。

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