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膝小僧すりむいて聴くドーナツ盤

昨日転んだ膝小僧が赤く腫れ上がっている。見立ては比喩じゃないと。風呂に入って聞いていた聴き逃し「日曜カルチャー 平安時代の和歌」で言っていた。和歌に興味がない人はどうでもいいんだろうけど、見立ても比喩だと思っていたので驚きだった。見立ては讃嘆ということだった。ものそのものを称賛することか?見立ては主に人為的に喩えるのは違うということなのか?

短歌ばかりで俳句の方はおろそかになっていた。最近は方向性が定まらないというか、やっぱ伝統俳句の方に向かっていくようなきがしてならないのだった。そこで新興俳句の本を読んだりして納得はするのだが、まとまらない。新興俳句は敗北の歴史だったのか?

昨日は町田の図書館へ『窯変 源氏物語6』を返して7を借りに行ったのだが、7以降が借りられているというのはどういうことだろう。その前はあるのに、嫌がらせとしか思えない。普通1から順番に借りていくと思うのだが7からってどういう神経なんだ。まあ町田で借りられなければ横浜で予約すればいいだけの話なんだが。それで吉本隆明『源氏物語論』を借りた。あまり吉本隆明は好きでもないんだが、批評の在り方としてはスタンダードなのかな。

そんなことで図書館からネットカフェで。ウェイリー版を読み切ってしまいたかったが、ラジオで60年代ポップス(日本)を聴いていたら、懐かしくハマってしまった。

なんであの時代の音楽は面白いと思えるのだろう。一つはジャズの要素があるからだった。アレンジとか。いまだとロックテイストばかりなのだが、あの頃はジャズだったよな。ピンキラの「恋の季節」とか、歌だけでなくアレンジが素晴らしい。これ最初に買ってもらったレコードだった。

あとTVドラマの音楽とかもおしゃれなんだよな。「キーハンター」とか「プレイガール」とか。「プレイガール」は「る」の歌だった(由紀さおり「夜明けのスキャット」とか)。

あと当時好きだったのがヒデとロザンナだと思った。「愛の奇跡」とか。

おませな小学生だった。今こういう歌は椎名林檎が懐メロ路線で歌うけど、アレンジはロックよりだからな。

今日の一句。

膝小僧擦りむいて聴く懐メロか

「懐メロ」では工夫がないな。

膝小僧すりむいて聴くドーナツ盤

すりきれるほど聴いたドーナツ盤と掛けた。

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