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ボケ老人は「意識の流れ」であった。

『幕間』ヴァージニア・ウルフ ,(翻訳) 片山 亜紀 (平凡社ライブラリー)

スターリンがムッソリーニが、ヒトラーが台頭しつつあった頃、イギリス内陸の古い屋敷で上演される野外劇に集った人々──迫り来る戦争の気配と時代の気分を捉えた遺作の新訳。

出版社情報

ヴァージニア・ウルフ最期の小説。ヴァージニア・ウルフは難解な作家だと言われているが、それは散文の中に韻文的詩的言語が交じるからです。それを意識の流れとか言っているわけだが、難しく考える必要はなく年取ってくるとふと過去の流行歌の断片やうろ覚えの俳句やら短歌の断片が浮かんでくる。ウルフはイギリス人だからシェークスピアや英詩が多いのだけど無理に解釈する必要はない。

ただその「言葉のカケハシ」(大江健三郎が言った言葉だが)から物語までは行かないが小説的な断片が浮かんでくる。ジャズなんか懐メロのメロディとか即興的に交じる感じです。そういうのが教養ではないけど共同体内で通じていく。その最大なものが「聖書」による信仰だと思う。そういう共同体内の物語が出来ているからああ、あの場面ねと理解出来る。日本人はかつてはそれが和歌(『万葉集』とか『古今集』とか)だった。

一方、舞台劇をやる脚本家は理知的な言葉を組み立てその時に一般観衆にアピール出来ないと悟ってしまった。本人の中ではいろいろ過去の古典とか織り込んでいたと思ったが理知的すぎて感情が爆発しない。老人たちは感情を爆発させるのだった。それがネットで炎上みたいな感じでは嫌なんだろうが、こういう四季の外気の広場のパーティーとか戦争が近づいていることに敏感に反応する。それは彼らが死に近づいているからで、若者の理知的な感性とは違うのだが共感性を得る。

『幕間』はウルフの作品の中でも難解な部類に入ると思う。その前の『ダロウェイ夫人』の方がわかりやすいかな(映画にもなっているし)。一番感動したのは『灯台へ』なのだが、大正モダニズムの詩人の佐川ちかに断片が翻訳されていた(違う短編かもしれないが、『灯台へ』の第二章に似ている雰囲気)

瞬間の後、光は色あせた。では庭の方だらうか?太陽の光線がさまよつてゐるなかで樹等は闇を織つてゐた。非常な稀なほど華やかに。冷たく表面の下に沈んで、私の求めてゐた光は、いつも硝子のかげで燃えてゐた。死は硝子であつた。死は私達の間にあつた。婦人へ最初にそれが来て、百年も昔に、家を去り総ての窓はとざされて、部屋は暗闇になつた。

『佐川ちか全集』からヴァージニア・ウルフ『憑かれた家』


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