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今日の写経

「生ましめんかな」栗原貞子

こわれたビルディンの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
どうしたらいいのだろう。
人々は、自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄で
新しい生命は生まれた。
かくしてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨てつとも
(日高六郎『戦後思想を考える』より栗原貞子「生ましめんかな」1946)


ウクライナの地下壕でもあったかもしれない詩で、過去のことではないのだ。ただ日本の過去にそういうことがあったと知る由もない。忘れようとしている者がいて、詩を残す者がいて。

ヒロシマというとき

〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか

〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば、女や子供を
壕の中にとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑

〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしく返ってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるバリアだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえが返ってくるためには
わたしたちは
私たちの汚れた手を
きよめねばならない
(日高六郎『戦後思想を考える』より栗原貞子「ヒロシマというとき」1972)


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