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シン・俳句レッスン114

今日も桜だった。今日の一句は、桜を題材にしながらいままでにない新展開を見せたのではないか?

うららかに裏の男と化すサクラ 宿仮

季語は「うららか」でサクラは同音異義語。桜に化けてもいいんだけど。


俳諧師(松尾芭蕉)

加藤郁乎『俳諧志』から。

松尾芭蕉

古池や蛙飛びこむ水の音    

松尾芭蕉の蕉風の句とされているが、最初から受け入れられてきたのではない。例えば支考『葛の松原』では「古池」の代わりに「山吹」として連歌で紹介されている。

山吹や蛙飛びこむ水の音   芭蕉
芦のわか葉にかゝる蜘蛛の巣 其角

あるいは「古池」の句をパロディ化させた白隠和尚の句。

古池や芭蕉飛びこむ水の音  白隠
池あらは飛て芭蕉に聞かせたい
古池や何やらぽんと飛ひこんた

ただ白隠は芭蕉の句が「古池」にあると喝破していた。

もともと蛙に対する季語は、春に鳴くものとしての季題なので、芭蕉の句は、それまでの(和歌的な)セオリーからは外れていたのである。「新古今集」などで選ばれた歌は蛙の鳴き声が春の季題として有効だったのである。
芭蕉の句は春の季節感もなく、夏であってもいいと批評された。

芭蕉の蕉風に対して浮世を詠んだ句を指摘する。

きまぎまに品かはりたる恋をして  凡兆
 浮世の果は皆小町なり      芭蕉

小町は小野小町だが、当時江戸で流行っていた謡曲「卒塔婆小町」である。芭蕉は謡曲から着想を得た句が少なくない。

花の陰謡に似たる旅寝かな  芭蕉

また芭蕉にも色物の句はけっこうあるということで蕉風も枯れた感情ばかりではないという。

ふり袖の薄き髭と生出(おひいで)て 桃青
 小町が果の女方ども        春澄

通い路の二階は少し遠けれど  信草
 かしこは揚屋高砂の松    桃青

女郎屋通いの句である。

有名なのは『おくのほそ道』にある句で実際に関係を持ったわけではないが

一つ家に遊女も寝たり荻と月  芭蕉

NHK俳句

題「クローバー」
新選者:西山睦の年間テーマ「やさしい手」。初回のやさしい手の持ち主は蜜蜂研究家。蜜蜂の知られざる姿が見えてくる俳句に驚愕!新コーナー「クロイワの俳句やろうぜ!」

第二週は西山睦。

最近チェックするのは、どっちの協会に属しているかで俳句観がわかる。俳人協会か。伝統俳句だな。

年鑑テーマが「やさしい手」という。職業とかの手のようだ。鉄の爪とかまったく逆だったな。

春と修羅鉄の爪に蝶は舞う  宿仮

逆だな。季重なりだった。春と修羅を「」で囲ってしまえば固有名詞だ。

鉄の爪「春と修羅」から蝶の舞  宿仮

ぶつ切りだな。

「春と修羅」鉄の爪から蝶の詩(うた) 宿仮

これでいいな。

<兼題>堀田季何さん「万緑(ばんりょく)」、西山睦さん「植田(うえた)」~4月22日(月) 午後1時 締め切り~

人それを俳句と呼ぶ

今泉康弘『人それを俳句と呼ぶ』から「青い街ー松本竣介と街と新興俳句」。松本竣介は戦時の画家で統制する以前のモダニズム画家と言えるかもしれない。

その頃の俳人はジャンルを超えて様々な表現から影響を受けていたようである。当時の画壇も伝統絵画の日展(政府のプロパガンダ系)と仁科展があり、新興俳句系の作家は仁科展の作家を見に行き俳句を作っていたようである。

その仁科展に「千人針」という満州事変をモチーフとした絵を出展したのが藤田嗣治だった。「千人針」は当時の街頭の情景であり、松本竣介と「街」とも共通するテーマを持っていたのである。俳壇でも「千人針」という満州事変以後数多くの句が詠まれた。

