ラインマーカーを消す「やり直し」下敷きを持っているか?
『ラインマーカーズ: The Best of Homura Hiroshi』穂村弘 (小学館文庫)
『シンジケート』の頃はまだ70年代短歌の匂いがあったのはアジテーションなのかなと思いました。『手紙魔まみ』になると内輪の世界、SNS的なつぶやき短歌なのかと。解説の瀬戸夏子氏によると穂村弘世代までは前衛短歌の塚本邦雄とか読んでいた世代間(縦の)の格闘があったと思うのですが穂村弘以降になると横(SNS)の共感性なのかなと思う。『手紙魔まみ』は分岐点だったような。それは穂村弘と呼ぶか、ほむほむと呼ぶかの分かれ目なのか。
「ゆひら」は第三者が聞けば何を言っているのかわからないが、二人の間にはコトバを超えたコミュニケーションがある。
「キバ」というと「木場」を思い出してしまうのだが、むろんここは部屋の中。大島渚監督『青春残酷物語』の舞台でした。
「乾燥機」で「眠る」はバスで眠る世界の続編みたいだ。「眠る」がポイントかも。
「リキッドソープ」に許せない自分がまだいる。
神父を持ってくることで世界系になる。(注)塚本邦雄や葛原妙子のキリスト教との対峙。
「ジョン・ライドン」だけど「シド・ヴィシャス」じゃない。
「コーラ」で洗えのメッセージ性はもはや戯れとしてなのか?「灰色のコカ・コーラ」(中上健次)以降の世界だと思うのはドライブの情景だということ(村上春樹的?)
『ブレードランナー』の未来都市は手塚治虫の漫画のイメージ。少年時代の夢を持ったまま大人になれない都市に生きるかな。
子供のアナーキーさ。塚本がいうように「革命」ではなくて「遊戯」。それは想像界なのだけど。
手紙魔まみの「ほんかくてきよ」は彼女のリフレインではなく彼の同調なのだ。だから「ほんかくてき」の字足らず。
「まみより」侵食されるコトバの世界。もうどうすることもできない。
それは「高速道路に散らばった脳」なのだ。
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