なぜ彼らは空を飛んだか?

昨日は息子(5歳)はママと近所の図書館へ行ったらしくて、借りてきた本を読んでくれと言って持ってきた。

彼はいま、ひらがなとカタカナを学んでいるところなので、ひらがなとカタカナは自分で読んでみよう! と言っているが、昨日借りてきた本をよく見ると、タイトルからして漢字だらけだし、彼にはちょっと難しいな… しかも『広島の原爆』ですよ。これに興味を持ったらしい。

本を開くと、戦前の広島について、その街

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わたしは耳がきこえません。 - A girl is deaf. -

はじめまして!

キムラショウコと申します。
旧姓、ナカムラです。
本日2019年6月26日(水)は今年唯一の超開運日だそうで。
何か新しいことを始めるのにいい、と聞き、Twitterのリスタートとnoteのスタートにトライしてみます♫

わたしは、生まれつき耳が聞こえません。

1988年、大阪で生まれ、高校卒業までを大阪で過ごしました。
でも十中八九、大阪人には見えないと言われます。笑
国で唯

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未完だった「夏」が完成しました

こんにちは環です。 
先日大阪大学未完文芸サークルさんに「未完作品」としてホームページに掲載していただいた『夏』という作品(文章?)があるのですが、奇跡が起き、無事完結させることに成功しました。おめでたい。

ということなので「せっかく未完verも閲覧できるんだから完成verも閲覧できるようにしちゃお…」的メンタルでこちらに投稿します。(未完文芸サークルさんのHPはこちら。投稿された未完作品の質量

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#映画 #この世界の片隅に #さらにいくつもの #応援チーム 参加しました

この世界の(さらにいくつもの)片隅に公開!

https://ikutsumono-katasumini.jp/campaign/ambassador/

 クラウドファンディングで出資者を集め映画興行記録を伸ばし続ける名作『この世界の片隅に』の追加フィルムバージョンが今年(2019年12月20日)公開されます。

それに先立って応援チームと称し再びクラウドファンディングが始まりました。8文字以内

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スキありがとうございます。精進してキスの天ぷらを作ります
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【その平和を縮小して、手のひらに乗せておにぎりにしたなら】

「平和ってなに?」
8歳の息子からの難しい質問と、美味しい答え。



私は被爆三世です。祖母が1945年8月6日の原子爆弾投下の被害に遭った、いわゆる「被爆者」です。
私たちの世代は、被爆三世は少なくないので珍しいことではありません。

今日は友人と広島市にある平和公園へ行きました。
平和公園は広島の中心部、特に爆心地の近くであり、平和記念資料館が併設されています。

(ただ、私達世代にとって

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ひろしま

私は広島に生まれ、広島で育った。
今は大阪の大学に通っている。

最近、ヒロシマが授業で取り上げられることが多い。
ものすごく苦しくなって、泣きたくなる感情が込み上げてくる。広島にいたころはこんなに強く感じることはなかったのに。

広島でみるヒロシマは、いつも大概同じ視点だ。キノコ雲の下、生き延びた人々の1945年8月6日。ヒバクシャの視点。

でも、こちらに出てきてから、太平洋戦争の動向や科学者

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【展覧会情報】ヒロシマの被爆樹木の日光写真を展示します!

【展覧会のお知らせ@広島廿日市市】

はつかいち美術ギャラリー企画展
「被爆樹木-もの言わぬ物たちの記憶-(第23回平和美術展 )」に作品を出品します。

2012年から毎年広島で制作し、8年目を迎える、被爆樹木のフォトグラムシリーズ『呼吸する影-被爆樹木のフォトグラム-』の新作を含め旧作と構成し展示します。

展示予定作品

【8:15 8/6 2014】

(呼吸する影—Breathing S

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「広島の風」 #7

<民主主義>
 中国山地の冠山に頂く霊水が脈々と下るうちに大河となり、それらが太田川やその支流として豊水を育んだことで土砂が堆積、大きな三角州(デルタ)が形成されるに至り、そこに私の第二の郷里である広島という街の営々とした歴史が積み重ねられていた。
 この三角州(デルタ)には、一帯が「安芸の国」と呼ばれるようになった弥生時代あたりから集落が出現しはじめ、毛利氏治世の時代には「宮島」と呼ばれる花崗岩

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被爆樹木を毎年撮影する動機

被爆樹木を撮影する動機

今年も広島での作品制作が始まった。

8年目を迎えた制作は、夏に展覧会での出品もあり、毎年8月の来広を6月から始められることに感謝。

被爆樹木を撮影する動機。

それは、2011年「東日本大震災によって起きた福島第一原発の事故を受け、「原子力」についてリアルに考える機会が生じ、その第1歩としてヒロシマに行く事が必要だと感じたから」と答えている。

そして2012年の夏、

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ウミムコー流刑囚

2272年プサン王チェ・バンスはチョラド地方を占領し、四方に領土を広げた。ウミムコーでは当時古代末期の技術が復活しつつあり、人口が急激に増えていた。王はもはや国内では食わせられないような戦争捕虜や軽犯罪者など、余剰人口を減らすために彼らをヒロシマへと追放したのだった。当時キューシューよりさらに遠くにあるヒロシマは東の果てと見なされていた。

 入植は主に都市同盟の力が強い地域の周辺で行われ、最初は

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