秋の雨千人針はぬれて縫う  秋櫻子
千人針頼む人ばかりになつて更けてゐる辻  武二

そうした流れを批評したのが西東三鬼であった。いかにも時局をわきまえたような句を作るのは安易であると意見であったが、三鬼も時局の俳句を作たが趣が違っている。

号外屋酔へり運河に霧ながれ  三鬼
霧ながれ電光ニュースながれながれ

事変に伝えるメディアの興奮と事変の不透明さを描いた。

同じような句だが、三鬼と全く反対の事変俳句は。

涼風に電光ニュース勝ちを報ず  吐天

昭和俳句史(昭和40年代)

現代俳句協会と俳人協会の分裂以降、2つのジャーナリズム雑誌によって俳壇が二分されるのであった。『俳句研究』=現代俳句協会、『角川 俳句』=俳人協会。その中で俳人協会の排除ぶりが凄まじいということだった。1968年は全共闘世代のカウンターカルチャーの時代。俳句界もその流れはあるようだったが、寺山修司の批判などもあり保守化していく。

社会性俳句は暗礁に乗り上げ、個人は自然讃歌や精神性回帰という時代になっていく。龍太・澄雄はその象徴だった。そんな中で高柳重信が編集長時代の『俳句研究』で50句競作が出ることになる。それは俳句が短詩一句よりも50句まとめた作品とすることで芸術的表現となるということか?現在のプロ作家との分かれ目がここにあるのかもしれない。50句という連作が作れる力があることのような気がする。

戦後生で活躍した俳人としては攝津幸彦や坪内稔典。シュールレアリズムの影響を受けた阿部完市がいる。

『俳句研究』の方で批評も活発になるが「わかる」「わからない」俳句とか「言葉」と「もの」の違いとか難解になってわからなくなっていく。現代詩との絡みだと思うが、俳句がサンボリスム(象徴詩)を通過してないという指摘。つまり象徴は言葉の概念であり、自然のものを詠んでいるというのではないという。それは宮沢賢治の心象スケッチというような、心象風景の言葉の問題を現実の自然の世界と取り違えてしまうという方法論的なことなのか。フーコー『言葉ともの』あたりの思想なのかもしれない。

池田澄子

『俳句 2024年3月号』「池田澄子50句」から。「昭和俳句」でも50句競作という新しい試みがあった。それは俳句を定形だけの文芸ではなく、芸術作品であるような文学を目指したものではないのか?池田澄子「春は花」は、春の句50句なのだろうか?

山川草木そしてわたくし去年今年

口語俳句だが自然詠の虚子を意識した本歌取りは伝統回帰なのか?

雨は霙に新種のウイルスに変種

霙が冬の季語の社会詠俳句か。

龍の玉むかしのことは覚えている

口語俳句の池田澄子らしい俳句だった。龍の玉が季語。

随分と生きてやっぱり春は花

「っ」の使いが新仮名だった。でも、この句がテーマなのだろうな。

桜さくら嫌な昔もありまして

今も好きではなかった。このへんが新興俳句との分かれ目かな。

しらじらと明け切々と花筏

桜を詠むにしても冷めている。

足腰のことはともあれ春のくれ

老人俳句だった。

年とるとしょっちゅさびしい花大根

でも吟行がてら毎日の散歩は欠かさずにという感じか。見習わなければ。

死神は情が深ろ卯の花垣

蟻よ御免ネこれ「アリ全滅シャワー液」

商品名と破調の口語俳句。「」はワンセンテンス。342「11」なのか?

雲の上を照らし敗戦日の太陽

これも破調だった。その前にテレビの戦争句があり。

羊羹厚く冷房強く不機嫌日

ほとんど日記俳句か?これも775だった。

夢占はされおき餅を焦がさぬよう

一年過ぎた。

サッカリンの昭和の冬よ寒かった

戦後も過ぎた。

たましいの右側に鬼寒そうや

「鬼寒」は季語かと思ったら「オニ」は今風のチョー寒いということだった。

百回寝たら此処は桜が咲き満ちる

あと365回ぐらいかな。もう少し短いか。でも一日二回寝ること多い。

富士の天辺見えて佳き日や葱畑

普通の俳句だな。775の型が多いかも。

自我没我漢字平仮名春日遅々

これは漢字だけの俳句だった。

自我没我桜吹雪や遠山の金さん 宿仮

なんとなく真似したくなった。今日はここまで。



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