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フェリーニは祭りだ、ニーノ・ロータと共に

『8 1/2』(伊・仏/1963)監督フェデリコ・フェリーニ 出演マルチェロ・マストロヤンニ, アヌーク・エーメ, サンドラ・ミーロ, クラウディア・カルデナーレ


“E' una festa la vita! Viviamola insieme!"「人生は祭りだ、共に生きよう! 」イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニが1963年に発表し、アカデミー賞外国語映画賞を始め世界中の映画賞を受賞した「8 1/2」。マルチェロ・マストロヤンニ扮する映画監督グイドの苦悩と再生の物語を、美しい白黒映像に描き出した、フェリーニの代表作にして、世界映画史指折りの名画中の名画です。

映画監督・グイドは温泉地に逗留中。クランクインを控える新作のことや冷え切った妻との関係など、悩みが尽きない彼の脳裏にはさまざまな幻影が浮かんでは消える。そしてストレスが頂点に達し…。

先日、映画ベスト30やったのをもう一度見返そうかなとも思う。より厳密にベスト30制定。下から見たほうがいいのか、上から見たほうがいいのか?やっぱ上からだよな。ということで今日はフェリーニ『8 1/2』。

フェリーニ好きは淀川長治さんのお陰。最初に買った映画の本が淀川さんの本だった。タイトル忘れたけどシリーズ化されていて、その中にフェリーニの映画についての熱弁があった。その影響でフェリーニ好きに。『8 1/2』は8本と短編を一本撮った後に、フェリーニが映画製作に行き詰まって撮ったメタフィクション映画。

オープニングは渋滞の中の車で、マストロヤンニ演じる監督が空に上がっていく。こんなオープニングは見たことがない。奇想天外すぎる。でも現実の渋滞社会(車だけではなく息詰まる現代)を的確に描いている。バスに乗った乗客が手足が窓から出ていたりホラーチックな地獄世界。そして密室の車から空に逃げる。天使だったんだ。


その天使がプロデューサーに引きずり落とされる。堕天使になった。もう、ここまででフェリーニの世界だった。温泉保養地はダンテ『地獄変』の浄土編のような世界。そこで見かける看護婦がクラウディア・カルディナーレでダンテを天国に引き上げるベアトリーチェを彷彿させる。しかし、彼女は消えて愛人やら監督の妻が出てくる。枢機卿も登場してきて、罪の告白?

監督の罪は女好きなこと。監督という職業柄、女優を次々に起用しては用済みにする。女優だけではなく、脚本家とかもなんだけど。映画のテスト撮影のシーンがあって貸し切り映画館でスクリーンテストして出演女優を決めなければならない。そのシーンは実際のシーンだったような。そういうところで現実を入れてくるフェリーニ・マジック。かと思うと監督の首の仕草でスタッフが絞首刑になったりする監督の絶対権力。

監督の夢の記憶は、懐かしい少年時代なのだが、それも映画的に加工されている。サラギーナのルンバのシーンは強烈だった。ダンスシーンでこれほど印象的なのはないと思ったが、今回見てそれほど際どいシーンでもなかった。記憶でデフォルメされていくフェリーニの不思議。


フェリーニと言えばジュリエッタ・マシーナとの夫婦愛だと思うのだが、この映画の時期は関係が冷めきっていた頃で、それをこの作品で描くという恐ろしいことをやっている。監督の妻役のアヌーク・エーメが素晴らしい。眼鏡姿はインテリ女優という感じなのだが、一瞬、『道』でジュリエッタが道化師でバイオリン弾きの後を歩くシーンの真似をするのだが、その歩き方が映画のイメージだった。その他のシーンは冷たい女なんだけど。

マルチェロ・マストロヤンニの監督は、素晴らしい。コメディだから動きとかサイレント映画時代の感じもあって、あとセットのロケットに連れて行かれるシーンは、両脇を人に抱えられた宇宙人の写真と一緒だった。楽隊の行進は、サントリーのランボーのCMのようだったし、印象的なシーンが数限りない。風呂のシーン一つ取っても、耳を掌でバタバタと天使のシーンなのだ。

あと忘れてはいけないのはニーノ・ロータの音楽の素晴らしさ。ラストシーンの人生は祭りだの音楽。当初は監督が自殺する案もあったらしい。でも、「人生は祭りだ」のラストを決めたのはニーノ・ロータの音楽かもしれない。




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